郵便受けの未来
- 鉄太 渡辺
- Mar 20, 2021
- 3 min read
我が家は、メルボルンの東側、ベルグレーブの町にあります。ここの家に引っ越してからもう 20年以上経ちました。引っ越してきた時なぜかちゃんとした郵便受けがついてなかったので、自分で作りました。それが20年経ったらペンキが剥がれ、板も虫食いでボロボロになったので、昨日作り直してペンキを塗りました。この20年間にはインターネットが普及し、もうちっとも手紙を書かなくなりましたが、それでもまだいくらかは郵便が来るので、まだ郵便受けはなくせません。
20年経った郵便受け

この間、近所を歩きながらいろいろな郵便受けを観察しました。なかなか工夫を凝らした楽しい郵便うけもありましたが、仕方なくそこにある、そんな感じの古びた郵便受けも増えた気がします。古びた郵便受けからは、愚痴やら不平が聞こえてくるような気がしました。「いつも送られてきた絵葉書はどこに行ったんだ?きれいな絵葉書を見るのが楽しみだったのに!」、「手紙や誕生カードはどうしたのかしら?娘も孫も何も送ってくれないわ」、「以前は銀行からの通知や電気代の振込用紙なんかも定期的に来たのに、それもこない。みんなインターネット決済らしい。私の立場はどうなる?」、「入ってくるのはチラシとかダイレクトメールばかり。私はこんなもののためにあるんじゃない!」







今も、うちのあたりではバイクの郵便屋さんがほぼ毎日来ます。でも、我が家の場合郵便は1、2通あれば良い方でしょうか。と言っても事務的なものがほとんどです。あとはチラシばかり。オーストラリアでも、アマゾンやネットショッピングの普及で宅配便は増えました。書籍や小物は郵便受けに入っていることもありますが、大きな箱は郵便受けに入らないから手渡しになります。これはいちいち面倒ですね。
私の父は物書きだったので、私の子ども時代はいつも家で仕事をしていました。急ぎの用事は電話でしたが、それほど急がない用事は葉書や手紙でした。仕事の合間に街角の郵便受けまで歩くのが父の散歩がわりでした。出版社からは毎日のように書籍や書類が送られてくるので、我が家の郵便受けは大きくて丈夫な鉄製のものでした。郵便が来ると「どすん!」という音が聞こえました。それでも郵便受けがいっぱいになってしまうことがあって、そうすると郵便屋さんが迷惑顔で玄関まで運んできました。父の引き出しを開けると、葉書や切手の買い置きがたくさんありました。1980年代後半には、父はファックスを導入しましたが、それでも郵便の重要性はそれほど変わりませんでした。

きれいになった我が家の郵便受け
さて、うちの郵便受けは、腐った板を張り替えてペンキを塗ったら、とてもきれいになりました。番地の数字も新しくステンレス製のものを付けたのでピカピカです。これでまた20年は持つでしょう。さあ、もうたくさん郵便がきても大丈夫!
でも、この先、郵便はどうなっていくのか? そこに郵便受けの未来もかかっているわけです。
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