日本での自転車旅行 (その3) 二日目は、安倍奥から脱出し、大井川を疾走、青部の猫宿に泊まったこと
- Chaco Kato
- Jul 12, 2022
- 14 min read
2022/07/12
「さみだれの空吹きおとせ大井川」 松尾芭蕉
安倍奥から静岡駅まで戻り、大井川を井川ダムまで走る予定
昨日は、T屋先生、T村そして私は、昨日は静岡から安倍奥は梅が島温泉まで45キロを6時間で走った。休憩も含めてだが、平均時速7.5キロはかなり鈍足だ。言い訳になるが、その道は登り続きの上、最後の勾配はツールドフランスの選手でも「嫌な坂だな!」と言いそうな激坂だった。
しかし、その夜は硫黄の香りの心地よい温泉と旅館の心づくしの夕食(猪鍋、寿司、静岡近海の刺身など)、そして窓を閉めても響いていくる谷川の音に私たちは癒され、朝には元気いっぱいだった。

さて、静岡ライド二日目の行程は以下の通り:
・梅ヶ島温泉から静岡駅まで45キロを戻り、
・自転車を畳んで東海道線で金谷、
・金谷から大井川鐵道で終点の千頭まで輪行、
・そこからは自転車で井川ダムまで行き、
・引き返して、青部の集落で一泊。
これを全部走れば80キロ以上ある。しかも、ほとんどは山間部、また昨日の強行軍の繰り返しになるか? それは行ってみないと分からない。

疾走するT屋先生を追うT村
激坂を降り、脱兎の如く安倍奥を脱出したこと
激坂を登った報いは、端的に言って激坂を下る喜びにある。風になったごとくに坂を下るのは、サイクリングの醍醐味だ。静岡から梅が島までの45キロのほとんどは下り坂、そこを疾走していく快感は金銭などには代えられない価値を持つ。例え私が、本日だけ最高級の自動車、例えば1000万円のB M Wを与えられたとしても、私は自転車で下る方を選ぶだろう。
その私の自転車には一応スピードメーターが付いている。それは、普段は時速15キロとか、せいぜい25キロまでしか表示することがない。いくらスピードメーターがついていても、スピードを出しすぎることはまずない。だから、今日までほぼ無用の長物だったと言わざるを得ない。
しかし、本日こそは、このスピードメーターが本領をはっきする絶好のチャンスなのだった。安倍奥の激坂で、果たしてこのメーターが何キロを表示するのか?私は出発の準備をしながら、普段は感じたことのない高揚感を覚えた。
旅館前で写真を撮り、女将さんにお礼を言い、私たちはひらりと自転車にまたがった。すると女将さんは言った。「そう言えば、この間来た静岡の自転車部の男の子はこの坂で転んで、救急車で帰ったっけよ。あんたたちも気をつけなよ!」
しかし、私もT村も、そして82歳のT屋先生も、その忠告を上の空で聞いただけだった。この坂をできるだけのスピードで降りたい、3人の顔にはそう書いてあった。しかし、路面は昨夜の雨で湿っている。カーブではスピードを落とさないと滑って転倒する恐れがあるから要注意だ。
「さて、ぼちぼち行きますか」と、T村が言うか言わないかの間に飛び出したのはT屋先生だった。T屋先生の自転車アンカー号は最高級、重量8キロ、カーボン製フレームで羽のように軽く走る。先生はその駿馬にまたがり、できる限りの前傾姿勢をとってドロップハンドルにほぼ全体重をかけて、一番トップのギアで坂を降り始めた。フランスのプロレーサー、ジュリアン・アラ・フィリップが、アルプスの急坂を時速90キロで下るときと同じポジションである。
(「アラフィリップ・ポジション」https://www.cyclowired.jp/image/node/318147)
実は、T屋先生は元来飛ばし屋だ。私たちの中学の担任だった45年前、先生はトヨタ・セリカ1600G Tというスポーツカーを駆って、箱根や伊豆の山道をすっ飛ばし、私たち男子中学生を羨ましがらせていた。バイクにも長いこと乗っていた。確か自動車整備士の免許も持っていたはずだ。そして、今はプロ仕様のロードバイクに乗っているのだ。
T屋先生のジャージには「ホットロード・沼津」と書いてあることは前回書いたが、そのオレンジ色のジャージが、ぐんぐんと激坂の下に吸い込まれるように小さくなっていく。「ホットロード」の意味が今こそ分かった気がする。何歳にもなっても熱い先生だ。それを見てか、「よっしゃあ!」と一声叫んで、T村も英国製の愛車ラーレー号で出発する。私も、遅れまじと、黄色いフジ・フェザー号で勾配10%の坂を降り始めた。
ぐんぐんスピードが上がる。「イェーイ!」と風切り音の間から、興奮したT村の叫び声が聞こえる。懸命にペダルを漕ぐが、T村にもT屋先生にも追いつけない。スピードメーターは、すぐ20キロを超え、30キロ、そして40キロ台を表示する。40キロはかなりのスピード感だ。私のタイヤは、ゴツゴツしたブロックパタンだから濡れた路面でもグリップがきくが、T村のもT屋先生のも、ツルツルのロードタイヤだから、濡れた路面では滑りやすい。私は慎重にカーブを曲がるが、二人はツルツルタイヤのくせに、私よりもはるかに早い速度で下っていく。
時速40キロ、45キロ、メーターがついに50キロを超える。近年では最高速度だ。風圧で鼻水が出てくる速度といえば分かるだろうか。若い頃は平気で70キロくらい出せたが、もう無理だ。それにしても、いったいT屋先生は何キロ出しているのだ?まるでロケット爺さんである。
短い登りで、やっと二人に追いついた。「いやー、先生も飛ばしますね!」と言うと、T屋先生はニヤッと笑って一言、「やっぱ、下りは楽しいずら!」。まるで中学生だ。
激坂をすっ飛ばして3人ともアドレナリンを出し尽くし、安倍川のサイクリング道を走る頃には、すっかりゆっくりペースになった。お日様も出て、汗ばんでくる。河原をのんびり静岡へ戻る。
静岡駅から金谷へ、そこから千頭まで輪行する
いくらもたたないうちに、もう静岡市内だった。昨日の登りに比べると、半分以下の時間で同じ距離を走った計算だ。時計を見るとまだ11時前。「11時半の東海道線に間に合うかな?」とT村。するとT屋先生が、「ちょっと、寄りたいところがあるずら。駅の近くに、おいしいどら焼き屋があるから、女房に少し買っていく」と言う。「駅の近くなら大丈夫、電車には間に合いますから」とT村が太鼓判を押した。
車の多い静岡市内を注意深く走り、たどり着いたのは河内屋と言う店先。ところが店のケースにはどら焼きがない。「あれ、奥さん、どら焼きは?」とT屋先生。「どら焼きは11時半にならないと焼かないんだよ」とおばさん。「それじゃあ仕方ないなあ。また来るずら」と愛妻家の先生は残念そうだった。
金谷のパンと大井川鐵道
静岡駅で大急ぎで自転車を畳んでホームに上がると、すぐ11時半の浜松行き東海道線が入ってきた。車内で、「そろそろ昼ですがねぇ、昼飯は金谷かな?」とT村が言うと、T屋先生が「金谷には何もないでよ」と答えた。「えっ、何もない?コンビニくらいあるでしょ?」とT村。「いや、コンビニだってないっけよ」とT屋先生。
昼飯が食べられなかったら困る。腹が減っては自転車に乗れないのだから。不安な私たちを乗せて、東海道線は金谷駅に着き、我々はがらんとした金谷駅のホームに降り立った。確かに何もない。しかしホームに何もないのは当たり前だ。そこで、大井川鐵道の始発ホームに移動する。休日にはここから蒸気機関車に乗らんとする乗客や観光客で溢れる駅なのだ、売店くらいあるだろう。
まず窓口で、千頭までの切符を買う。旧式の厚紙でできた切符に、暇そうな鉄道員がハサミを入れる。面倒くさそうな態度だが、昔の駅員はみなそうだった。これは、もしかしたらそういう演技なのかもしれない。そうだ、これは演技だと私は思い、大井川鐵道の気配りに嬉しくなる。

しかし、こちらのホームにも何もない。しかし、これもきっと昔の田舎の駅を再現する演出だ。駅の外に出るが、車寄せに暇そうなタクシーが1、2台いるだけ。駅の前には、自転車預かり店がある他、食べ物の店はない。自転車預かり店というものを見たのは、何十年ぶりだろうか?昨今その存在意義とは何だ?東京あたりの駅には公共自転車置き場があるが、静岡ではまだ自転車を預かる商売が成り立っている。この違いについて、また後日ゆっくり考えてみたい。でも、これまた大井川鐵道の演出のひとつかもしれない。きっとそうだ。
とりあえず我々の直面している問題は、昼飯の調達だ。私とT村は、大井川鐵道を待つ30分の間、駅周辺をくまなく探索したが、結局食べ物を売っている店はなかった。暗澹たる気持ちで、駅に戻るとT屋先生が言った。「待合室に、パンの自販機があるでよ。」

パンの自販機(ただし、金谷のものではありません)
果たして、そこにはパンの自販機があった。私も実は、そのことには気がついていた。しかし、私には、そこからパンを買って食べるという発想がなかった。自慢ではないが、私はこれまでパンを自販機で買ったことはない。でもT屋先生は、戦後の物がない時代に子ども時代を過ごしたお人である、きっと食べられるものなら何でも食べた経験もあるだろう。だから自販機でパンを売っていれば、とりあえずそれを買って腹を満たそうという発想になるのかもしれない。一方、高度成長期に育った私やT村は、見慣れないものは食べないという贅沢な習慣が身に染み付いている。だから自販機のパンが目前にあっても、それを買って食べようとは思わないのだ。
それにしても静岡県民というのは、よほど自販機が好きなのであろうか、パンのみならず、静岡駅前には餃子の自販機があった。一体誰が静岡駅で自販機の餃子を買うのか?どうしてスーパーで買わないのか?その理由を知りたい。
とにかく、他に選択肢もないので、私たちは自販機からパンを買った。デーニッシュと言うのだろうか、油じみた菓子パンの類である。できれば食べたくないものの一つだ。唯一の救いは、一つ150円と安価なことだ。私は「アンコ入り」を買ったが、情けないほど軽くて小さなパンだった。T村は、「俺、2個買おうっと」と、もう200円投入した。どうしてこんなものをこいつは2個も食えるのか?ところが自販機は、そこで動かなくなった。T村は腹を立て、「何だこの自販機は?」と叫び、自販機に抱きついてガタガタ揺らしたが、T村の2個目のパンは出てこなかった。多分釣り銭切れなのだ。T村は200円をこの自販機にまんまと奪われた形になったわけだが、そこで我々の乗る大井川鉄道がホームに入っていきたので、T村はこの自販機との格闘を諦めた。

千頭から井川ダムに向けて走る
自販機のパンはともあれ、大井川鐵道は素晴らしいローカル鉄道だった。平日なので、蒸気機関車こそ走っていなかったが、我々は大昔の東急線だった薄緑色の車両に乗り、パンを食べながら大井川の車窓を楽しんだ。大井川は安倍川よりもさらに川幅が広く、水も青く、山は高く、あたりは一面の茶畑で、とても素晴らしい景色だった。

大井川鐵道の車内
1時間ほどで千頭だった。千頭駅には売店があり、私は稲荷寿司2個入りパックをゲットした。これこそ人間の食うものだ。T屋先生もT村も私と同じ稲荷寿司を買い求めた。それで金谷のパンで足りなかった胃袋の穴埋めがいくらかできた。その上、この売店の女性は親切で、私がいらないと言うのに、サービスで無理やり割り箸をつけてくれた。彼女の理屈は、「割り箸があれば、手が汚れないで済みますからね!」と言うことだった。しかし、実際は良い意味で、その逆だった。我々は自転車を組み立てて手が汚れたので、割り箸のおかげで、稲荷寿司を汚さないで食べられたのだ。とにかく旅に出ると、こういう小さな親切に助けられる。日本は、本当に良いところだ。

さて、我々は意気揚々、千頭駅前から走り出した。行き先は、山奥の井川ダムだ。と言えばカッコいいが、ここからまた登りにつぐ登りで、昨日の安倍奥での戦いの後だから、私たちの走り方も上り坂をガシガシ登っていくという感じにはほど遠かった。どちらかと言えば、消極的な足取りだったと言っても誇張ではない。T村も、「まあ、行けるところまで行って、適当に折り返しましょうよ。今朝はもうすでに45キロ走っているわけだし、山間は日暮れも早いしね」と自明のことを言った。私もT屋先生も異論はなかった。
千頭を出るとすぐに立派な吊り橋があった。吊り橋の下には、井川湖まで走っているトロッコ列車の軌道が見える。「おお、素晴らしい景色だ、ちょっと寄っていきましょう」とT村。

この吊り橋は、昨日渡ったのよりはずっと大きなものだったので、今度は私も渡ることができた。写真をパチパチ撮ってから先へ進む。県道から分かれて旧道があったのでそちらを走るが、小さな集落をいくつか通り過ぎたり、崖っぷちから大井川を見下ろしながら走ったり、杉林木立の中を走ったりと、なかなか自転車向きの素敵な田舎道である。ところが、その道は長くは続かず、すぐに大きな県道に出てしまった。
我々が、車にあおられつつ県道を登っていくと、いく先にダムが見えてきた。これは、井川湖下方の長島ダムらしい。我々は、このダム見晴らす高台に立った。
「いやあ、坂が案外きついなあ。ちょっと疲れたで」とT屋先生はいう。実は、その時一番疲れていたのは私だった。私は、いわゆるハンガーノックという状態で、お腹が空いて足に力が入らず、頭がくらくらしていたのだ。金谷のパンひとつと、千頭のお稲荷二つでは腹の足しになってなかった。そこで自転車のバッグに入っていた食べ物をそのとき全部食べた。カロリーバーを一本、羊羹一本、それとアーモンドチョコ数粒がその全てだった。それでも井川湖にたどりつくエネルギーとしては全然足りない。
「井川湖の湖上駅まではまだ5キロあります。ということは、往復であと10キロプラスですねぇ。それで、ここからまた千頭まで戻って、そこから宿のある青根まで二駅。多分5キロくらいかなあ。ここって厳密にはまだ井川湖じゃないけど、川では繋がっているのだから、広義では井川湖に着いたってことにもなりますよね。今日は、もうそれでもういいんじゃない?」とT村が携帯のGoogleマップを見ながら言う。
有名な、井川湖の湖上駅にも寄らずに帰るのか?ここまで来て引き返すのか?と、元気だったら私はそう言ったかもしれない。これは敗北宣言だ。しかし、私はお腹が空いて、湖上駅などどうでも良い気分であった。きっと井川湖は、パンの自販機ですらないような僻地だろう。T屋先生も疲れたとおっしゃっていることだし、T村の言うことは全くもっともに聞こえた。そこで、私たちは引き返すことにした。私たちは、もはや20歳の無謀な若者ではないのだ。分別のある大人だから無理はしないのだ。
千頭までの下りは、またもや快適であった。ものの30分もかからなかったかもしれない。最高速度は45キロ、安倍奥の激坂ほどは速度があがらなかったが、満足したと言わざるを得ない。

猫宿で明かした一夜
千頭から二駅先の青部という集落に着くと、我らは探し探して、ようやくCという名の民宿にたどり着いた。この宿は、T村がネットで見て予約したらしいが、なかなか驚きの宿であった。茶畑の中の一軒家で、雑貨屋か何かを営んでいた家らしく、古びた商店のような構えだ。悪く言えば、朽ち果てる一歩手前という感じだ。あとで聞いたら築100年以上だと言う。


こんちはー」とT村が中に声をかける。T村は営業マンだから、こういう時にはなかなか良い感じの声色を出す。すぐに、「はーい!」と奥から女性の声がした。店を入ると土間で、ここにはガラクタというか、あらゆるものが置いてある。風情があるという程度を遥かに通り越している感がある。と思いきや、家の中は、とてもきれいなのだった。見事な囲炉裏が切ってある居間があり、奥は広い日本間が二間、奥には我々が寝る布団がもう敷いてある。
もう一つ驚いたのは、この宿が猫屋敷だったこと。外にも猫、中にも猫。そこらじゅう猫、猫、猫。まるでワンダ・ガアグの絵本『ひゃくまんびきのねこ』みたいだ。家の中の猫はみなケージに入れられている。「お客さんがいるときは、閉じ込めておくんですよ。障子とか襖をバリバリ爪で破っちゃうんで。普段は障子も襖も外しておくんです」と女将さん。


青部の猫さんたち
幸い、T屋先生もT村も猫は嫌いでないらしい。私も、メルボルンで1匹飼っているから、どちらかといえば好きな方だ。それにしても、そこらじゅうから猫のミャーミャー鳴く声がするのは妙だった。昨晩は渓流の音を聴きながら寝たが、今夜は猫の鳴き声か!
晩御飯はご馳走だった。駿河湾で獲れたメバルの煮付け、鹿刺し、それからイノシシ鍋。昨晩も猪鍋をいただいたが、そっちは薄切り肉のあっさりな味付けだった。今夜は、でっかい鍋に猟師が撃ってきたような猪肉がゴロゴロ入っていた。それでいて、ちゃんとアクを取ってあるようで、臭みはない。最後はご主人が、鍋にうどんをドバドバっと入れてくれて、腹がはち切れそうになるまで食べた。
「いやあ、美味しかった、美味しかった、もう満腹だ」と私とT村。「いやあ、ここのご主人はなかなかの料理人だよ、こりゃあ」と、T屋先生もご満悦だった。皿を片付けにきたご主人がその会話を聞いたのか、ニヤッと笑いながら「明日の朝も、たくさん料理を出しますから、覚悟しておいてくださいよ」と、おっしゃる。
今日は、静岡から千頭まで列車に乗っていた時間が長かった気がしたが、「それでも朝は45キロ、午後も30キロは走っているから、70キロ以上は走っているんだよ」とT村が得意そうに報告した。
道理で、私は風呂に入って食事を済ますと、疲れてまぶたがくっつきそうだった。まだ9時にもなってないのに、ふかふかの布団に入ったら、すぐうとうと。T村とT屋先生も布団に入ったが、二人は、まだ楽しそうにうつ伏せで話に興じている。話題は、静岡駅前の竹千代(徳川家康)と今川義元についての歴史談義だ。
私は、二人の談話を聞いていたかったのだが、二人の声と、どこかで猫がミャーミャー鳴くのを聞いているうちに夢うつになり、やがて意識がなくなった。
(次回へ続く)
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