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黄門様、浜名湖、遠州路をいく:KT学園中学同窓会サイクリング顛末記(その1)

2024/12/10


人生楽ありゃ苦もあるさ

涙のあとには虹も出る

歩いてゆくんだ しっかりと

自分の道をふみしめて


(水戸黄門テーマソング





我らが恩師、「黄門様」ことT屋先生


私とT村が45年ぶりくらいにサイクリング旅行に行くようになって、時々は恩師のT屋先生も参加している。T屋先生は当年とって84歳だが、まだまだお元気に愛車のブリヂストン・アンカー号を駆って、あちこち走り回っておられる。スピードダウンの兆候は全く見られない。そのかくしゃく振りは、水戸黄門のようである。


T屋先生のみならず、T村と私がサイクリングを近年再開してから、KT学園中学と高校の他の同級生たちからも「オレたちも行きたい」という声があがるようになった。そこで今回は、黄門様と一緒に浜名湖一周および、遠州三山を一泊二日でみんなで走り、大いに笑おうということになった。ちなみにT村が、KT学園同窓会サイクリングの事務局長、T屋先生は名誉総裁である(私が勝手にそう決めた)。



T村とN N子、おしゃべりに夢中で新幹線に乗り遅れる


11月末のある日、浜松駅北口で我々は朝9時に待ち合わせた。いや、朝9時に出発というはずであった。昨夜までは雨が降っていたが、今朝は快晴だ。ただし風が強い。私は、昨夜から浜松入りしていたので一番乗りだ。自転車を組み立てていると、ジュンちゃんとY木がやってきた。この二人は、電車で輪行したくない軟派サイクリストなので、自動車で浜松入りした。そのくせこいつらは道具には凝っていて、二人ともカーボンフレームで尖った感じの、私よりもずっと高級な自転車に乗っている。


「だって、輪行するとカーボンフレームに傷がつくから嫌なのよ」と、Y木は言う。その口調は中学時代から変わらない。ジュンちゃんは、「私はぁ、今回は普通のペダルで来ましたけど、やっぱりクリート付きのサイクリングシューズじゃないと効率が悪いでしょうか?こんなペダルで不安だなあ…」と、サイクリング経験不足をペダルや靴のせいにしておこうと、出発前から言い訳をしている。20キロ以上走るのは、今回が初めてらしい。

そこへT屋先生が、「よう、おめっち早いじゃん!」とアンカー号を軽々と背負って改札口から登場した。木枯らしが吹き始めて寒いと言うのに、70年代デザインのアーノルドパーマーみたいなゴルフシャツに、ペラペラのウィンドブレーカーしか着ていない。やはり超人だ。


さて、9時を回ったのに、T村とN N子がこない。この二人は新横浜から新幹線でくるはずだ。おかしいと思っていたら、T村からピピッとメッセージがきた。

「NN子とおしゃべりに夢中になっていたら、新幹線に乗り遅れた。1時間遅れる。ごめん!」


「うそだろ、おしゃべりしていて新幹線に乗り遅れるか?」と、もちろん我々はブーイングである。


「こりゃあ、今日の夕食は、T村とN N子のおごりだら」と、黄門様も渋い顔をしておられる。新幹線におしゃべりをしていて乗り遅れる人など、聞いたことがない。


格さんY木と、助さんT村
格さんY木と、助さんT村


T屋先生、心配で改札まで迎えに行く


我々は寒風とビル風が吹き抜ける浜松駅北口で、震えながらT村とN N子を1時間待った。

「あいつら、ちゃんと来るだか?オレは改札へ行ってみてくるよ。ついでにトイレへ行ってくるでよ」到着時間が近づいて、T屋先生は心配になってきたようだ。年寄りは心配しても仕方がないことを心配する。心配するとオシッコが近くなる。

ピッタリ1時間遅れで、T村とN N子が到着した。


「だって、新横浜でT村くんと久しぶりに会ったら、話すことがいろいろありすぎて、自転車を畳むのが遅くなったんだわ。気がついたら発車時刻まで5分しかなくて、乗り遅れたの。うふふふ」とNN子は笑ってごまかそうとする。NN子は、昔は可愛い女子だったが、私たちと同世代だから、もはや「可愛い」と言う形容詞はいくら何でも当てはまらない。だから笑ってごまかそうとしても全く無駄な努力だ。でも、どうであっても女子は女子だから、我々おじさんたちとしては紅一点がいるのはとても嬉しい。NN子は、どうしたわけだか最近ロードバイクの虜になり、あちこち盛んに走り回っている。T屋先生が黄門様ならば、NN子は「かげろうお銀」(演じたのは、由美かおる)ということになるが、それではいささかNN子を持ち上げ過ぎかもしれない。


とにかく、「かげろうお銀」だろうが何だろうが、遅刻したのはよくない。実はNN子は、詳しいことは書かないが、責任ある立場で、教育者的な仕事をしている。だから基本的にはきちんとした人間なはずで、普段は遅刻などしないはずだ。だから、遅刻した元凶はT村にあるに決まっている。大体T村は、相手が女性となると妙に饒舌になり、話が止まらなくなる傾向がある。女性相手に台所を売りつける営業マンを何十年も続けているから、職業病だろう。NN子は聞き上手だから、T村にしたら余計に舌が滑りすぎて止まらなくなったのだろう。そうに決まっている。


ハマイチは風が強かった


さて我々は、浜松駅を1時半以上遅れて出発した。T村とNN子は、遅れた罰に今夜食べる浜松餃子をみんなに奢ることになった。私は、そんなことは不必要だと思ったが、T屋先生がそうしろと言うのでそうなったのだ。T屋先生には、そんな厳しい一面もある。


逆時計回りに浜名湖を回るのが本日の予定だ。風はビュンビュン逆風に吹いている。1時間半遅れても、湖を一周する距離は短くならないし、一周だから近道もできない。どうしたって最低65キロは走らなくてはいけない。だから、我々はかなりのハイペースで走り出した。走り出してすぐに、「うわあ、こんな風で大丈夫かな?私、20キロ以上は走ったことがないんです」とジュンちゃんは、また泣き言を言ったが、「途中で倒れたら見捨てるしかないだら。タクシーを拾って帰ってこいよ」と、黄門様は冷たく言い放った。


最近のサイクリング界では、どこかを一周するという走り方が流行っている。有名なのは琵琶湖一周の「ビワイチ」だ。KT学園同窓会サイクリング部でも、私とジュンちゃん以外は、前回ビワイチをやっている。そして今回は「ハマイチ」だ。ハマイチは、ビワイチより地味なコースだという評判だ。案の定浜松を抜け出てもずっと市街地が続き、直線のバイパスをずっと行く。


先頭を切って走るのは、T屋先生だ。T屋先生は、年老いても我々の担任だという意識が抜けないので(その後校長になった)、どうしても先頭を走るおつもりのようだ。T屋先生は時折風にあおられて道の真ん中にフラフラとおどり出る。危ないったらありゃしない。それにぴたりと追従して走っているのがY木である。Y木は昔から心配性だから、まるで黄門様に付き添う格さんのように、ピッタリ後を走っている。「先生、もうちょっと左に寄ってくださーい」「先生、後ろからトラックが来ますよー、ひかれますよー」「先生、赤信号では止まってくださーい」と、ずっと叫んでいる。実に頼りになる。その後をジュンちゃんが必死についていく。



私の後からは、T村とNN子がおしゃべりをしながら走っている。というか、T村が一方的に喋っているようだ。NN子はそれを笑いながら聞いている。T村の奥さんが言っていたが、彼は長年おばさん相手に商売をしてきたから、このごろ精神状態が「おばさん化」してきたらしい。T村の奥さんはT村の元同僚なので、言うことに信ぴょう性がある。だからT村は、女性と話すのが一番性に合っているのだろう。つまりT村は、外見は「おじさん」だが中身が「おばさん」なのだ。その証拠に、妙に気がきくところは、中年のオヤジとはとても思えない。そう言えば、昔よく八百屋とか魚屋にこういう「おばさん」オヤジがいたものだ。だから女性たちは、彼に対してガードが緩くなる。T村は自分では気がついてないと思うが、もはや彼は、LGBT QIプラスの、BかTあたりに属していると思われる。T村の変容は、進化論の典型的な一例とも言える。


ウナギにも個性がある」とT屋先生


バイパスを走って行くと、だんだん左側に浜名湖が見えてきた。やっとこれで浜名湖一周している気分になってきた。対岸に浜名湖大橋が霞んで見える。


「うっそー、あそこまで行くんかいな?遠いなあ」と貧脚のジュンちゃんは嘆く。

「そうだぞ、足がつったら置いていくからな」と、私は冷酷な声で言う。

「おれ、腹減ってきた」と、朝5時に東京を出てきたY木がいう。

「そうだ、そうだ、腹が減った」とみんなも言い出した。時計を見ると昼近い。

「やっぱり、浜名湖といえばウナギだら」とT屋先生は言う。

黄門様がそう言っているのだから、みんなも口を揃えて、「ウナギだ、ウナギだ、ウナギを食べたい」と言い出した。そういう声を聞いていると、かく言う私も、ウナギを食べたくなった。


Y木とT村が、まるで格さんと助さんのように、すぐに携帯を取り出し、パンパーンと検索する。「ご隠居、この先に『さくめ』という鰻屋がありますぜ」と格さんのY木が見つけ出した。そこで我々は、さくめを目指してエッホエッホと足取り軽く走りだした。


さくめに着くと店は満席であったが、ちょっと待っているとすぐ席が空いた。黄門様と格さんY木はカウンターの特等席に座る。そこからだとウナギをさばくのが見られるのだ。残りの私たちはテーブル席だ。


さほど待たずに鰻重が登場する。思ったよりもでかい鰻だったが、みんなものも言わずに食べてしまった。ウナギで腹がいっぱいになった私たちは、すぐに店を出された。外で庶民たちが列をなして待っているから、ゆっくりさせてもらえないのだ。


「なかなか結構なウナギであったのう、格さんや。カッカッカッカッ!」と、黄門様はご満悦だ。そう言うとすぐに、医療用糸付き爪楊枝を取り出し、シーハーシーハーし始めた。先生のご令嬢は歯科医で、先生はいつも爪楊枝を携帯しているのだ。健康な歯は長寿の基本だ。慶賀の至りである。



シーハーシーハーしながら先生は言った。

「ウナギにも個性があるでよ。驚いたで。」

「はっ?それはどういうことです?」と私。

「さばかれると知って、大人しくさばかれるウナギもいれば、逃げまくって捕まらないウナギもいるでよ。それがウナギの個性だら」と先生。


さすが学校の先生を長年勤めてきた人の言うことには含蓄がある。ウナギに個性があることを見抜くとは、並の眼力ではない。


黄門様、鷲津で突然ストップする


ウナギパワーで、我々は元気に浜名湖西岸をまた走り始めた。そう思っていたら道に迷い、みかん畑の中の農道の急坂を登ったりした。そしたらその直後、ジュンちゃんの足が両足同時につってしまった。やはりこうなったか、という感じだ。


「やっぱり、このペダルがいけないんですかね?」と、ジュンちゃんは足をさすりながら、ペダルのせいにする。みんなは、そうだとか、そうでないとか、色々な意見を言っている。だが、つまるところ足がつるのは、筋肉が貧弱だからだ。ペダルが何であるか、靴がどうであるかは二の次である。経験を積んだサイクリストとして、私はそう考える。しかし、思い起こせば、この頃私も時々足がつるので、そろそろ高性能なペダルとシューズにしようかと密かに画策しているから、あまり偉そうなことは言わないでおいた。


足がつったのを、ペダルのせいにするジュンちゃん
足がつったのを、ペダルのせいにするジュンちゃん


また走り出すと、今度は鷲津と言うところで、突然T屋先生が止まった。黄門様が「止まれ!」と言ったら、みんな止まらなくてはならない。


「先生、どうしました?」と助さんのT村が尋ねる。

「うん、ここで昔モーターボートにのって浜名湖に出たずら。そしたら途中で嵐になって、びしょびしょになって戻っただら。そのモーターボートは、ここでパチンコ屋をやっていた何某の持ち物だったでよ。その何某は、悪いことやって大金を儲けて、その金でモーターボートを買ったずら。そんで、そいつの店がここにあるから、ちょっと挨拶していく」という話だった。我々にはちっとも何の話だか分からなかったが、とにかくT屋先生を待つことにした。T屋先生は「ここがその店があった場所だ」と言いながら、駅の横の学習塾のビルにすたすた入っていった。T屋先生は教員生活が長かったので、静岡県下の色々な業種の人たちを知っていて、その中には多少の反社会的勢力みたいな人たちもいるみたいである。私たちは、怖い人が出てきたらすぐに逃げられるように、ヘルメットは脱がず、ペダルに足をかけたまま待機した。 


T屋先生は、ほどなく建物から出てきて言った。

「もうその何某はここにはいないんだってよ。商売に失敗して夜逃げしたらしい。」

我々はそれを聞いてホッとした。T屋先生も、昔の知り合いの消息が分かって満足したようだった。


妙な盛り付けの浜松餃子を食べる


初冬の日は短い。その後はジュンちゃんの足も心配なので、お茶を飲んで一休みしたりしたから、どんどん陽は落ちていく。浜名湖大橋を渡るあたりからだんだん夕暮れになってきて、我々はさらにスピードを上げた。先頭を矢のように走るのはT屋先生である。先生は、なぜだか夕暮れになればなるほどスピードがあがる傾向がある。84歳の老人が浜名湖を一周し、最後に教え子を出し抜くとは、いったいどう言うことなのだろうか。誰かに説明してほしい。スポーツジムで鍛えているY木は流石にピッタリとT屋先生につけているが、その他の我々は二人のペースについていくのに苦労している。


浜松市内のホテルに着いた頃は、そろそろ街灯がつき始めた頃だった。我々は、自転車ごと各自の部屋に収まった。そのあと風呂を浴びてリフレッシュし、みんなで浜松餃子の店に繰り出した。


餃子は、今朝遅刻したNN子とT村の奢りと言うことであったので、二人は皆に餃子を暴食されたらどうしようと、気が気ではないようだった。案の定T屋先生は、「腹が減ったから、餃子は一番でっかいやつにしないと足りないずら」と主張し、一皿65個という一番大きい皿をためらいもなく注文した。私たちはお腹が空いていたので、65個の餃子をパクついた。


それで、浜松餃子は何が特殊かと言うと、餃子自体にはあまり特殊性がなく、付け合わせにもやしが付くという点が特徴のようだった。何だか肩すかしである。普通の餃子にもやしをつけて浜松餃子と名づけられるならば、何かにもやしを付けさえすれば、それは「浜松XX」になるのだろうか?もしショートケーキにもやしをつけたら、それは「浜松ショートケーキ」にならなければおかしい。私はもやしが好きであるから、それに異存はないが。


それだけでなく、我々が注文した65個の餃子は、刺身を盛り付けるような檜の台上に、まるでシャチホコのような形で盛り付けてあった。そして、もちろんその横に、茹でたもやしが付け合わせてあった。「えー、これが浜松餃子なの?変なのー」とNN子は言った。


餃子腹の私たち
餃子腹の私たち


我々は、浜松餃子だけでなく、卵焼きとか、焼き鳥とか、他にも雑多なるものを食べた。食事が終わると、「よし、明日は遠州三山だな」と事務局長のT村が締めくくるように言った。我々は、逆風の中を一日走ったせいで、けっこう疲れていた。Y木とジュンちゃんは、朝5時に車で出発して浜松まで来たから眠そうだった。NN子も、T村の饒舌に一日付き合って、脳みそがスリープ状態のようだった。私も心地よい疲れに襲われ、早くベッドに横になりたい欲求と戦っていた。T屋先生は、シーハーシーハーに余念がなかった。


そこで我々はハシゴ酒もせず、カフェにも寄らず、ホテルによたよたと帰った。T屋先生の足取りが一番確かだったかもしれない。


(その2に続く)

 
 
 

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