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散歩の途中、謎の手が落ちていた

2022年2月5日



夏だから毎朝散歩をしているが、歩いていると、道端に色々なものが落ちていることに気づく。ある日は、謎の手が落ちていた。何の手先だろうと思って屈み込んで観察したが、ちっとも分からなかった。3センチくらいだが、ネズミの前足にしては大きいし、ポッサムにしては小さい。小柄なリングテイルポッサムの前足かもしれない。でも、なぜ前足だけ落ちていたのか? 猛禽類のような鳥に襲われたんだろうか。しばらく前足のないポッサムのことを想像し続けながら散歩を続けた。 



(近所の保育園の前にできた、図書コーナー)



今年は我が家のサンルームの天井に這わしてある葡萄が豊作で、ものすごくたくさん房がついた。何房あるか数えようと思ったがあまり多くて数えられず、概算したら500房はある感じだった。この葡萄は小粒で種があるから食べやすくはないが、紫色になるまで置いておくとすごく甘くなる。10年前くらいにも豊作の年があって、その時は生のまま絞ってジュースを作ったが、冷蔵庫にずっと入れておいたらいつの間にか発酵してワインになった。



僕は、4年前にお酒をやめてしまったから、今回はワインじゃなくてジュースを作ってみようと思って、鍋に一杯一杯葡萄を入れてそのままガスに4、50分かけておいた。水も砂糖も加えない。そしたら見事なジュースができた。ザルで濾して瓶に入れて冷やしたら、とびきりおいしかった。葡萄はまだまだたくさんあるから、せいぜいジュースにして飲むことにしよう。子どもの頃、秋になると家族で山梨にドライブ旅行に行ったものだ。甲府あたりには葡萄園がたくさんあって、そこでぶどう狩りをしたが、その際に葡萄ジュースを買ってもらった。高価だったのか、いつも一本しか買ってくれなくて、それを僕と弟はちびちび水で薄めて飲んだものだが、それは全く甘露と呼びたくなるほど美味だった。



あのジュースに比べると、自分で絞ったジュースはもっとドロッとしていて、爽やかさに欠けるが、あの甲府で買ってもらった上品な葡萄ジュースに比べるとグッと野趣があって味も濃くて、滋養に富んでいる気がする。



今年の夏を越すと、僕は60歳になる。これが60回目の夏ということだ。でも、オーストラリアに住んでいるから、夏と冬が逆転してしまったし、年によっては年末を冬の日本で過ごしたり、あるいはオーストラリアの冬である7月や8月を日本で過ごしたこともあるから、もしかしたら60回目じゃなくて、59回かもしれないし、62回かもしれない。


そんなことはいいが、だんだん歳を経てくると、夏の暑さはしんどくても、冬のしんどさに比べると、やはり体には楽なような気もする。人間はやっぱり生き物なんだな、と思う。植物は如実に気温に左右されるようで、今年葡萄が豊作なのはどうしてだか分からないが、湿っぽくて気温の低めのラニーニャの気候だということで、トマトやピーマンやイチゴなどは軒並み不作だ。一応ちゃんと実をつけてくれたのはズキーニだ。葡萄とズキーニというと、地中海的な植物であるから、今年のメルボルンは地中海的な気候なのだろうか。

(ズキーニは古タイヤの中に植えてある)。



それにしても僕は、畑仕事は全く不得意で、庭に色々植えているのだが、全く何も分からずに植えている。たまに近所の友達の畑など見せてもらうと、見事な野菜がたわわになっていたりするが、どうやったらああなるのか皆目分からない。そういえば、僕の両親も僕が小さい頃、庭付きの家を建てた後、家庭菜園を始めたが、雑草が伸びるばかりであまり大した収穫はなかった。その家庭菜園でよく覚えていることは、父が毒を撒いてモグラを殺したことだ。僕は、死んだモグラが可哀想で、父の残酷さに憎しみに近い怒りを覚えた。そのうち父がゴルフを始めてからは、我が家の家庭菜園は廃業になった。


そうだ、散歩の時に落ちていたあの前足は、モグラのものだったかも?と一瞬考えたが、実はオーストラリアにはモグラはいないのである。

 
 
 

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