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黄門様、浜名湖と遠州路をいく:KT学園中学同窓会サイクリング顛末記(その2)


2024/12/27



KT学園同窓会サイクリング部の二日目、遠州三山巡り


KT学園同窓会サイクリングの1日目、我々精鋭6名は、強風の中を無事に浜名湖一周、すなわちハマイチを走破した。これでKT学園同窓会サイクリング部は多いに実績を高めたと言えよう。前回はビワイチ、今回はハマイチを制覇し、今後もいろいろな「XXイチ」を続けていったら、いずれその業績を認められ、KT学園同窓会本部や日本自転車振興会から補助金が出るかもしれない。T村事務局長、申請書を書いてみたらどうだろう?


二日目朝、待ち合わせ時間の7時きっかりにホテルの食堂へ行くと、もうすでにメンバーはみんな揃っている。この気合いの入り具合は何だ?メンバーを前に事務局長T村は厳かに言った。「今日は遠州三山巡りだから、みんな心してかかれよ。でも、コースは平坦だから、安心するように。」


すると黄門様こと、84歳のT屋先生は、「オレは、坂は嫌いだからね。坂はちっとも登りたくないずら。おめっちと安倍川の奥の梅ヶ島温泉に行った時には、きつい坂を登らされて往生しただら。あれには参ったっけよ」と述懐する。確かに安倍川の登りはきつかった。「往生した」は比喩でなく、T屋先生が登りでかなり苦しんだので、私とT村は、本当に往生したらどうするかと相談した。それはこんな会話だった。


「もし先生が心臓麻痺とか卒中で倒れた場合は、オレの親戚が静岡市の消防団だから、そこへ電話するよ」と私ことT太。(私の従兄弟の夫は、本当に静岡市の消防団員。)

「でもさぁ、安倍奥まで救急車が来るにはどうしたって1時間はかかるから間に合わないよ。もう、その時は、その時だぜ」とT村。

「お前、心臓マッサージのやり方知ってる?」とT太。

「いやあ、知らねえよ。80歳の老人だから、何やっても無駄じゃん。そうなったら大往生ってことで、もういいんじゃない?」とT村。

「そだなー」と私。



とにかく、今日は坂がないとT村が保証しているのだから、T屋先生が心臓発作を起こす確率は低い。格さんことY木も黄門様を安心させようと強調する。

「先生、大丈夫ですよ、坂は絶対ないって、T村が保証してますから。坂があったらT村のせいにしてください。」


「坂はないけど、今日も強風の予報だから、そこは心してくださいよ」とT村が言う。

それを聞いて、「僕はやっぱ、次の時はクリート付きのペダルにサイクリングシューズで来た方が良さそうすね」と、昨日は両足がつったジュンちゃんが、怖気付いてまたペダルのことを言う。


「だったら、今日行きがけに、浜松の自転車屋でクリート付きのペダルを買って行ったらどうなのよ?」とY木が言う。それを聞いてジュンちゃんは怯む。

「いや、でもやっぱ私は初心者なもんで、いきなりクリート付きペダルだと怖いなあ。足が抜けなくて、転びますよ」


「大丈夫よ。最初は変な感じだけど、コツさえつかんじゃえば、すぐに慣れるわ」と、かげろうお銀のNN子が言う。お銀は、最近サイクリングに入れあげている。この間もY木にそそのかされて、ポンと二台目のロードバイクを買ってしまったばかりだからメカにもうるさい。NN子はウエアにも金をかけていて、密かにY木とペアルックで、うん万円もするロードバイク専用ダウンジャケットを着用している。みんな鼻息が荒い。


朝食時に議論したもう一つの点は、今日の終わりにどこで解散するかだった。遠州三山を回って浜松に戻って解散するか、途中の袋井で解散するかだ。T村は、「オレたち電車組は、わざわざ浜松まで戻って来なくとも、袋井から電車に乗れば東京に近いんだから、袋井で解散にしよう」と自分勝手なことを主張する。T村にはさまざまな人間的な欠点があるが、いつも何かしら自己保身的なことを言ってひんしゅくを買うのだった。一方自動車組のY木とジュンちゃんは、「オレたちは、どうしたって浜松の駐車場までまで戻らなきゃならないんだから、袋井解散はいやだよ。浜松にしょうよ」と言う。それをじっと聞いていた黄門様のT屋先生は、「まあまあ、助さん格さんや、こんなところで仲間割れはいかんですぞ。浜松で落ち合ったのだから、浜松解散にしようじゃありませんか。浜松の問題は浜松で解決する、それが人の道というものですぞ、カッカッカッカ」と裁定した。


遠州三山を巡る旅


そう言うことで、ホテルを出発した私たちは遠州三山巡りをするべく、浜松市内を東に向かった。強風の中をT屋先生はフラフラ走っている。それを昨日と同様、Y木がサポートする。T村が保証した通り、坂らしい坂はない。しばらくは交通量の多い国道1号とそのバイパスを縫うようにして走るが、T屋先生は左端を走るのが苦手らしく、すぐに道路中央にはみ出る。すると、待ってましたとばかり大型トレーラーやバスがT屋先生を轢き殺そうと迫ってくる。それをY木が後ろから体を張って守る。恩師とサイクリングに行くのも命懸けだ。


遠州三山巡りとは、法多山尊永寺、萬松山、油山寺の三つの古刹を訪れることを指す。この三つのお寺は、浜松の東方に固まってあるので、自動車で周るなら簡単にささっと回れる感じのルートだろう。しかし我々は、黄門様を連れた中高年サイクリング集団であるから、ささっとはいかない。1日目は遠足気分でガンガン飛ばしたが、二日目となるとふくらはぎが腫れたり、お尻が痛くなったり、膝がガクガクし始めたりで、二日目私たちは、それぞれ体の悲鳴を聞きながら走っているというのが正直なところだった。



しばらく走ると天竜川だ。橋の上から雪を被った富士が見える。「素晴らしい景色じゃのう、ここで写真撮影じゃ」と黄門様が言ったので、我々は寒風吹きすさぶ橋の上で写真撮影をする。



橋を降りるとまたバイパスをしばらく走るが、すぐにトイレ休憩になった。農協のスーパーで止まり、全員トイレを借りた。それでは申し訳ないと思ったのか、黄門様がみかんを買ってきた。「これが三日日ミカンというものじゃ。美味であるから皆も味わって食べるように」とおっしゃるので感謝していただく。


さっぱりした気分で走り出すが、バイパスをこのまま走っているとT屋先生がトラックに轢かれるのは時間の問題なので、ここから裏道を走る。だんだん田舎の風景になってきて、コスモスが咲いている。やがて遠州三山の最初の目的地、法多山が田んぼの先に見えてきた。法多山にあるのは尊永寺という1300年前に開山した高野山真言宗の由緒あるお寺で、そのご本尊は60年に一度しかご開帳しない。もちろん、私は、そんなことは後から知ったわけで、その日は無心にペダルをこいでいた。唯一私が知っていたことは、ここはお団子が有名だということだった。私以外のメンバーの知識もその程度だっただろう。だから、法多山に近づくにつれて、みんな口々に「法多山でお団子、お団子!」と口に出していた。


お団子は食べなかった


ところが、結果から言うならば、法多山のお団子は食べなかった。その理由は、追々説明する。とにかく、我々は善男善女がひしめく参道をゆっくり走り、山門の前で自転車を止めた。ところがT屋先生は、「ここに置かなくても、中までずっと自転車に乗っていけばいいずら。この寺は、自転車に乗って入っても、うるさくないずらよ。それに、ここからはまだ先が長いでよ」と言い張る。



しかし、我々の前には、いかめしい山門がそびえたっている。常識的に考えると、ここに自転車を置いていくべきだ。見れば、その手前にはバイクスタンドが整備された自転車置き場がある。


「先生、自転車はここに置いていきましょうよ」とY木も説得する。しかし、それを無視してT家先生は、自転車を担いで階段を登っていく。

「俺たちはここに自転車を置いていこう」とT村が言うので、先生を無視して我々は自転車をバイクスタンドに立てかけた。先生はと言うと、我々の方を面白くなさそうにチラッと見て、自転車を山門の方に立てかけて鍵をかけている。意地でも自転車置き場には置かないつもりだ。老人のこういう意固地さと言うのはよく理解できないが、あれこれ議論して事を荒立ても仕方がない。老人には好きにしてもらって参道を歩く。



しかし、法多山の参道は、果たしてT屋先生が言ったように長かった。やっぱり自転車に乗ってくれば良かったと途中で少し思ったが、今さら先生に「我々が間違っていました!」と謝るのも癪だし、そのまま長い参道を歩いた。ところがジュンちゃんは、空気が読めない男なので、思ったことを全部口に出す。「ひゃあ、この参道はどこまで続くのやら、オイラは、また足が攣りそうやでぇ」とか言いながら歩く。すると、T屋先生は嬉しそうな顔になって、「ほらな、オレが言った通り、この参道は長いっけじゃんよ、ウフフ」と笑いながら歩いていく。


尊永寺でお参りし、その長い参道をまた歩いて帰ったのだが、帰路の途中にお団子屋があった。ところが、そのお団子は、気軽にひと串とかふた串とか買える代物ではなかった。列に並び、自動販売機で券を買って、その券と引き換えに一箱二箱という単位で買うようになっている。しかも長蛇の列で、期待していたように歩きながらお団子を1、2本食べながらカジュアルに法多山の晩秋を味わうと言う我々の心算は脆くも崩れ去ったのだった。


私は言った。「おい、行列ができてるぜ。それでもお団子買うのかよ?」私は並ぶのが大嫌いだ。券売機の横には「厄除け団子チケット」と言う立て看板がこれ見よがしに置いてある。これは、考えてみると非常に悪質なマーケティングだ。厄除けでも、お守りを買うとか、神社でお祓いをしてもらうとか、そういうのはまだ良い。しかし、お菓子に「厄除け」と銘打つのは悪どい。言ってみるならば、「この厄除け団子を食べないと、あなたの地獄に落ちる確率は、お団子を食べた人よりも15%ほど高くなるかもしれませんよ。悪いことはいわないから、買って食べなさい」と謳っているのだ。逆に言えば、私よりも15%ほど性悪のオヤジがいたとして、そいつがこの厄除け団子(一箱12本入り1400円)を買って食べれば、より徳の高い私と同じだけの確率で天国に行けることになる。これは大変不公平だと言わざるを得ない。


そこで私は、「ケッ、こんな団子を並んで買って食べるのはごめんだね」と言った。するとみんなは、私の高潔な意識に同意したのかどうか分からないが、「そうだ、そうだ、並んでまで団子を食べる必要はない」と賛同してくれたので、私たちは、偽りの団子を後にして法多山巡りを終了した。



結局、遠州一山で終わったこと


私たちは、お団子を食べないで法多山を後にしたから、非常にお腹が空いていた。お腹が空いている状態で自転車を漕ぐのは、注意が散漫になって危険である。そこで早急にお昼を食べることになって、またT村とY木が携帯で店をグーグル検索した。その結果、2キロほど先の袋井市内に蕎麦屋があることが判明したので、我々はそこに向かった。


そこは、ちょっと小洒落た、小金のある中高年を標的にした蕎麦屋だった。まさに、我々にドンピシャな店だ。そこで我々は、思い思いに牡蠣天ぷらそばや鴨南蛮などを楽しんだ。こういう蕎麦屋では静かにジャズが流れているものだが、果たしてこの蕎麦屋でもジャズを流していて、我々のようなハイエンドな顧客にふさわしい雰囲気を醸し出している。枯らしに吹かれて走り、法多山の長い参道を歩いた後の温かいうどんや蕎麦は、体に染み渡るようであった。


蕎麦を食べた私たちは、ちょっと里心がついてしまったようだった。11月末の日は短く、すでに太陽は西方に少し傾いている。「どーする?このまま、遠州三山巡りを続けるか、それとも早めに浜松に戻って、そっちでゆっくりするか?」とT村が打診する。そろそろ帰らない?という下心が見え見えだ。「そうだな、もう冬だから日は短いし、先生もお疲れだろうし、ここは早めに浜松に戻って、ゆっくりお茶でも飲んでから解散するのがいんじゃないの?今日は、みんな東京とか名古屋に帰るんだからさ」と私も誘い水を出す。すると貧脚ジュンちゃんを筆頭に、他のみんなも「そうだ、そうだ、早めに戻ってお茶だ、コーヒーだ、ケーキだ」という意見になった。


そこで我々は、遠州三山のうち一山だけを訪れただけで、くるっと向きを変えて浜松に戻ることにした。



坂の連続で苦しんだ帰り道


ところが、天はそう簡単に我々を勘弁してくれなかった。来るときは意識してなかったが、帰り道には案外たくさん坂があったのだ。急坂ではないが、それなりの傾斜を持った普通の坂が、浜辺に打ち寄せる波のように、次から次へと押し寄せてくる。


中でも、そのことに一番落胆したのはT屋先生だった。

「T村、お前嘘つきじゃんか!今朝、今日は坂はありませんって保証したずら。それなのに、この坂はどういうわけ?」T屋先生は、マジで腹を立てているようだった。これがテレビの水戸黄門だったら、T村は切腹だ。


ところがT村も、「いやあ先生、これくらいの坂は、どうしたって避けられないんですよ。それにグーグルで見ても、坂は分からないんですから」と冷たく突き放す。

先生は、「だけど、おいらは坂は嫌いなんだよ、できるだけ坂がない方から行きたいずら。どっちに行ったら、坂が少ないんだ?」と聞かない。そこでT村とY木は額を寄せて、携帯に見入って坂が少ないルートを探すが、なかなかそう都合の良い道があるものではない。

「とにかく先生、走っていって、坂が現れたらなるべく迂回するっていう方法で、先に進みましょう」と、Y木は駄々をこねるT屋先生を説得し、我々は浜松方面に向かった。


ところが、坂が現れる度にT屋先生は、

「ええ、嘘?また坂じゃんよ。T村、お前は本当に嘘つきだな。これは、えらい坂だで、ほんとうにこれを登るの?うわあ、しんどい、これじゃあ、おれは往生だ!」とか叫ぶ。ところがT村は、その声が届かないずっと後を、N N子とジュンちゃんを従えて楽しそうにおしゃべりしながら走っている。私はT屋先生のすぐ後を走っていて、坂に差しかかるたびにうるさいから、その度にグイッと車間距離を開けるようにした。


そうやってT屋先生は、孤独な戦いを強いられたのだが、偉いのは格さんのY木であった。坂に差しかかるまで先生の横にピタッとつけて走り、坂に差しかかるとダッシュで坂の頂上まで走る。そこで止まり、登ってくる先生に激励の掛け声をかけるのだった。先生も、最初はY木のそんな配慮に気付かずに、「Y木、おめえ、少しばかり脚力があるからって、おいらを追い抜きやがって、ちょっと良い気になってんじゃねえのか、こら!」とか悪態をついていた。


ところがY木は、そんな先生に優しい声をかけるのだった。「先生、もう少しですよ、あと100メートル、あと50、ほらほらそんな重いギアで登るんじゃなくて、一番軽いギアに変えてシャカシャカ漕げば楽ですよ、ほらあと10メートル!やった、先生、やればできるじゃないですか、すごいすごい!」Y木は、週に2回はスポーツジムに通って体を鍛えているので、きっとジムでこんな風にトレーナーに励まされながら運動しているのだろう。T屋先生もそれに励まされて次々に坂を征服し、我々は気がついたら浜松にかなり近づいていた。


浜松のデニーズで笑って別れる


浜松市内に入り、我々はコーヒーとケーキと言う最終目的に向けて力走を続けた。ところがそれに適した喫茶店がなかなか現れない。するとまたT屋先生が、とある交差点で急停車した。そこは「なんとかタヌキ」みたいな変な名前のお菓子屋だった。先生は、「月曜日にゴルフに行くから、その仲間にお土産を買うだよ」と言い、店に入ったきり出てこない。我々は早くコーヒーが飲みたいし、寒いし、トイレにも行きたいし、帰りの新幹線の時間もあるし、ちょっとイライラしながら外で待っていた。するとT村がまた安易な解決策を口に出した。


「面倒臭いから、もうここでコーヒーを飲んでしまおうよ。」みれば、このお菓子屋の店内は、簡易的な喫茶店になっていて、コーヒーの自販機も見える。だが、こういう安直な提案こそ、旅のグレードを著しくおとしめるのだ。


だから、Y木と私は強硬に反対した。

「こんな不味そうなコーヒーは嫌だ、もっとちゃんとしたカフェで飲みたいよ。」

「そうだそうだ、まずいコーヒーは嫌だ。」

私とY木は、T村とは違って、育ちがハイソだから自販機のコーヒーなんかは飲まないのだ。そこで浜松駅のそばまで走ったのだが、駅の近くはどこも自転車をおいそれとは駐車できない上に、どこを見渡しても我々が入りたいようなカフェが見当たらなかった。



結局、昨日泊まったホテルの前のデニーズに我々は落ち着き、そこで薄いコーヒーをガブガブ飲み、冷蔵庫くさいチーズケーキを食べた。ところが、T屋先生はファミレスの庶民的な雰囲気にすっかりくつろがれて、ケーキも堪能されていた。やはり戦後の動乱期に幼少時代を送った世代はどこかが違う。とりわけ「ドリンクバー」の制度には、いたく興味を示し、コーヒーばかりか、烏龍茶とかカルピスソーダなど、いろいろ吟味されてご機嫌だった。めでたし、めでたしである。



かくして、我々の一泊二日のハマイチおよび遠州一山KT学園同窓会サイクリングは終了した。「ストレート勝ち」と言う感じではなかったかもしれないが、私たちは、それでもすっかり満足し、まだ風の強かったデニーズの駐車場で別れた。だから、私もこれ以上書くことはないので、ここでパソコンの蓋を閉める。


終わり

 
 
 

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