神様がくれた「38平方メートル」
- 鉄太 渡辺
- Dec 31, 2015
- 10 min read
2015年12月
暦を一枚めくって、2015年も12月になった。師走。
さて、前回のブログにベランダを作る為、土台を埋める穴を掘っていることを書いた。そのベランダが完成した。土台の穴を掘り始めてから二ヶ月。本職の大工なら二週間くらいで仕上げる仕事だろうから、その何倍も時間がかかったことになる。

作る上で、どこが一番大変だったかと聞かれても分からない。穴掘りだったかもしれないし、合計410メートル長のデッキ板に、等間隔に穴を開け、そこに5センチのネジを埋め込んでいく作業だったかもしれない。ネジは合計で1300本埋め込んだ。
実はもっとゆっくり仕上げたかったのだが、11月中旬、娘の鼓子(ここ)に期限を付けられた。「パパ、私の二十一歳の誕生パーティーに間に合わせてね。」鼓子は12月18日に二十一歳になる。二十一歳になると、オーストラリアでは成人になったとことを祝う習慣がある。そのときは、友達や親類を呼んで大いに賑やかにやる。(現在、法的な成人は18歳であるが)。
僕は絶句した。「えっ! そんな、間に合わないかもよ」。すると鼓子が言った。「間に合わないなら、パーティーをキャンセルするから、そうなら早く言ってね。」
と言うわけで、娘に甘い父親は、焦ってデッキ作りに精を出す毎日になった。
ところが、土台の穴掘りが終わった頃、ちょっと胃の調子が悪くなり、胃カメラを飲んで検査することになった。人生初めてのイベントだった。幸い、胃は胃酸過多ということで、それほど大事には至らなかった。やれやれ。
土台の埋め込みが終わると、土台の上に桟(さん)を渡す作業だ。これは正確さが問われる作業なので、緊張した 。左右も上下も、寸法がぴったり合い、しかも上板を渡したときに面が水平にならなくてはならない。だから、水準器を片手に、電動ノコで土台の杭を切る時も、切り口が水平になるように気をつかった。ここも、どうにか乗り越えた。

さあ、次はいよいよ上板を註文して、それを張り付ける段階だ。上板を註文する為に広さを計ると、全部で38平方メートルあった。
近所のホームセンターに行く。店主のグラントの計算によれば、38平米だと、90センチ幅のデッキ材が410メートル分必要という計算だった。しかも、このうち5%は無駄な端材となる言う。上板は硬質で、しかも防水のきく木材だから、一番値の張る材料であることは言うまでもない。無駄は出したくない。
とにかく、410メートルとは驚いた。一体いくらになるんだ? するとグラントは、僕の気持を汲み取って、こう言った。「テツタさんも多分ご存知のように、現在大手XXと〇〇というふたつのホームセンターは、デッキ材料の値段で互いに競っているんですよ。だから、はっきり言うと、XXで買うのが一番安い。でも、当店とテツタさんは、これまで、とても良い関係を築いてきましたから、私としてはぜひ誠意のあるところを見せたい!」
こう言うと、グラントは景気良く計算機をパンパンと弾いた。それは、思っていたより300ドルほど安い値段だった。こうして商談は成立した。僕も、大手ホームセンターを儲けさせるより、地元の個人商店を応援したい。
結局、一メートル5ドルくらいだったので、410メートルで2000ドル以上かかった。しかし、これくらいのデッキを大工に作らせたら2、3千ドルではとても済まないので、文句は言えまい。
また、このデッキ材を張る為には、デッキ用の枕頭ネジが必要だが、何本必要なのか皆目分からなかった。(結局、500本入りの箱を二箱半、1300本程使った。)
それから、デッキ材を切るノコギリもいる。これは普通のノコギリで大丈夫。ただし、切れ味が良くないといけないので、ドイツ製の新品を買った。410メートルのデッキ材(全部で140枚)をぎこぎこ切っても、まだ切れ味はそれほど悪くならなかった。なかなか優れもの。
それから電気ドリル。うちには二つあるので重宝した。ひとつは、穴あけ用、ひとつは枕頭ネジを入れる用。枕頭ネジは、プラスマイナスのネジでなく、四角い穴があいた特殊なものだった。
ほどなく、デッキ材も届いた。いろいろな長さのものが140本。ものすごい量だ。本当にこれを張っていくわけ?
さて、最初の一本。
デッキ材を束から取出して、驚愕。2メートルのもの、3メートルのもの、4メートルのもの、どれひとつとしてまっすぐなものはない。みんな弓形に曲がっている。酷いものは、真ん中で、1センチ以上湾曲している。
「これって不良品じゃないの!」僕は、すぐにホームセンターのグラントに会いに行った。
グラント曰く、「木材ってのは、みんな曲がっているものなんです。だから張るときは、クランプとか、ねじ回しをテコに噛ましてね、ぐっと押さえてまっすぐにして、そのすきにドリルで穴をあけ、そこへネジを入れてやると、まっすぐ張れますよ。思ったよりも簡単、簡単。すぐ馴れますよ。グッドラック!」だって。
でも、こんな長いものを押さえながら、ドリルで穴を開けて、ドリルを持ち替えて、そのままネジなんか入れられるかよ。手が三本必要じゃないの!泣きたい気持だった。
そんなで、最初の一列(約10メートル)を張り付けるのに、午前中いっぱい奮闘。張っても、デッキは、何だか うねうね曲がっている。その上、かがんで作業をするので、腰は痛いし、腕は痛い。ドリルで木ネジを止めるから、腕は腱鞘炎になりそう。これを10メートルかける40列もやるわけ? まったく途方に暮れた。
ところが、そんな調子で初めた割には、二列、三列やるうちに、段々コツが分かってきた。酷く湾曲したデッキ材を矯正するには、車のタイヤジャッキが役に立った。成功した時は、思わず快哉を叫んだ。
こうして、毎日午後になると、毎日二時間ほどデッキを張り続ける生活が続いた。
「目覚めよ! 神様にしてみたい三つの質問」
ある日の午後。デッキ材を計っては切り、ドリルで穴を開け、枕頭ネジでとめる作業に没頭していた。祈る様な格好でひざまずき、夢中で仕事に打ち込んでいた。
すると、頭上で日本語の声がした。「お邪魔しまぁーす! おやおや、お仕事中ですか?」
見上げると、スーツを着た若い男二人が、玄関先からこちらを見てニコニコしている。スーツを着た人なんか、メルボルンのここらで見かける事はまずない。しかも、スーツを着た日本人と言えば、宗教パンフレット配りに来た青年たちに間違いない。
この人たちは、度々我が家を訪れている。あるとき、どうしてメルボルンの果てのこんな所に日本人が住んでいるのか分かるのかと尋ねた。すると、「電話帳を見て、日本のお名前の方を訪問させていただいているんですよ」という答えだった。そう言えば、うちは電話帳に名前と住所がでている。最後に電話帳を見た時点で、メルボルンには「ワタナベ」さんが7、8名掲載されていた。結構いるもんだな。
僕がドリルを下に置いて、近づくと、二人は恐縮して、揉み手をしながらニコニコ笑った。「お忙しい所、申し訳ありません。大工さんですか?」
この人たちは、いつも礼儀正しい。一方、いつも僕はぶすっと答える。
「いいえ、これは自分の家なの。デッキ作りを趣味でやっているだけ。」
すると、「すごーぅい! これ全部自分で作ったんですか?」と、丸顔の男が素っ頓狂な声で言う。やや関西弁だ。
「ええ、全部自分で作ったんだよ。で、何か用事?」と、僕は(分かっているくせに)聞いた。
「お忙しいところ、すみません。このパンフレット置きにきたんです。良いことがいっぱい書いてあるから、ぜひお読み下さい!」と、また丸顔が言う。
「わざわざ、どうも。いつもご苦労様。大変ですね、遠くまで」と、僕は皮肉っぽく 言った。
「うふふふ、大丈夫です」とまた丸顔。こいつは、何を言っても笑っている。けっこう徳をつんでいるのかもしれない。もう一人は、無言でニコニコして立っているだけ。
「こちらには長くお住まいですか?」と丸顔。
「そうねえ、15年以上かな」と僕。
「すごーぅい!そんなに長く?」と丸顔が、ため口で、うれしそうに叫ぶ。
僕は、吹き出しそうになり、「お二人は?」と、尋ねる。
「僕たち、ワーキングホリデーです。うふふ。」と、丸顔。
ワーホリで、布教に来たのかな? だったらよくビザがもらえたな。
「じゃあ、オーストラリア生活を楽しんでね。では、僕はまだ作業があるんで」と、僕はドリルを手に持った。
「そうですよね、そうですよね、お邪魔してすみませんでした。」と二人は、揉み手しながら後ずさって、姿を消した。
しかし、よく来るよなあ、こんなところまでと僕は独り言い、一休みすることにした。コーヒーを入れる間、例のパンフレットを見る。
「祈れば何か良いことがありますか?」とか「目覚めよ! 神様にしてみたい三つの質問」とかある。ぱらぱらめくって読む。なるほど、害になることは書いてないし、良いことがたくさん書いてあると言っても過言ではない。「神様にしてみた三つの質問」とは、
1.(神は)なぜ苦しみを許しているのですか?
2.なぜ宗教は、偽善に満ちているのですか?
3.なぜ人は存在しているのですか?
こりゃあ、どれも深遠な質問だな。その答えは、いちいち書くまでもないが、およそ400字程にまとめられ、分かりやすく書いてある。それ以外にも「宗教と進化論が両立するか」といった解説もある。

宗教って言うのは、分かりやすいのがミソなんだな!と僕は、一人納得してしまった。でも逆に、これだけ単純化するのもちょっと怖いかも。こういう、かなり割り切った説明を聞いて、「そうか、そうだったのか!」って、そう簡単に納得できちゃうわけなの、君たちは?と、さっきの丸顔を思い浮かべる。(あいつなら、そうかも。)
コーヒーを飲みながら、「遠くから来たんだから、さっきの二人にもコーヒーくらいふるまっても良かったかな」と思う。でも、それじゃあまるで、落語に出てくる横町のご隠居だ。(まだ、そんなに年とってないよ、俺は)。

しゃがんで、デッキを張っていると、宗教の方達だけでなく、鳥もやってくる。これは、キングパロットというオウム。
ところで、去る11月9日は、息子鈴吾郎の誕生日だった。鈴吾郎は13歳になった。いよいよティーンエージャーである。その息子は、あたかも子ども時代に決別する様に、パーティーをプールでやった。クラスメートが全員来た。そして、みんな腰が抜けるくらい、楽しそうに遊んだ。まるで5歳のチビにもどったみたいに。親たちも、大人に変わりつつある思春期前期の子供たちが、声変わりのだみ声で、はしゃぎ回るのを見て笑っていた。
「サイコーだったな!」息子は、帰りの車の中で満足そうにつぶやいた。僕は、子どもの心のままの 息子がいとおしくて、胸が一杯になった。

いよいよ、デッキ張りも終わりに近づいた。
最後の4、5列になると、残りの空間の幅が気になり始めた。きっちり90ミリ 幅にしないと、最後の一枚がぴたっと収まらない。
ところが案の定、最後の空間は、苦心して調整したにも関わらず、5センチちょっととなった。9センチのデッキ材だから、半分の幅に切らなくてはならない。しぶしぶ僕は、電動ノコで長いデッキ材を四センチちょっとの幅に切った。最後は、カンナを使ってミリ単位で削った。
そして、デッキは完成した。38平米のデッキ。僕はうれしくて、心もピカピカだった。
「すごいね、よく出来たね!」と、室内で絵本の挿絵を描いていた妻のチャコも外に出てきて、新品のデッキを眺めた。
「38平米だよ」と、僕は言った。
「38平米! すごいじゃないの」と、チャコがニコニコした。
そのとき思い出した。38平米とは、僕たちが結婚してすぐ住んだ2DKの公団住宅の広さだ。狭いアパートだったが、新婚の二人には住めば都だった。
その公団アパートに住んだ理由は、結婚前アメリカの美大に留学していて、なかなか帰国してくれないチャコを、是が非でも日本にひき戻して結婚する為に、僕は公団の空き家抽選に申し込んだからだ。あるとき僕は、住宅整備公団の事務所で、立川市幸町団地に「2DK、家賃3万4千円」の空き家が あるのを見つけ、さっそくダメ元で申し込んでみた。
倍率は137倍だった。ところが、それが当たった。当選のハガキを握りしめ、僕はボストンのチャコに国際電話をかけた。「当たったよ、公団があたったよ! 137倍だ。立川だ!」チャコは、僕が何の話をしているのか、しばらく分からなかったようだ。
まあ、その公団住宅があたったからだけではないが、無事にチャコは3年の留学を切り上げ日本に帰ってきて僕と結婚した。当時、大学の非常勤講師だった僕には、狭くても何でも、家賃の低さがとてもありがたかった。この団地には二年間住んだ。いろいろなことがあった二年間だが、そのことは今は書かない。
でも、あのときはきっと、神様が僕たちを見ていたんだと信じている。
38平米。この一致は偶然かな? いや、偶然じゃない。きっと初心に戻れってことだ。神様がいたら聞いてみたい。「ベランダが38平米なのは、単なる偶然? それとも必然?」
とにかく、いよいよ次は、鼓子の二十一歳のバースデーパーティーだ。

ベランダは間に合ったのだが、そのせいで、車庫の屋根の高さが足りなくなってしまった。今はこの改修をしている。バースデーパーティーに間に合うかな?
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