日本帰国中の自転車旅行第二弾: 山形県最上川サイクリング三日目、尾花沢から銀山温泉を経て、羽根沢温泉まで(走行距離約80キロ)
- 鉄太 渡辺
- Aug 6, 2022
- 12 min read
2022/08/06
「川は、その深い叡智とその秘密を、人の心に静かにささやきながら流れている。」
マーク・トウェイン
「川はね、急いだって仕方がないことを知ってるんだ。いつかそのうち着くもんだってね」
クマのプーさん
「自転車で走っている状態の人間というのはいったい何を考えているのであろうか。この疑問を解決するために私は実際に自転車に跨ったとき、いま自分はなにを考えているのかと考えてみた。そうすると、当然のことながら、『自転車に跨った私はいまなにを考えているか』と考えながら走っていることを私はしっかり認識したのであった。」
伊藤礼『自転車ぎこぎこ』(平凡社)より

銀山温泉へ寄り道
「ビジネスホテルおもたか」で朝食を食べたのは、私とT村の二人だけだった。昨晩は職人風の男たちがあと二人泊まっていたが、もう出発したのか、その姿はなかった。
こういう地味な宿の朝食には、取り立てて珍しいものは出てこないだろう。ただ、嬉しかったのは味噌汁が美味しかったことだ。仕事で旅しているお客に、せめて美味しい朝ごはんを食べさせてやろうという女将さんの思いやりがそのまま味噌汁の香りに出ている。「いやあ、美味しい味噌汁ですなあ!」出張の多い営業マンT村は、こういう点にちゃんと気付く。女将さんは、「いいえ、でも、たくさんお代わりしてくださいね」と、恥ずかしそうに頬を染めた。
さて、我々の本日の目的地は、新庄の先の鮭川村の、そのまた先の羽根沢温泉だ。どん詰まりの山奥の温泉宿だ。尾花沢から真っ直ぐ行けばたった40キロだが、私たちは銀山温泉に寄り道するつもりだし、蛇行している最上川沿いに行くから、今日もまた80キロは走ることになるだろう。
銀山温泉は、1980年代にN H Kドラマ『おしん』で有名になったと言う。宮崎アニメ『千と千尋の神隠し』の舞台になったことでも知られている。小さな温泉街だが、大正時代と見紛うような立派な木造建築が銀山川の両岸に軒を連ね、その中には隈研吾設計の旅館もあると言う。ビジネスホテルおもたかのご主人は、「昔はただの湯治場だったんですがね」と笑う。
銀山温泉に寄ろうと言ったのは私だった。T村も建築に興味があるから、すぐに「じゃあ、行こう!」ということになった。そもそも私が銀山温泉の名前を初めて聞いたのは、メルボルンの知り合いからだった。それは娘の大学の同級生のメルちゃんだ。メルちゃんはシンガポール人で、弁護士になった才女だが、才女なだけではなく超美人である。天は、時には二物を与える好例かもしれない。そのメルちゃんが、「私、日本にはまだ行ったことないけど、ぜひ行ってみたい場所があるの…」と、長いまつ毛をパタパタさせて訴えた。「それはどこかな?」と尋ねると、「銀山温泉っていうところで、宮崎アニメの舞台になった場所です。とても綺麗なところ!」とメルちゃんはインスタ写真を見せてくれた。それは冬景色の銀山温泉で、いかにもインスタ風の写真だったが、なるほど美しい場所に見えた。
そこで行ってみることにあいなったわけだが、尾花沢から銀山温泉へは15キロほど逆戻りで、しかも登り坂だ。だが、私たちは元気よく田舎道を走り、1時間ちょっとで銀山温泉に着いた。そこは聞きしに勝る、きれいな温泉街だった。銀山川の清流には鱒の群れが泳いでいるのが眺められた。

私は早速その素晴らしい光景をバックにセルフィー撮影し、その場でオーストラリアのメルちゃんに「銀山温泉に来たよー!」と一報した。そしたらすぐにメルちゃんから、「ステキー!」という返事が来た。ただそれだけのことだが、おじさんとしては若い娘に「ステキー!」と言われると嬉しい。それだけでも、まわり道した甲斐があったと言える。一方T村は、そんなこととは知らず、熱心に銀山温泉の建築を見て回っていた。

しかし、銀山温泉は一泊5万円を払うつもりのない人間には、あまり用事のない場所だった。コーヒーを飲ませるカフェも見当たらず、仕方なく私たちは、自動販売機の貧相なコーヒーを飲みながら、30分ほど大正ロマン的な高級旅館を眺めた。しかし、その後は、もうこれ以上感心するものもなくなったので、私たちは銀山温泉を後にした。
スイカ畑の中を走っていく喜び
当たり前だが、銀山温泉までは上り坂だったので、帰りは下りだった。これがサイクリングのいい所で、苦あれば楽ありだ。私たちは畑の中に農家がぽつんぽつん見えるだけの広大な風景の中を走った。農道に毛が生えたような県道には、ほとんど車が通らない。初夏の午前中、ペダルをカラカラ回しているだけで時速30キロで突っ走っていける。遠くには奥羽山脈が霞んで見える。
今朝出発した尾花沢の町外れをまた通り抜け、私たちはじきに最上川に合流した。ここらはスイカの産地なので、どこもスイカ畑だ。まだ収穫には早いが、農家の人たちは畑のあちこちでハサミを持ち、スイカの蔓の剪定をしながら、小さなスイカを間引いて畦道に放り投げている。昔そういう小さいスイカの糠漬けを食べたことがあるが、キュウリなんかよりもずっとうまかった。日本には何て美味しいものがたくさんあるんだろう。そんな素晴らしい国に生まれて私はとても幸せだ。私には、もう25年も住んでいるオーストラリアが第二の故郷だが、悪いけどオーストラリアにはそれほど美味いものは滅多にない。
そんなことを考えながら走っていると、ふと頭に俳句が浮かんだ。
どこまでも 西瓜の蔓の 伸びる里 (鉄沈)
鉄沈は私の俳号である。自分で考えた名前だが、良い俳号なのか悪い俳号なのか分からない。いつか俳句に詳しい人に聞こうと思っているが、まだその機会がないままでいる。
しばらく走ると「スイカ橋」と言う名前の橋があった。欄干にスイカの飾りが付いているので、きっと「スイカ橋」という名前だろうと思ったら、やっぱりそうだった。そこで、さっきのスイカの俳句をT村に披露した。すると、T村は「そんな簡単に俳句が作れるなんて、すごいなあ!」と感心してくれた。ほめられて嬉しかったから、俳句の作り方のミニレッスンをした。


「最初から575にまとめるんじゃなくて、写真を撮るみたいに情景を心に留める。そして、その時感じたことを、言葉や比喩や季語で表現してみる。それをオニギリを握るみたいに575に整えていく。難しく考えなくとも案外できるもんだぜ。」
「へぇー、なるほど。俺でもできそうだな」とT村は言った。
また走り出す。すると、10分ほど走ったらT村が突然自転車を止めた。「おお、一句浮かんだ!ちょっと待って」とこう言って、ケータイに俳句を打ちこんでいる。そして、「今、俳句をメールで送ったから読んでみて」と言う。
私は「??」とケータイを取り出してみると、T村からの俳句が来ていた。
霞む山 目指して抜ける 田畑みち (T村)
「ね、なかなか良いでしょ!」とT村は嬉しそうだ。
「ふーん、なるほど。まあ、一応俳句かもな」と私。
また走り出す。すると、またしばらくしてT村は自転車を止める。「あ、またできた!」と言ってケータイに打ち込む。私のケータイに、「ポーン!」とまた俳句がくる。
花笠の 西瓜に宿る 陽の恵み (T村)
「すごいね。いきなり二句も続けて書くとは」と私は褒める。また走り出す。するとまた10分も行かないうちにま停止して一句。
*モルダウの 調べの向こうに 最上川 (T村)
*「モルダウ」とは、チェコの作曲家スメタナによる楽曲
どうやらT村は、「俳句頭」になってしまったらしい。「俳句頭」とは私の造語だが、いったん俳句を考え始めると、思考がどうしても575にまとまってしまう状態を指す。そうすると、他の思考ができなくなる。私は、一人旅の時など俳句を書き始めると時々そう言う状態になる。たくさん書きたい時は良いが、夜寝る前なんかに俳句頭になると、寝られなくなってしまう。しかし、T村は嬉しそうに、次から次へと私のケータイへ俳句を送ってくる。
最上眺め 付かず離れず チャリロード (T村)
朝霧の 山の匂いが 脚軽く (T村)
そんなで、走っては停止の状態が続く。こんなペースで、果たして今日中に羽根沢温泉につけるだろうか。今朝は銀山温泉へ寄り道しただけで、実はまだ尾花沢からちょっとしか走ってない。昼飯もまだだ。羽根沢温泉はまだ40キロも先の山奥にある。先が思いやられる。
15分だけの梅雨
止まったり、走ったりしながら川前というところにきた。最上川が大きく蛇行していて、そこに橋がある。ここで写真を撮ろうとしていたら、山の上から黒雲がぐんぐん近づいてくる。冷たい風もビューっと吹いてきた。「ひと雨くるぞ」私たちは、どこでも良いから逃げようと思い、橋の反対側にあった消防団の軒下に逃げ込む。雷がゴロゴロ鳴り、大粒の雨がバラバラ降ってきた。まるで広重の「にわか雨」の版画だ。消防団の横に小さな観音堂があったので、そちらへ移動してしばし雨宿りをした。雨にけぶる最上川も大変美しかった。

「やっぱり降られたな」と私。
「梅雨だもんな。『五月雨を集めてはやし最上川』だな」と、俳句頭のT村は、芭蕉を引用する。
二人とも、ここでまたまた一句。T村の俳句は字余りが多いが、さっき俳句に目覚めたばかりだから許そう。
最上のうずを 巻いて消しゆく とおり雨 (T村)
雷や 観音堂の 屋根歩き (鉄沈)
この梅雨はキッパリ15分で終わった。この旅行中、雨に降られたのはこの15分だけであった。

インスタ蕎麦屋の昼
雷雨が通り過ぎたので、私たちは雨上がりの道を走った。観音堂のちょっと先の大石田というところで蕎麦屋を見つけた。グーグルマップのおかげだ。この集落は一見廃村のようで、屋根の錆びた納屋や、崩れかけたような住宅が並んでいる。グーグルがなかったら通り過ぎていただろう。しかもその蕎麦屋は裏道にあって、かなりくたびれた家屋だった。でも、ちゃんと暖簾が下がっていて、縁側では人々が並んで順番を待っている。
私たちも、縁側で椅子取りゲームをしながら順番をまった。私たちが走っているこの辺りは、村に一軒は蕎麦屋があるようだ。椅子取りゲームの善男善女たちは、そこを巡り歩いている蕎麦通らしい。待っている間に、隣の若い奥さんはインスタで蕎麦屋の写真を見比べている。
この蕎麦屋は、こんな田舎で人手もないらしく、おじさんとおばさんが二人で切り盛りしているが、忙しすぎてテーブルを片付ける暇もない。でも、昼だから客がどんどんやってきて、椅子取りゲームは俄然激しくなっていく。
30分ほどで順番が回ってきた。私とT村は「自然薯おろしそば」を頼んだ。自然薯は本物、しかも自分ですり鉢でするようになっている。おろしたての自然薯で食べる手打ちそばはとても美味しかった。東京などではいくら金を出しても口に入らない味だろう。私たちは、至極満足して店を出た。ただ、人手も足りないので、私たちが食べた後は、汚れた食器がそのままだ。いささか後味が悪い。インスタ蕎麦屋は、流行りすぎると地獄のように混み合う。


ひたすら田舎道を行く
そこから目的地羽根沢温泉までの40キロ、ひたすら田舎道だった。お店もほとんどない。ちょっと迂回して新庄を通れば、そこには新幹線の駅もあるのだが、私たちは田舎を味わいにきたのだから、ひたすら田舎道を走っていくのだ。詩人ロバート・フロストも言っている。「そして私は… そして私は人があまり通っていない道を選んだ。そのためにどんなに大きな違いができたことか」
T村は、まだ俳句頭のようで、田舎道を走っているから他に考えることもないらしく、さらにいくつか俳句を捻ってはケータイに送ってくる。
軒並らぶ 朽ち家の中に インスタ蕎麦 (T村)
流れても 時をとどめる 最上川 (T村)
私も書いたので、比較参考のために載せておこう。
寒村や インスタ蕎麦に 人集い (鉄沈)
Amazonの 空き箱侘し 山屋かな (鉄沈)

かくして私とT村は、ゆっくりと羽根沢温泉に向けて銀輪を走らせていった。やがて最後の集落、鮭川村を通るが、ここも本当に何もない村であった。一軒の、比較的都会風の新築の住宅の庭先では、若くてとても美人なお母さんが、小さな子どもをビニールプールで遊ばせていた。私たちは、その愛らしい小さな子どもとお母さんに手を振りながら(どちらかと言えば、お母さんの方にだが)通り過ぎた。
その美人妻のせいであろうか、そのちょっと先でT村は曲がる角を間違えた。私たちは、そのせいで田舎道を2、3キロも走った挙句に、後戻りを余儀なくさせられた。私は、その頃は非常に疲労がたまってきていて、その上コーヒーも飲んでないからカフェイン不足で、汗をたくさんかいて脱水症状気味で、お腹も空いてハンガーノック状態だった。若い頃は、私たちはこういう状況で道を間違えようものなら、必ずケンカをしたものだ。私は、腹立ちまぎれに自転車の工具を振りまわしてT村の自転車をぶっ叩いたこともある。
しかし、今や私たちは還暦を迎えた大人だ。T村は、「ごめん、道を間違えちゃった」と素直に謝罪し、私は「Googleさんでも道を間違えるんだな、あはは」と笑って受け流した。我々を紳士と呼ばずに、何と呼んだらいいだろう。
がんばれ羽根沢温泉
羽根沢温泉までは、長い登りだった。脇道には、「トトロの大杉」という大木があるらしかったが、疲れたので素通りした。ジブリに便乗するのは銀山温泉だけではないらしい。
やがて還暦おじさん二人は、ヘロヘロになって羽根沢温泉に到着した。山の奥の、そのまた奥の、廃墟寸前みたいな温泉旅館が2、3軒あるだけの、ひなびた場所だった。古びた宿の玄関には「歓迎T村様御一行」という看板が出ていたのが、嬉しかった。辺りには、「ゲロォ、ゲロォ、ゲロォ」というカエルの声がすざましいくらいのボリュームで響いている。
カメムシはガムテープで退治する

入ってみると、旅館の中も古びていて、まるで1960年台だ。でも、女将さんは元気よく、「いらっしゃいませ!」と迎えてくれた。若い頃はきっとアイドルみたいに可愛いかったんだろうなと想像したが、彼女もアイドルと呼ぶには少しだけ古びていた。この旅館は、古いわけで100年以上前から営業しているとのことだった。加えて、40年前から修繕とか改築は一切やめてしまったという雰囲気もなくはなかった。コロナ禍のご苦労もあるに違いない。そう考えると、何ら不満も感ぜず、それに我々はとてもくたびれていたので、温泉に入れて、ご飯を食べて寝られればそれで満足だった。
ただひとつだけ懸念があった。それは、「カメムシ退治グッズ」が客室の床の間に配備されていた事実だ。それは、一巻きのガムテープと、その取説からなるセットだった。取説には、カメムシが登場したらガムテープに貼り付けてゴミ箱に捨てろとある。それが無理な場合は 従業員に電話をしろともあった。

その晩、私は温泉にも入ってご飯も食べて、一見くつろいでいる振りをしていたが、その実カメムシが登場したらガムテープで退治してやろうと思って目を光らせていたのだ。敵は1匹だけとは限らず、もしかしたら50匹とか、場合によっては千とか万とかいう単位で攻めてくる可能性もある。カメムシは、潰れると異臭を放つという記憶も私にはあった。その晩の私は、九尾の狐を退治した那須与一さながらの気持ちだった。
しかし、私の眼力を恐れたのだろう、その晩とうとうカメムシは現れなかった。
(最上川サイクリング四日目(最終日)『羽根沢温泉から酒田まで』に続く)
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