2022年、日本での自転車旅行 その1
- 鉄太 渡辺
- Jul 5, 2022
- 6 min read
2022/07/05
2年ぶりの日本で、静岡県奥安倍と大井川川沿いをサイクリングする計画など
「長距離か、短距離か、たくさんか、ちょっとだけか、それは問題じゃない。とにかく走れってことさ!」 エディ・メルクス (ベルギーの自転車レーサー)
コロナ禍の私と自転車
コロナ禍においても、私は自転車で走ることを決してやめはしなかったが、走行距離は激減した。その理由は、長く続いた外出規制もあったが、それより精神的な面が大きかった気がする。私の暮らすオーストラリアのメルボルンでは、特に2021年は長期のロックダウン続きで、家から5キロ圏内しか外出が許されない時期が続き、私は浮かない日々を送っていた。家から5キロ圏内の道はどこも走ったが、同じところをぐるぐる回っていても面白くない。だから自転車で出かける頻度も減ってしまった。
しかし、今年の2月ごろになると、そのぼんやりと霧がかったような日々も終わった気がした。コロナ禍の規制もかなり緩和されたので、私もいよいよ2年半ぶりに日本へ帰国することを決めたのだが、旧友と日本でまたサイクリング旅行に行けると思うと、鬱々とした気持ちも、さぁーっと青空が広がるように消え失せた。

2年ぶりに日本へ帰国
そこで、「5月に日本へ帰ることにしたから、また自転車旅行に行こう!」と、私は輪友T 村にメールを送った。T村は中学の同級生で、青春時代は長野、北海道、東海、関東など各地を自転車で旅して回った仲間である。大人になってからT村は自転車とは縁が切れていたのだが、私が2017年と2019年と2回に分けて四国一周旅行をした頃、T村はまた自転車に乗り始めた。溜まった体脂肪を減らす必要も生じてのことらしいが。そんなT村は、私の2度目の四国サイクリングには一部分だけ伴走したりして、完全に自転車熱が再燃したようだ。
T村と私は、二人とも去年と今年で60歳の堰を超えた。だからこそ、いよいよ走るだけ走り、行けるところまで行ってみようと、二人とも決意を固くしたのだった。我らは、銀輪を駆って、日本各地を走り回り、いつか、どこかの道端でぶっ倒れるまで、とにかく走り続けようと誓い合った。

T屋先生82歳
その上、我々には立派な先達がいる。それは中学時代の担任T屋テンジ先生である。T屋先生は82歳。79歳の時に、私の第二次四国旅行にも愛車ブリジストン・アンカー号を駆って参加し、圧倒的な脚力で私たちを凌駕したお人である。もちろん、今回の私の帰国中のサイクリング旅行には、ぜひT屋先生も誘おうということになった。

さて、世間では、「電動アシスト付き自転車」と言うものが市民権を得つつある。電気モーターとリチウムイオン電池を装着した自転車が、歩道も車道も我が物顔で疾走する時代になった。この自転車さえあれば、箱根だろうが、いろは坂だろうが、琵琶湖一周200キロだろうが怖くないだろう。何せ、疲れたら電気モーターがペダルを漕いでくれるのだから。
だから、私たちの周囲の人間にも「楽だから電動アシストにすれば?」と、愚かにも誘惑する者がある。私の答えは否だ。自転車旅行の醍醐味は「自分の足でここまで来た」という実感を味わうことにあるのだから、そんなものに乗ったら、その何物にも替え難い喜びを得られなくなるではないか。賢人T屋先生も、いみじくもこうおっしゃる。「電動アシストに乗るのは老人だけずら。」後期高齢者であるT屋先生は、実にご立派!そうだ、我々は何歳になろうと、気持ちは青年だ!だから、電動アシストには乗らない。少なくとも、今のところは絶対に乗らない。(将来はわからないが…)
静岡、安倍奥と大井川を走る案

さて、余計なことを書いたが、私が帰国することになったので、いくつかのサイクリング案がすぐさま提案された。中でも有力候補は、静岡の大井川と安倍奥(安倍川の上流)を走るもの、そしてもう一つは山形の最上川を米沢から酒田まで下る、という二案だった。私個人のプランとしては、近年四国を回ったので、次は九州一周なのだが、今回の帰国では時間が足りず、これは延期にした。
静岡行きは、実は私個人の都合から生まれた案だった。静岡は私の父の生まれ故郷で、私は日本へ帰国すると、何やかんやと駿河へ出かける用事がある。今回も、父一族の墓の管理の件を親戚と協議する用事が生じ、だからついでに静岡を走ったらどうだろう?ということになった。また、静岡県沼津市には、T屋先生も住んでいる。先生に参加していただくにも、静岡周辺を走るのが実に手頃だと考えた。静岡を走るのは二泊三日ということになった。
その前にも色々な案が実は出ている。私とT村はメールをやりとりし、いったんは山梨側から身延を経て富士川を下るという案がまとまりかけた。そこで、T屋先生に打診してみた。T屋先生はその案には不賛成で、「だって、その辺りは坂が多いずら」と言った。T屋先生が不賛成なら即座に廃案だ。
そこで、T村と私は安倍川及び大井川に焦点を当てたのだった。1日目は静岡駅から安倍川を45キロ遡上し、梅ヶ島温泉に宿をとり、二日目は来た道を戻って静岡まで。45キロはそう長い距離ではない。そして静岡から金谷までは東海道線で自転車を畳んで輪行して移動、金谷から大井川鐵道で千頭までも輪行する。そして金谷からは自転車で井川湖方面まで走り、千頭まで引き返して宿をとる。三日目は、千頭から金谷まで大井川沿いを下り、牧之原台地の茶畑を一周し、それから鉄道で帰宅するという案だ。
私とT村は、二人とも安倍川沿いも大井川沿いも走ったことがなかったし、この方面にはかねがねぜひ行きたいと思っていたので、その案に関してT屋先生が難色を示したら、可愛そうだが先生は置いていこうと、密かに協議した。何せ82歳である、無理はさせられない。坂の途中で心臓麻痺でもおこされた先生のご家族に申し訳が立たない。
そう決心して、T屋先生にこの案をぶつけてみると、先生はあっけらかんと、「その案、いいじゃんか。おらも行きたいだで。ただ、大井川沿いは結構アップダウンがきついでよ!」と、余裕しゃくしゃくだった。話を聞くと、先生はこのコースを以前走ったことがあるとかで、その地域の状況についてはよくご存知なのであった。
アップダウンがきついと言われ、T村と私自身はいささか不安になった。私らとて中高年である。しかし、82歳にそう言われて引き下がるわけにはいかない。T村は先生に、「先生、もし坂がきつかったら、いつでも列車に乗ってしまいましょうねぇ。タクシーやバスという手もありますから、大丈夫ですよぅ。」とか言っていた。私には、それはT村が自分自身を励ますために言っているように聞こえた。一方先生は、「いやあ、そんな必要はないっけよ、おらは大丈夫ずら」と苦笑いだった。

て、もう一案の山形県の最上川下りだ。これは純粋にT村の出した案だった。こちらは以前からT村がぜひやりたいと言っていた計画で、今回また浮上したわけだ。ただ、両方やるとなると、静岡に行くのが6月頭、最上川へ行くのは6月下旬となる。そうなると梅雨に入り、天気を考えると実行できるか分からない。そこで、最上川の方は立案だけはしておき、空模様の加減が良ければ行くし、悪そうだったらまた別の機会に伸ばそうと考えた。最上川は、そういった不確定要素が多いのと、遠方の上、静岡行きよりも大幅に日数が増えそうだったので、T屋先生のご負担を考えて、こちらは我々二人だけで行くことにした。(T屋先生、ごめんなさい!)
と言うのが、我々の考えたサイクリング旅行案であり、次回以降は、実際に安倍奥、大井川沿いと、最上川を走ったレポートを書いていく。(続く)
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