奄美大島を巡った自転車旅 (最終回: 旅行5日目、赤尾木から蒲生崎を経て奄美空港まで、走行40キロ)
- 鉄太 渡辺
- Mar 21, 2023
- 13 min read
2023/03/21
ロバが旅に出かけたところで 馬になって帰ってくるわけではない
西欧のことわざ
この僕らの住んでいる世界には、いつもとなり合わせに別の世界がある。
村上春樹 『海辺のカフカ』から
1. 紅茶キノコで迎える朝

(ペンションのおじさんとおばさんはとても可愛いカップルだった。)
いよいよ、T村と私の奄美大島一周の旅も今日で終わり。最終日、我々は奄美大島の北端にある蒲生崎と笠利崎を回って、奄美大島空港へ戻り、そこで自転車を畳んで、空路東京羽田へ戻る予定だ。今日までで230キロほど走っているから、合計で270キロの旅になる。

さて、ペンション・Mテラスの朝ごはんは何かと期待して朝7時に食堂に赴いた。すると、メインは、なんとベーコンとブロッコリのパスタだった。朝からパスタというのは食べたことがない。それ以外にも、女将さんの手作りのパンやジャム、オリーブオイル、ヨーグルトなど健康志向のものがずらっと並んでいる。素晴らしい限りだ。決して不平を言っているわけじゃないが、これでは日本のペンションや民宿は、値段が安すぎる。
圧巻はコンブチャだった。おかみさんは、「これレモン味のコンブチャね、体に良いから飲んでね。私が作ったのよ」とおっしゃる。
ものを知らない人に説明するが、コンブチャとは昆布茶ではない。コンブチャとは、いわゆる紅茶キノコのことだ。どうして紅茶キノコがコンブチャなのかは、面倒だからここでは説明しない。ただ、西欧世界では紅茶キノコはコンブチャ(Konbucha)として通用していて、今や大流行している。日本でも飲んでいる人がたくさんいるだろう。オーストラリアのスーパーならどこでも瓶詰めになって売っている。ウォッカが入ったコンブチャのカクテルなんかもある。健康飲料として知られているが、もはや清涼飲料としての扱いだ。
私の古い記憶にある紅茶キノコは、確か大阪万博があった頃に流行してたものだ。それは非常に気色の悪いものだった。何と言ったらいいのだろう、腐って黒くなったキノコが水中に入っている、そんな風体だった。私の母は、近所の誰かから紅茶キノコの株をもらってきて、テレビの上にその気持ちの悪いものが入ったガラスのジャーを置いていた。テレビの上が暖かいから、培養しやすいということだった。そして、その上澄み液を時々飲んでいた。小学生だった私も弟も、そして父も、気持ち悪いから絶対に飲まなかった。
その紅茶キノコは、すなわちコンブチャは、今や全世界を制覇し、健康飲料として認知されて、この奄美のペンションでも供されているのだ。現在の私は、先進的な健康志向の人なので、Mテラスの女将が作ったコンブチャを喜んで飲みつつ、パスタの朝ごはんをいただいた。大いに結構なコンブチャであり、朝食であったことをここに報告しておく。
2. 蒲生崎でついにズボン下を脱ぐ

今日は自転車日和の晴天だ。パンツからTシャツ、靴下の果てまでユニクロ・ヒートテックでガッチリ固めていた我々は、暑くて仕方がない。走っては脱ぎ、走っては脱ぎで最後にはTシャツ一枚になった。冬のサイクリングで難しいのは、何を着るかである。あまりたくさん服を着ていると、荷物が増える。脱いだ服は自転車のあちこちに縛り付けて走るしかないが、あまり格好の良いスタイルではない。
今日の最初の難所は、蒲生崎という岬である。東シナ海に突出した岬で、T村は、ここからの景色は絶景だという。そう言われると行くしかない。今日は最終日なのでもう後がない。行ける場所には行き、食べられるものは食べておく。「まだ先にある」という言い訳はもう効かない。
(こんにちはの後は、すぐ、さようなら)

笠利崎へ向かう県道から、蒲生崎へ向かう細い道へ曲がるが、ここからいきなり激坂だった。登ったり降りたり、登ったり降りたりが延々と続く。道の両側はまるでジャングルで、ところどころは、バナナやパパイヤや柑橘類の畑だ。それ以外は、人間の住んでいる痕跡はほとんどなく、T村と私は、ひたすら空と海の間の緑のジャングルを進んでいくという風だ。
「ああ、もういい加減にしてよ、この登り降り!!」と私たちがうんざりし始めた頃、蒲生崎の突端についた。
結構立派な駐車場に私とT村は自転車を置いた。私は、Tシャツ一枚だったが、まだヒートテックのズボン下を履いていたので、とうとうここで脱いだ。そして、展望台へ向かって歩く。
展望台は、海岸からおよそ100メートルの高台にある白いコンクリートの建物だった。月並みな言い方だが、ここからの景色は絶景だった。絶景すぎて、言葉が出ない。私はカメラを構えて写真をパチパチ写したが、絶景すぎるので写真は絵葉書みたいになってしまう。

この展望台からは360度周囲が見渡せて、その半分の180度は東シナ海、残りの180度は緑が濃い奄美大島だ。奄美大島にはずいぶんたくさんの岬があって、その多くに展望台があるが、遮るものもないし、背後には醜い建造物なども目に入らないから、どこからも絶景だ。
私は、青い空と青い海、緑の島に感動したので、この風景をオーストラリアの女房に今すぐ見せたい衝動に駆られた。そこで、携帯電話のカメラをスイッチオンして彼女に電話をかけた。ところが、彼女は電話に出なかった。けれどいくら絶景でも、前後の脈絡なしにこうした景色を携帯で見せられても、「はあ、そうねえ、いい景色ねえ…」くらいのレスポンスしかできないだろう。だから彼女が電話に出なくかったのは正解だったと思う。
3.どこも休業づくめの最終日

私とT村は、蒲生崎の絶景に至極満足して、また先に進んだ。最終日はどんどん時間が経っていく感じがするが、私たちは急がない。やがて突端の笠利崎に近づいた。笠利崎で有名なのは「夢をかなえるカメさん」の置物らしい。奄美には海亀が産卵しにくるから、誰かがそんなものを設置したのだろう。しかし、亀の置物などを置いて人集めをする神経というのは如何なるものか。先ほどの蒲生崎だってそんなものを置かなくても、十分素晴らしい景観があった。笠利崎だって、きっと素晴らしい景色だろうに、なぜカメさんを置かねばならないのか理解しかねる。私とT村は興醒めして、「夢をかなえるカメさんは別に見ないでもいいよね?」と、笠利崎はバイパスした。カメで集客を図った目論見は、全くの逆効果になったというわけだ。残念でした!

笠利崎を過ぎると、空港に近づいたせいか、周囲がちょっと市街地化してくる。観光ロッジや土産屋などがパラパラ散見されるが、二月の頭というのは観光シーズンではないので、どこも休業中。人がいるのは、黒糖を作るためのサトウキビ畑で、農家の人たちが忙しそうにコンバインを運転している。見れば、10キロほど先の奄美空港に着陸する旅客機が田園風景と、その向こうの青い海の上を滑るように低空飛行していく。距離があるのでジェットの音は聞こえず、おもちゃの飛行機みたいだ。

もうすぐ昼である。旅行ガイドT村は、嬉しそうに最終日の昼ごはんの予定を発表した。
「えーと、本日はこれから、最後に海辺の寿司屋でお昼を食べて、それから空港近くの奄美パークに寄って、田村一村の絵画を見てから空港に向かいまーす!」奄美パークは、空港近くの、奄美を紹介するための文化施設で、美術館や博物館などが併設してある大きな観光施設だ。田村一村は奄美の風景を描いて有名な絵描きである。T村は出発前から田村の絵を見るのを楽しみにしていた。お寿司ランチをいただき、その後美術鑑賞で旅をしめるとはなかなか良いプランだ。
特に、海辺の寿司屋で昼飯というのは、最後に洒落たことを考える。私たちは足取りも軽く、そのS五郎という寿司屋へ向かった。県道を外れ、畑の中の長閑な道を進んでいくと、大瀬海岸を見下ろす絶景の場所にS五郎はあった。こんな場所で食べる寿司は格別だろうと期待感が大きく膨らむ。最終日なんだから、思い切って特上を奮発してもいいかな?と、そんな胸算用ですら私はしたのだった。
ところが、あに計らんや、寿司屋は定休日だった。
「あれまあ、何ていうことだぁ、大失敗だぁ!ちゃんと電話で確認すれば良かったのに、それを怠ったばかりに、こんなことに!うわぁーん、うわぁーん!」とT村は、いささかオーバーなリアクションで残念がった。彼の期待感は、私のそれよりも数倍大きかったに違いない。私も、特上を奮発する決心だったので、かなりがっかりした。T村は諦めきれずに、店の入り口に張り付いて中を覗いたりしていたが、泣けど騒げど、誰も出て来はしない。休業は休業だった。
「さあて、昼飯はどうしますかね?空港のファミレス『J』で食べるか?」と私は譲歩案を出す。ところがT村は、「嫌だ、俺は絶対ファミレスなんかで食べたくないからね。前に仕事で来た時に、最後にあそこでカレーを食べたが、あんなもの食べるのは嫌だ」と言い張る。こういう時のT村は、まるで駄々っ子なので、彼のしたいようにさせるしかない。
T村は、「よし、じゃあ奄美パークの食堂で食べよう。どうせ田村一村の絵を見にいくんだから、それでいいよね?」と大きな目玉をぐりぐりさせて言う。私は、「うん、もちろんいいともさ!」と同意するしかない。
「でも、一応奄美パークの食堂がやっているかどうか電話で確認しよう。まさか奄美パークが休業ってことないだろうけどね、わっはっはっは!」とT村は自信ありげに言って電話をかけた。
ところが、奄美パークも今日は休みなのだった。T村は、天を見上げたまま絶句し、「ああ、我々は天に見放された!!」と叫んだ。かなり大袈裟なリアクションだ。これが渋谷だったら、人だかりが出来るだろう。それくらい、T村は声が大きい。
「やっぱり空港でJのカレーってことかな?」と私は、優しくT村の肩を叩きながら言った。しかし、T村はショックの余り口もきけないでいる。
3. 奄美空港の、優雅な昼ご飯
15分後、私とT村は、奄美空港にいた。私たちの旅はこれで終わったのだが、私たちは、空腹で、やや不機嫌だった。空港近くには、何軒か店舗が並んでいるが、それらはレンタカー屋とガソリンスタンドだけで、食べ物屋は一軒もない。奄美は、本当に徹底している。
我々は、空港の駐車場に自転車をとめ、昼飯の問題をどうするか協議した。空港の中にはファミレスJがある。しかし、T村はJでは飯を食べたくないとまだ言い張っている。お土産屋で、到着した時と同じにお握りを買うという手もある。「じゃあ、またあのお握りを食べよう」と言うことになり、お土産屋に行く。すると、ここでも見放されて、「ごめんなさいねえ、お握りは売り切れよー」とおばちゃんが言う。
T村ばかりか、私まで泣かんばかりだった。奄美大島でお昼ご飯を食べるのは、本当に難しい。途方に暮れて、二人は外を見た。すると、駐車場の外れに黄色い幟がはためいているのが見えた。それには「からあげ」と書いてある。横に、赤いワゴン車が停まっている。食い物があった!
他に選択の余地はない、T村と私は、その「からあげ」とやらを食べることにした。怒りと落胆と疲れで、私たちは通常よりもずっと腹をすかしていた。とても唐揚げだけでは足りないだろうから、ホットドックとポテトフライとクラムチャウダーのスープも注文した。どうして奄美大島くんだりで、クラムチャウダーなのかは理解できないが、この際、味噌汁でもボルシチでも何でも良かった。

その唐揚げ屋は、若い男が一人で調理を行なっていた。この男が一人で注文を受け、それをなぜかiPadに入力するのだが、その手際が悪い。それから調理に取りかかるのだが、それも、ひどく時間がかかるのだ。もう一人くらい誰か手伝えばいいのにと思っていたら、実際、もう一人男がいるのだった。ただし、この男は非常にチャラい感じで、「ありがとうございますですぅー。へー、自転車で回ってきたんすかぁ?奄美を自転車で回るっての、いいすっよねぇー!」とか、ずっとおべんちゃらを言っている。私たちが、待っている間に、空港の中から航空会社に勤めている若い女性たちも出てきて、みんな唐揚げとかポテトを大量に注文する。だから、調理担当の男はてんてこ舞いだが、もう一人の男は、ただお客と喋っているだけだ。
とにかく、耐え難きを耐え、待つこと20分あまり、唐揚げとポテトフライとホットドックとクラムチャウダーができてきた。味は、まああんなもんであろう。しかし、ファーストフードにしてはいささか値段が高かった。特上は無理としても、握りの竹くらいは食べられたかもしれない。「まあ、奄美だから仕方ねえなあ」などと我々は苦笑いをした。腹がくちくなれば、もうどうだって良い。
4. さらば奄美よ、また来る日まで。
いささかカックンのフィナーレだったが、出発点の奄美空港へ無事戻り、これで奄美一周サイクリング旅行は終わりだ。3時の飛行機が出るまでまだ2時間あったが、早めに自転車を輪行袋に入れてチェックインして、あとはお土産屋でも見てようと言うことになる。
駐車場で自転車を畳んでいると、くわえタバコの男が話しかけてきた。自転車を駅や空港で畳んでいると、必ず話しかけて来る奴がいる。質問は、いつも決まっていて、どこを走ってきたのか?どこまで帰るのか?などである。それだけならいいが、酔っ払いに絡まれることもあるから用心しなくてはいけない。このくわえタバコも、同じことを聞いてきたが、酔っ払いではなかった。こちらも暇だし、色々話していたら、くわえタバコは意外におしゃべりで、自分のことをペラペラ話した。要旨をまとめると、くわえタバコは、元大きな家電会社に勤めていた技術者で、今は文部科学省の仕事をしている。仕事は、ドローンの操縦技術を各地の学校で教えることで、ドローンを一セット抱えて旅して回っている。奄美でもドローンの飛ばし方を生徒に教えたが、奄美はどこでもドローンが飛ばせるので教えるのが楽だ、ということだった。携えているドローンも見せてくれた。もしかしてドローンを飛ばさせてくれるかもしれないと私は期待した。ところが、自転車をさっさと畳み終わったT村が、「そろそろ、チェックインしちゃおうぜ」と急かしたので、ドローンを飛ばすチャンスはなくなった。T村は、来る時も羽田でのチェックインの際に、危険物(自転車の空気入れの二酸化炭素ボンベ)を持っていて航空会社ともめたので、今回もチェックインする時は注意しなくてはならない。T村が、もはや要注意人物としてマークされているのは確実だ。
ところが、帰りのT村のチェックインは思いのほかスムーズに済んで、私は肩透かしを食らった。僥倖という他はないだろう。飛行機が出るまであと1時間、お土産も買ったし、もうすることがない。「じゃあ、最後にJでコーヒーを飲みましょ」と言うことになる。Jに入り、「コーヒー二つね」とウェイトレスに頼んだ。ところが、「申し訳ありません、コーヒーメーカーが壊れていて、コーヒーはお出しできないんです」と言う。T村は、「うん、大丈夫よ、まだフライトまで時間あるから、直るまで待つよ」と言う。するとウェイトレスは、「あのう、直るには2週間くらいかかるんです」と言う。そこでT村は絶句し、またあたりに響き渡るような声で言った。「え?2週間って言った?」「はい、2週間です」「そんなのありえないでしょ!東京じゃあ、そんなの絶対ありえない。2週間もコーヒー出せなかったら、お客さん来なくなるよ!」ウェイトレスも、この客の大げさなレスポンスに驚きつつ、しかし、口元には少しだけ笑いを浮かべて「申し訳ありませーん!」と言うのだった。その無邪気さに、私は思わず吹き出しそうになった。やっぱここは奄美だ。
仕方ない、うまいコーヒーは東京まで我慢。たった1時間半のフライトだ。そこで、私とT村はまた自販機の缶コーヒーを買い、海の見える搭乗ゲートで飛行機が出るのを待った。
目前の奄美の空と海は、朝からずっと、目に染みるような濃い青のままだ。目の前を小型の白いジェット機が喜界島に向かって飛んでいく。喜界島まではものの10分もかからないだろう。轟音を残してジェット機は、小さくなっていった。

5日間、270キロの旅だったが、けっこう長い旅だった気もする。奄美が日本の他の場所とは幾重にも違う空間のせいだからだろう。たまには、こういう遠い場所に来てみるのも良いものだ。
この缶コーヒーの味と、海と空の青さを、きっと私は忘れない。

(奄美自転車旅行記は、これで終わりです。どうもお付き合い、ありがとうございました。またどこかで会いましょう!)

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