top of page
Background1.png

Post

三匹のおじさん、五島列島、長崎、天草を走る: T太、T村、ギャリさんのサイクリング旅行 (その6 最終回: 天草から熊本まで、7日目と8日目)

Updated: Feb 16

2024/12/06

何か良いことがあったら、旅に出て祝いなさい。悪いことがあったら、旅に出て忘れなさい。何も起きないなら、何かが起きるように旅に出なさい。

(出典不明)





コンビニ朝ごはん


昨夜天草市では、ビジネスホテルの素泊まりだったから、朝出発する際「どこかで、まずは朝ごはんだ」と、ギャリさんが言った。ギャリさんは大工だ。だからというのでもないが、朝ごはんをちゃんと食べる人だ。そこでローソンでストップし、サンドイッチやおにぎりを食べた。ギャリさんはメルボルンでは畑をやっていて、自分も家族もみんなベジタリアンで、インスタント食品なんか食べない日常をおくっている。家には電子レンジもないし、水道も引いてなくて、雨水タンクを使っている。タンクの水には、屋根に落ちた鳥のフンとか落ち葉とか虫の死骸とかが混入するが、そのおかげでギャリさんには強力な免疫がある。だから滅多にお腹をこわしたりはしない。逆に、ギャリさんの家に都会の人が泊まったりすると、雨水でお腹をこわすこともあるらしい。ギャリさんに言わせれば「片腹痛し」だろう。


そんなギャリさんだから、日本のコンビニ食を見て、「オレは、こんなゴミみたいなものは断固食わん!」と言ったらどうしようと思っていたが、案外あっさりとコンビニのタマゴサンドイッチと海苔巻きとかお稲荷なんかを食べている。それどころか、コンビニに行くのを楽しみにしているふしさえある。果たして、オーストラリアに戻ったら、またあのヘルシーライフに戻れるのだろうか。


朝ごはんを食べ、私たちは60キロ先の上天草を目指した。昨日は雨にやりこめられたが、私もギャリさんも、「今日はいい天気だし、思いっきり走るぞ」という意気ごみだ。一昨日は65キロを難なく走ったし、ギャリさんも自信をつけたみたいだ。


追い風に吹かれて、天草沿岸を走る


天気明朗なるも風強しだが、幸い追い風だ。私たちは天草上島の南岸を行く。北岸に比べると少し距離は長いが、ひなびた県道沿いには入江も多く、楽しそうなコースだ。


天草下島から天草上島に渡るには、狭い海峡にかかったエレベーター橋というのを渡る。大きな船が来ると橋自体が上にグイーッと上がって船を通す仕組みだ。その様子を見たかったのだが、なかなか船は来ないので先に進む。追い風に吹かれて時速30キロでビュンビュン走ると、すぐに下浦の集落に入った。ここでは江戸時代から土製玩具を作っているというので作業所を覗かせてもらう。そしたら愛想の良い女性が、「今日はお祭りで、特別な料理も作っているんだから、ゆっくりしていきなよ」と勧めて、美味しいみかんジュースも飲ませてくれた。私は女性に強く迫られることなんか滅多にないから、こう言われると弱い。是非そうしたい気持ちになったのだが、そうしていたら明後日東京に戻れなくなるから、後ろ髪を惹かれる思いで出発した。



そこら中で秋祭り


そしたら、この日は天草のあちらこちらで秋祭りだった。ちょうど良い時に通りかかったものだ。美しい湾に面したあちこちの神社では、幟をあげ、日章旗を掲げ、太鼓や笛の音が聞こえてくる。小さな村々も、今日はとても賑やかだ。


長崎、熊本には内海がたくさんあり、島だらけだ。この短い旅行の間にも、大村湾、角力灘、橘湾を見ながら走ってきたが、今日は不知火海を見ながら走っている。内海は見たところ穏やかだが、こういう複雑な地形だということは、そこを流れる潮は、かなり強い力で流れているはずだ。「こんな静かな海でも、小さな船で乗り出したら、強い流れにあっちに流され、こっちに流され、大変なんだろうなあ」と、ギャリさんと喋りながら走る。私たちは、メルボルンでカヌーのチームに入っているから、水の流れにはちょっとばかり興味があるのだ。


日本文化の真髄をギャリさんに説明するのは難しかった


次に倉岳というところを通る。ここには大きな恵比寿像があるので寄り道した。ギャリさんは、日本に来てからエビスビールを愛飲しているから、私としてはぜひ本物の恵比寿さんを見せてやりたかったのだ。港にそびえる恵比寿さんは、実に巨大だった。「これが本当の恵比寿さんだよ」と私がもっともらしく言ったので、きっとギャリさんは、恵比寿というのは、大魔神やウルトラマンのような巨人だと思いこんだに違いない。



それから私は、「恵比寿さんというのは七福神の一人で、漁業の神様だ」と説明したが、それ以上の深い説明ができなくて残念だった。七福神は、なぜ七人なのか、それがどういうメンバーで、その七人がお正月の初夢に登場するのはなぜおめでたいかとか、そういうことをもっとすらすら英語で説明できたらどんなに良いだろう。私は、オーストラリアに30年近く住んでいて英語もそれなりに上達したはずなのだが、こうした日本文化の深部について説明する語彙は持っていない。ああ、ここにK大学歴史学科卒業のT村がいればと、彼の不在を至極残念に思った。


知識不足に悩んだT太


私のそうした知識不足は、やがて次の集落の高戸神社というところでさらに明白になった。ここで大きな秋祭りに遭遇したからだ。


高戸神社に近づくと、高い幟が何本もはためき、祭囃子の音が遠くからも聞こえ、こんな田舎とは思えないほどの人だかりだった。祭りは真っ盛りで、カラフルな着物をきた若者たちが列をなして祭り太鼓をどんどこ叩き、足軽の格好をした若い衆たちが境内を練り歩いている。神主や巫女の格好をした若者たちが笛を吹き、舞を舞っているのだった。ギャリさんは、「ビューティフル!ワンダフル!アメイジング!」と感嘆している。



当然、ギャリさんは祭りについて質問してきた。

「これは何の祭りだ?この人たちは一体何をやっているんだ?」

悲しいかな、私には全然知識がない。

「これは、秋祭りである。あちこちの神社や集落では、秋の収穫を祝っているのだ。ここいらは漁村が多いが、半農半漁の暮らしをしてきたのであろう」と、ほとんど、説明になっていない。ギャリさんは足軽たちを見て、

「この者たちは何者か?背中に何をかついでいるのだ?」と尋ねる。

「かついでいるのは、多分『つづら』というもので、中には殿様のお金や宝物が入っている」と私はデタラメを言う。


私は、もっといろいろ説明しようと試みた。ギャリさんには日本史の知識が少ししかないから、ちょっとのことを説明するにも、他のこともあれこれ説明しなくてはならない。しかし、聞かれても分らないことだらけなので、私の説明はほとんどデタラメのその場しのぎだ。足軽は侍なのか?士農工商の仕組みとは?参勤交代っていつ行くの?肥後は尊王攘夷か佐幕か?巫女には誰がなるのか?神主は世襲なのか?私の貧しい知識では、ほとんど答えられない。



ギャリさんも、しばらくすると、私の説明がかなりしどろもどろなのに気がつき、「じゃあ、そろそろ行こうか?」ということになり、私は正直ほっとした。


デイリーヤマザキの昼ご飯


神社を出ると、私たちのお腹はグーっと鳴った。今朝はローソンの朝ご飯だったが、昼はその先の小さな集落のデイリーヤマザキになった。デイリーヤマザキが登場するということは、ここはかなり田舎という証である。ヤマザキでなければ、サークルケーでも同様だろう。もっと田舎だと「小林商店」というふうに、企業名じゃなくて個人名に変わる。そうなるとそこは、もはやセブンとかローソンでも足を踏み入れない僻地なのだ。


私たちはヤマザキの店先に腰を下ろし、ギャリさんは巻き寿司セット、私はシーフードピラフを食べる。デイリーヤマザキにはあまりチョイスはない。私のシーフードピラフは、冷蔵庫に入っていた時点では「これは食品か?」という外見だったが、チンしてもらうと美味しそうな食べ物に生まれ変わる。匂いだってする。まるで魔法だ。何にせよ、路肩でこういうものを食べるのが板についてくると、立派な苦労人になった気がして誇らしい気分だ。


史上最低の宿に泊まる


追い風にあおられて走ったので、ちょっとした山道なんかも軽く越え、午後の2時半には上天草に着いてしまった。私たちは小さなアイスクリーム屋で休憩し、ギャリさんはクリーム蜜豆、私はアイスで到着を祝った。


そこから今日の宿は目と鼻の先だった。ところが、ここはこの旅で最低の宿だった。史上最低と言っても過言ではない。私はこの宿を長崎から電話して予約したが、T村のように細かくレビューを読んだり、いろいろなサイトで比較検討したりせずに、ただGoogleマップで検索したら出てきたので選んでしまったのだ。しかも、ウエブサイトもない宿だから、「宿に直接電話してください」と表示されていた。だから、もっと用心するべきだったかもしれないが、後の祭りだ。


仮に、宿の名前をS松旅館としておく。S松旅館は、外から見ると立派だった。でも中はひどかった。足を踏み入れるとフロントが一応ある。でも、かなり散らかっていて、ゴミ置き場みたいだった。この時点でかなり不安になった。お土産売り場も横にあるが、そこは粗大ゴミ置き場だった。そして、ずっと奥まで粗大ゴミ置き場が続いていた。



フロントの鐘をチーンと鳴らす。奥からオババが出てきた。おばさんと呼ぶよりも「オババ」と呼ぶ方が似合っている。なぜなら、汚いほっかむりをしていて、何かの作業中らしく、ゴム長靴をはいている。これが接客をする服装だろうか?オババは面倒くさそうに言った。「お泊まりの客さん?」「(見ればわかるだろ)はい、電話した渡辺です」「はいはい、お二人ね。素泊まりでお願いしますよ。一人5500円、先に払ってくださいよ。お風呂はまだ入ってないんだけどさ、小さなユニットバスだったらすぐ入れますけど、どうします?」「え、ユニットバス?」「大浴場は、お湯を張るのに時間がかかるのよ、だから、まだ入れてないの。ユニットならすぐ入れますよ」「じゃあ、ユニットバスでいいです(どうせ大浴場も汚いんだろう)」


部屋は4階だった。エレベーターもない。ギャリさんと私は、4階までひいこら歩いて上がり、足が攣りそうになった。それからユニットバスに代わりばんこに入った。ユニットバスは従業員用の風呂みたいで、お世辞にも綺麗とは言えなかった。S松旅館の中は廃墟のようで、そこら中に粗大ゴミが積み上げてある。まるで40年間閉じていた旅館を、2、3日前に私が電話で予約したがために慌てて掃除し、二部屋だけ泊まれるようにした、そんな感じだった。


「やれやれ、よく調べないで予約したら、ひどい旅館に当たっちゃったよ。ごめんね」と私はギャリさんに謝った。「いや、こういうこともあるよ。でも5500円は、ぼったくりだな。自転車で着いた後に、4階まで歩いて登るのはしんどいぜ」とギャリさんも苦笑した。


またもやローソンの朝ごはん


翌朝、私とギャリさんは日の出とともにS松を飛び出した。こんな旅館には長居は無用だ。ローソンで朝ごはんを食べながら、今日の行程を相談する。

「二つチョイスがある。一つは、ここから三角駅まで30キロ走り、熊本まで残りの30キロは輪行する。もう一つは、列車には乗らず、60キロ全部を走る。泣いても笑っても、我々の旅はそこまでだ。明日は、飛行機で東京に飛ぶのだから。」

「道路はどんな具合だ?」とギャリさん。


「天草五橋を越え、しばらく海沿いの県道を走る。そこまでは景色もいいだろう。最後の20キロは、熊本郊外の市街地走行だ。」


ギャリさんは、海苔巻きを食べながら思案していたが、その表情からは、もうたくさん走ったし、途中から電車に乗って楽をしてもいいかな、という考えがうかがえる。

「T太なら、どうするね?」と、ギャリさんは私に振った。

「オレなら走っちゃうね。丸一日あるんだから、60キロのうち30キロだけ電車に乗るなんて意味がないよ。60キロなら、ゆっくり走っても午後早めに着くよ。」

そう言うと、ギャリさんは腹をくくった。

「じゃあ、走ろうぜ。」



試食のみかんに舌鼓


そこで我々は、最後の60キロを走った。天草五橋からの景色は絶品だった。島原湾に散らばる島々が一望に見渡せる。しかし、橋の幅が狭いので景色に見惚れているとトラックに跳ねられて、50メートル下の水面に落下しかねない。その上、歩道は狭くて自転車では走れない。私とギャリさんは、必死の形相で五本の橋を駆け抜けたというのが本当のところだ。

10月も終わりだと言うのに日差しが強く、午前中なのにもう暑い。ギャリさんは赤い顔で汗をかきかき走っている。海岸線の道はまっすぐで、快晴の空の下、対岸の雲仙岳が手に取れるように見える。先週は雲仙の向こう側を走ってきたのだが、今日はその反対側にいるのだ。


宇土と言うところの道の駅で一休み。道の駅の中に入ると、地元の物産品を山のように積み上げて売っている。果物、弁当やおかず、野菜や魚だ。地方の道の駅で売られている食品のクオリティーの高さにはいつも圧倒される。都会にいたらまず手に入らないものばかりだ。私とギャリさんは、試食用のみかんをもらって、外のベンチで食べる。「こんな美味しいみかんを無料でもらうなんて、なんか悪いなあ」とギャリさんは言う。オーストラリアだと、まず絶対に試食なんかさせてもらえないからだ。


お墓で水をもらって命拾い


宇土を出て少し走ると、そこにはもう熊本郊外の町並みが広がっていた。旅もいよいよ終わりだ。私たちは、交通量の多い県道を離れ、裏道を走った。ところが、そのあたりはまだ農道ばかりで、田んぼの間を走っていると急に道がなくなったり、川に行手を阻まれたりして、なかなか熊本の中心地まで行きつかない。真昼の太陽が真上から照るから暑くてたまらない。ギャリさんは、はあはあ息が苦しそうだ。


そのうちギャリさんは、「ボトルの水がなくなった。どこかで水を補給しなくてはならない」と言い出した。熊本市街まではまた10キロくらいある。せめて自販機でもないかと探すが、どこにも見当たらない。しばらく走ると、小さな墓地があった。


案の定、墓地には水道があった。ギャリさんは何のためらいもなく、墓地の水道で水をじゃあじゃあ流して、ボトルに冷たい水を満たし、ゴボゴボ音をたてて飲んだ。墓地の水で生き返るなんて滅多にないことだが、日本は水のきれいな国だから、墓地の水を飲んでも腹をこわすこともなかろう。何か、山頭火の俳句みたいだと思う。


 炎天をいただいて乞ひ歩く

 分け入れば水音

 へうへうとして水を味わう

  (種田山頭火)


さらに小一時間ばかりさまよい、私とギャリさんはようやく熊本駅に到着した。自転車を停めて、冷房の効いた駅ビルで遅い昼飯を食べる。私はカレーライス、ギャリさんは塩サバ定食だった。それからカフェに入り、脱力したようにコーヒーを味わった。


私とギャリさんの旅も、これで終わりだ。映画のようなクライマックスもなく、ただ汗をかいて、くたびれ果てて、足とお尻が痛くて、ああ、早くうちに帰りたいな、なんて思いながら熊本駅のカフェに座っているのだった。


この旅の最初の四日間、五島列島と長崎市は、T村も参加しての豪日国際部隊だった。それから、私とギャリさん二人での天草遠征。走った距離は、私とギャリさんが290キロ、T村は100キロと、全然大したことはなかったが、滅多に行けないような場所を走ったし、滅多に見られない景色や光景も見た。その上怪我もせず、お腹もこわさないで帰ってこられたのだから、三匹のおじさんとしては、大成功の旅だったと言えよう。


大成功の秘訣は、ひとえにT村とギャリさんが素晴らしい旅の道連れだったことにある。心からお礼を言う。Thank you very much!


(終わり)



 
 
 

Comments


bottom of page