地元ベルグレーブの散歩写真
- 鉄太 渡辺
- Aug 26, 2022
- 2 min read
2022年8月26日

メルボルンの8月は雨が多い月だ。が、降雨量では9月も10月も確か8月に劣らず多かったはずだが、それでも9月や10月の方が気持ちが良いのはなぜかというと、春だからだろう。9、10月はお天気の良い日も増えてくる。とにかく8月はまだ暗くて、ジメジメしていて、地面はぬかるんでいて全く冴えない気分の月だ。

私はオーストラリアに暮らして26年になる。今年60歳だから、人生の半分近くをこちらで暮らしたことになる。そのほとんどを、ここベルグレーブという町で暮らした。きれいな町だが、近所を散歩したところで、正直目新しく見えるものは少ない。

雨ばかりの暗い天気の8月、カメラを持って街を散歩して(と言うか徘徊して)、少しでも何か新鮮に見えるものはないかとファインダーを覗く。ところが、なかなかそうは問屋が下さない。写真の腕も未熟だから、せっかく何かを映しても露出がアンダーだったりオーバーだったり、ピンボケだったり。オートで写せばそんなことはないが、いくら何でもそれじゃあつまらないでしょ。

でも、最近読んだ土門拳の本にも、何ロール写しても、これだと思える写真は一枚もないことがほとんどだとあったから、私ごときアマチュアがちょっと写したところで、ろくな写真がないのは当たり前だ。

それでも、写した写真をパソコンにアップロードして眺めていると、季節の移り変わりの片鱗がチラッと見えることが稀にある。町の片隅に隠れていた秘密の言葉や記号のようなもの、あるいは、人が生きている証拠みたいなものがレンズに拾われたかのように思えることもある。

そんな時は、写真も面白いなと思う。でも、私はまだ何のために写真を撮っているのか全然分かっていない。同じように、何のためにこの文章を書いているのかもあまり分からないで書いている。音楽家が、毎日ピアノの前に座って音階のスケールを上下にダラダラダラっと弾いて腕慣らしをするようなものかもしれない。

とにかく、そうした吐息のようなものが私の文章であり、写真であることだけは確かだ。私は、そうした表現というか、文章でも俳句でも写真でも、何かをしていないといられないタチなのだ。そうしてないと窒息してしまい、8月の冬の冷たい雨にやられて、骨の髄まで冷え切ってしまいそうだ。

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