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一人暮らしの夏休み

2017年 1月13日記


11月から12月の頭は、ここビクトリア州では大雨が降って、あちこち洪水になったり、大木がうちの裏庭に倒れたりして、本当に夏が来るんだろうかと思った。ところが、12月半ばからは、打って変わったような晴天続き、しかも気温はそれほど高くない、いわば理想の状態が続いている。


そんな陽気の12月20日、女房のチャコと息子の鈴吾郎を早朝空港に送って行った。二人は日本に一ヶ月里帰り帰国だ。朝8時過ぎの飛行機だから、4時半起床、 5時出発、空港6時時着。やれやれだ。カナダに留学中だった娘の鼓子も、明後日にはバンクーバーから東京入りし、我が家は僕以外、クリスマス、暮れ、正月と日本だ。僕は、帰国しようかどうしようかグズグズしていたら、年末になって飛行機の運賃も上がってしまい、メルボルンで猫タマと留守番になってしまった。


だから一ヶ月、1月20日まで一人暮らしの身になった。空港から帰る車の中では、喜びと寂しさが入り混じった不思議な感傷に襲われたが、すぐに喜びの方が大きくなった。


空港から戻ると、近所のRさん宅へ行く。Rさんには、小学生の息子が二人ある。この二人のために自宅内にサッカー場を作っているので、その手伝いだ。自宅にサッカー場を作るなんて 冗談と思ったが、Rさんはまじだった。Rさんの家は山の斜面2000坪ほどの敷地だが、サッカーボールを蹴る平地がない。そこで、敷地の一番下の 傾斜が緩い300坪を平らにする計画だ。「そんなこと、できるの?」と聞くと、「できる、できる、重機を借りれば、3日で終わるよ」とRさん。Rさんは物静かな図書館員なのだが、やるとなったらやる男で、以前にも自分で家を建てたこともあるし、今も二軒目を建てつつある。

パワーショベルを運転するR氏


さて、敷地に入ると、重機の音がし、小さなパワーショベルと、小さなボブキャットと呼ばれるブルドーザーが動いている。ボブキャットは、小学4年生の長男が運転していではないか!


ボブキャットを運転する長男


「こういうの、ありですか?」と聞くとRさん、「あり、あり、大有り。息子は運転が大好きだし、自分のサッカー場だから、気合が入ってるんだよ」と笑い顔。


小学生がブルドーザーとは驚いた。「さあさあ、鉄太さんにはパワーショベルをやってもらおうかな」と、Rさん。観念して、パワーショベルの運転席に座る。色々なレバーが5、6本突き出ていて、どこをどうやるのか分からない。Rさんが、簡単に説明してくれ、「5分も練習すれば、できるようになるから」と、笑って言う。僕は「マジかよ」と、独り言。でも、5分もやったら、本当にできるようになった。


独身生活初日は、そんなわけで、土木の仕事となった。



12月21日、二日目。


またもRさんの家でパワーショベル。Rさん、「今日中にあそこまで削れるかな?」と言って、5メートルほど先の松の樹を指差す。こう言うと簡単だが、5メートルX幅10メートルx高さ3メートルと言うと、150立法米の土砂の移動だ。 「無理、無理、ぜったい無理!」と僕。


それでも、夕暮れまでに、その半分くらいはやっつけた。くたくたで、家に帰って、ビールを飲んで、ステーキを焼いて食べ、ダウン。



三日目、12月22日。


家族が出かけたらすぐにやろうと思っていた、水道栓の漏れを直す。家族がいても水道修理はできるが、元栓を閉めるので、誰もいない方が楽だ。水道栓を直すのは簡単そうでなかなか難しい。直し方が分からない栓もある。


まず固くなっている台所の栓と、風呂場のシャワーの栓に取り掛かる。分解し始めてみて、パッキンのゴムがないことに気が付き、ホームセンターへ走る。ところが、せっかく買ってきてたら、 サイズが違っていた。ホームセンターに走って戻って取り替えてもらい、どうやら組み込んだ。シャワーの方もポタポタが収まり、ホッとする。でも、シャワーの取っ手をはめるネジがおかしな形で、どうやって締めたらいいか分からない。専用のネジ回しが必要なようで、ホームセンターに再度とって返し、そう言うネジ回しがないか尋ねるが、「ありません」と言う返答。うんざりする。


水道の栓を直したり、下水の詰まりを直したりするのは、もはや年中行事になりつつある。だが、どうも水回りは得意でないし、やっていてもあまり楽しくない。一昨年は、クリスマスイブに洗濯機の排水口を直したが、管の下の方が詰まっていたので床下に潜ってドロドロになり、それで一日潰れた。しかし、こう言う小さな「災害」を時どき経験しないと何事も身につかない。本当は、他にも直したい水道栓はいくつかあるのだが、今日はこれでおしまいにする。


水道栓を直してホッとしていたら、「明朝、ボートを借りるので、釣りに来ませんか? 時間は朝7時から11時。早朝だから、今夜からうちに泊まって、明日一緒に行きましょう」と、ジーロンのK松さんから電話。非常に良いタイミング。こういうお誘いは断る理由がないので、車を飛ばして、ジーロンまで100キロのドライブ。


ジーロンに着くと、ちょうど夕食の準備ができた ところ。夕食は、K松さんが前日に釣ったカワハギの刺身。コリコリして美味しいこと。



12月23日、独身四日目。朝6時起きで、K松さん、小学5年生の娘さんと海に向かう。


「 大きなアオリイカがじゃんじゃん釣れていますよ」と、貸しボート屋のマイクは、笑顔でそう言った。

「 先週は、大きな奴を12ハイあげました」とK松さんも自慢する。僕は、実を言うとイカは釣ったことがない。そこで期待に胸を膨らましてボートの人に。


500メートルばかり沖に出ると、もうそこはイカがうじゃうじゃいそうな場所だった。青く澄んだ水面を覗くと、森のように海藻が 生えた海底だ。


「よっしゃあ、たくさん釣るぞ」と、三人とも息巻いたが、なかなか釣れない。「おかしいなあ?」Kさん。僕もK松さんの娘もイカ釣り用のエギ(ルアーのようなもの)を振り回すが、全然あたりがない。


それでも、「あ、釣れた!」とK松さん。エギに食らいついた大きなアオリイが墨を吹いている。しばらくして、もう2匹。でも、僕も娘さんも釣れない。僕は、諦めて普通の魚を釣ることにした。


しばらく待つと、弱いあたりがあった。引き上げると、30センチのガーフィッシュ(サヨリ)。「え、こんなのがいたんだ!」と、K松さんが驚く。


K松さんが、アオリイカをもう一匹あげたが、その後は何もかからなくなった。太陽も頭の真上。「もうすぐお昼ですね、そろそろ帰りましょうか」と、ボートを港に向けた。


僕は、自分は釣りもしないのにアオリイカを2ハイお土産にもらって帰宅。これが、翌日の僕のクリスマスイブディナーになった。



12月24日、25日


クリスマスイブとクリスマスは、独身生活ゆえ、人を呼ぶのも面倒だし、呼ばれるのも面倒なので、首を低く、誰のアンテナにも引っかからないように隠者のごとく過ごす。イブは、サヨリとイカの刺身を堪能し、クリスマスは、でかいステーキを焼いて食べた。うまうま。こう言う時に一人で、誰とも口を聞かないで過ごしていると、地球最後の男になったような気分だ。


さて、この二日とも、昨年作ったベランダを再塗装する。昨年ホームセンターの店長のグラントは、「このウルトラデッキという塗料を塗れば、優に三年はもつ」と太鼓判を押したが、たった一年で、太陽にさらされ、雨に打たれ、息子がサッカーのリフティングを練習し、家族も毎日行ったり来たりしたら、デッキの真ん中がハゲハゲになった。


「一年でハゲハゲだ」と、グラント店長に言うが、「そりゃあ、オーストラリアの紫外線は強力だからね!」と、紫外線のせいにした。まあ、嘘とは言えない。そこでまたウルトラデッキを塗った。人が歩く真ん中は、3度塗りした。


きれいになったデッキ


12月26日 ボクシングデー。


家族が日本に帰国して、はや一週間。こう毎日働いてばかりいてはつまらない。車を飛ばして、モーニングトン半島突端、ポートシーまで釣りの下見。クリスマス明けのボクシングデーの休日で、しかも天気はカーンと晴れ渡り、高速はかなりの渋滞。みんな海に繰り出す人ばかり。


いつもの倍くらいの時間がかかったが、昼前ポートシーに到着。ここは金持ちの別荘が連なる海浜の街で、 海岸沿いを走れば3台続けてポルシェとすれ違ったりする。ここの桟橋でイカがじゃんじゃん釣れるらしい。ポートフィリップ湾の一番外海に近い場所 だから、あり得る話だ。


今日僕が下見に来た理由は、日本からこちらに帰国中のM城さんと、釣り友達の前述K松さんの二人を、ここに 案内しようと言う魂胆だからだ。下見でも一応釣竿は持ってきた。桟橋に出てみると、若い男が見ている前で、続けてアオリイカを3バイ釣り上げた。「本当かよ!」と、思わず唸ってしまう。ところが好天気の休日だから、すぐに海水浴の人たちが桟橋からバシャバシャ飛びこみ始めた。これじゃあイカ釣りなんてやってられない。僕も竿を振ってみたが、釣れたのはキス一匹。これから夏休みが佳境に入るから、ここじゃあイカ釣りは無理だろうなあ、と残念な気持ちで帰途につく。



12月29日。


今日と明日は、いよいよM城さんとK松さんが我が家に泊まりにきて、二日続けて釣り合宿だ。


一日目は、近場のSポイントと言う海辺へ行く。天気がどうも思わしくなく、雨雲がもくもくしている。先日のポートシーは遠いので、また別の機会にということになった。


Sポイントは、フレンチ島に行くフェリーが出る桟橋で、この間引き潮の時に、息子の鈴吾郎がカワハギをじゃんじゃん釣り上げた場所だ。カワハギは、釣っても引きがあまりないし、鈍重な感じであまり面白くないが、食べるとコリコリしていて美味しい。それに、他に何も釣れなくとも 、カワハギだけは大概いてくれるから、ありがたい魚だ。今日は、普段は日本在住(単身赴任)のM城さんに、カワハギでもいいから、普段釣れない分だけ釣ってもらいたい。


桟橋からは、広々とした海のあちこちに、雨雲が垂れているのが見える。対岸のフレンチ島では雷が光っている 。「まあ、やれるだけやりましょう」と、三人とも竿を振る。


すぐに、どーん、と鈍いあたり。やはりカワハギだ。「来ましたよ、カワハギさんです!」と僕は二人に伝える。「ここまできてカワハギを釣ってるんじゃあ、意味ないなあ」と、普段ジーロン近辺で、毎日のようにカワハギを釣りまくっているK松さんが、やや不満そう。


でも、僕とK松さんは、コツだけはわきまえていて、すぐに2、3匹引き上げた。ところが、M城さんは、そのあたりのコツがイマイチなので、なかなか釣りあげられない。


ところがついに、「あ、来ましたよ!あ、重い、重い!」と、M城さんが、中腰になって叫んだ。 見ると、針には今日一番の大物がかかっている。30センチはあるカワハギだ。「やりましたね、M城さん!」と僕。


ところが、釣り糸が桟橋の手すりに引っかかり、大物がボタンと落ちてしまった。「あ、カワハギが落ちる!」とM城さん。針から外れたカワハギは、海に戻ろうと桟橋でバタバタ跳ねている。とっさに僕は、バレーボールのトスの要領で、カワハギを素手で引っ叩いた。それでどうやら無事にゲット。カワハギには鋭いトゲがあるので、刺さったらどうしようと思ったが、無事だった。


三人で、小一時間で5、6匹釣り上げただろうか、いよいよ雨空が重く垂れ込めてきた。「やばいですね、帰りましょう」とK松さん。車に飛び乗ると、すぐに天の底が抜けたような大雨になった。


家に戻り、カワハギ六匹はお刺身になった。一番の大物を釣り上げたM城さんはまんざらでもない顔で、お刺身を口に運んでいた。ああ、良かった。



12月30日。独身生活10日目。


日本にいたら、この時期は、帰省だの、大掃除だの、おせちの準備だの、年賀状書きだので忙しい が、オーストラリアでは、ただの休み。いや、休日でもなく、ただの平日。


よって、K松、M城、私の三人は、家族をほったらかして今日も釣り 。昨晩のカワハギで気を良くしたM城さんは、さらに気が大きくなり、「もっと遠くに行って、もっと大きな魚を釣ろう!」と開高健みたいなことを言い出したので、東のギップスランド方面に行くことになる。


ギップスランドは、メルボルンの東から大陸の果てまで広がる大平原で、その海沿い には、いくつもの有名な釣り場がある。一番東700キロ先には、イーデンという町がある。そこはかつての捕鯨の町だが、今 でもブリやらマグロといった怪物級の魚がじゃんじゃん釣れる(らしい)。その手前のマラクータと言う入江には、チヌ、コチ、シマアジといった美味しい魚たちがたくさんいる(らしい)。


しかし、日帰りではそんな遠くまで行けないので、「とにかく、行けるところまで行きましょう」と、興奮するM城さんを牽制しつつ、やや二日酔い気味の三人を乗せた車は東に向かった。1時間ほど走るとコリ**という標識が見えてきた。


「コリ**で、ちょっと手合わせをしてみたらどうでしょう?」と僕。コリ**は、実はちょっと有名な釣り場なのだ。ここは、昨日行ったSポイントと、フレンチ島を挟んだ逆側で、フレンチ島との間が狭い海峡になっている。ここだけ、ぐっと水深もあって魚影も濃い(らしい)。


「そうですね、ちょっとここで手を合わせてみましょう」と、二日酔いが抜けないK松さんも同意したので、高速を降りて桟橋へ。


コリ**の青い海と空


桟橋に行くと、先客の釣り人が5、6人。イカ釣りの人、糸を遠くに投げて大物狙いの人(オーストラリアにはこの手が多い)、比較的近くで、ウキを付けて、サヨリやキスを狙っている人などいろいろだ。


「こういうところは、何が釣れるかわからないからなあ」と、百戦錬磨のK松さんが呟く。K松さんは、我々の仲間では一番場数を踏んでいて、イカでも、カワハギでも、キスでも、ウナギでも、マグロでも、何でも釣ってしまう達人だ。幼稚園の先生なのだが、釣りが好きなので、海の近くの幼稚園に勤めているくらいだ。まあ、コリ**でマグロは無理だが、僕も何が釣れてもいいように、万能な落とし込みの仕掛けをぽちゃんと桟橋から落として見た。


待つこと30分、グーンと竿がしなった。糸が右に左に走る。「きた、きた、ボラかシマアジだ!」と僕は叫ぶ。桟橋の下に隠れていた魚が食らいついたのだ。ファイトがすごい。鈍重なカワハギでないことだけは確かだ。


落とさないように、慎重に巻き取ると、22センチの銀色に光るシマアジだった。シマアジは釣って楽しいし、食べるにも刺身でよし、焼いてよしの大好物の魚である。これは嬉しい。


「お、いいのが釣れましたね」とM城さん。K松さんも、「よっしゃあ、本腰を入れて釣りましょう」と気合いを入れる。K松さんは、撒き餌をピシピシと海にまいて魚を集めにかかる。日本では当たり前の漁法だが、オーストラリア人はあまりやらない。彼らは、大きな餌をつけて、遠くに投げて、気長に待つのみ。それじゃあ、なかなか釣れないですよ。


と言うわけで、僕たちのところだけ、シマアジやボラやキスがじゃんじゃん(と言うほどではないが)釣れ始めた。周りのオーストラリア人は、「どうやって釣ってるんだ?」と見に来る始末。


シマアジなど


そんな具合に、昼過ぎまで釣って、持ち帰れるサイズの魚が合計7、8匹釣れた(持って帰って良いサイズが法律で決まっている)。「そろそろ帰りましょうか」と K松さんが促す。M城さんは、もっと遠くで、さらに大物を釣りたがっていたが、「また、お正月に行きましょう」と言う。お正月とは、2、3日後のことであるのだが。


大晦日は、家のペンキ塗りと、庭の芝刈りをした。メルボルンのシティでは、花火大会とかあるが、そう言うところには、酔っ払いの若者があふれているだけなので、家で大人しくする。それどころか、昼間の作業で疲れて、9時には寝てしまう。



2017年、元旦。


いくらか曇り空で、気温も涼しいので、サイクリングに行く。行き先は、いつも走っているウォーバートントレールという自転車道。ここはもともと森林鉄道の線路だった道だから、勾配も緩くて楽チン。自動車も来ないから、ゆったり走れる。もう何度も来ているから、ちょっと飽きたけど。


景色を眺めながら走っていると、マウンテンバイクのティーンエージャーの少年が、すごい勢いで抜いていった。ところが、ちょっと先で、急にくるっと向きを変えて戻ってくる。どうしたんだろう?と行ってみる と、なんと道の真ん中に、牛の群がいるではないか!大人しそうな雌牛ばかりだが、10頭くらいいて、のどかに草を食べている。しばらく待っていたが、なかなかどいてくれない。


「モウ、堪忍袋の尾が切れた」と、自転車を押しながら、じりじり近づいて行ったら、 気の弱そうな牛からどき始めた。 だが、気の強そうなリーダー格の牛は、僕を睨んだまま動かない。もう引き返そうかと思ったが、5分くらい睨めっこしたら、リーダー牛も牧場の方へ歩いて行った。やれやれ。今年は酉年だと思ったが、元旦から牛に出くわすとは、どう言うことか。


自転車道の牛たち


今日は、セビルから終点のウォーバートン村まで往復し、50キロプラスを走った。元旦だが、僕と同じように一人で黙々と走っている人もいて、自分だけがこんなことをしているのではないと分かってホッとする。もちろん家族連れやグループで 楽しそうに走っている人たちも多い。


しかし、久しぶりだったから、 たった50キロ走っただけで疲れてしまった。


家に帰って、シャワーを浴びて、今度はブライトンのF原さんの家に向かう。ブライトンは、メルボルンのシティの近く、海外沿いの高級住宅街だ。ここらの 住民はみんなポートシーとか、ケアンズとか、南仏とか、日本のニセコとかに別荘を持っているから、夏休みは不在、元旦の今日はゴーストタウンだ。


F原さんは、僕がこの夏、独身生活を送っていると知り、「焼肉をするから、泊まりがけで来てください」と、親切に誘ってくれたのだ。


僕がお邪魔すると、すでに焼肉の準備ができている。ビールを飲み、つまみを食べてから、オーストラリア産「和牛」を炭火でじゅうじゅう焼いて食べる。うまくないわけがない。飲み物は、日本の焼酎になる。僕がで釣ったシマアジの一夜干しも 焼いて食べた。釣れたてなので美味い。


食後は、一日遅れだが、インターネットで紅白歌合戦を観る。日本にいた時も紅白は滅多にみなかったし、本当に久しぶりだ。僕が最後に見た紅白は、鈴木健二アナが司会をしていた回で、最後に時間切れなのに、鈴木アナが、「私にもう1分ください」と叫んで有名になった時だ。あの時ですら、出演している歌手のほとんどを知らなか ったが、2016年紅白の出演者は、さらに知らない人ばかりで、宇宙人を見ている気がした。しかし、まあ、酒をだらだら飲みながら、こういうものを見るのも悪くない 。


一月二日。だらだらとF原さん宅に居座る 。朝は、奥さんが美味しいお雑煮を作ってくれた。「何もないんですが、おせちを少しだけ」と、すごくちゃんとしたおせちもご馳走になる。それで、ベラベラ喋っていたら、もうお昼だ。


「そろそろお暇します」と言うと、ご主人が「いやあ、ラーメンを食べて言ってくださいよ」と言うので、「じゃあ、ラーメンを食べたら帰ります」とお言葉に甘える。


ご馳走になったラーメンは、インスタントだったが、この頃の日本のインスタントラーメンは、飛躍的に美味しくなった。F原さん曰く、「この頃インスタントが非常に美味しいので、わざわざ外にラーメンを食べに行く必要が無くなりました」。僕は「ラーメンを外に食べに行く必要」と言うのを経験したことがないが、F原さんの言わんとすることはよく理解できる。メルボルンにも、この頃ラーメン屋や居酒屋がたくさんあるが、たかだかラーメンに日本の何倍ものお金を払うのは馬鹿馬鹿しい。



その後の独身生活のダイジェスト。


この後も、僕の独身生活は一月二十日に家族が帰国するまで続いた。その間に、家の屋根の周りと、窓枠のペンキ塗りを終えた。午前の涼しい時間帯は、ペンキ塗りや庭仕事、午後は昼寝か釣り、夕方も釣りに行くか、一杯やって映画をみて寝てしまうと言う生活を規則正しく続けた。自分一人でも規則正しい生活が送れることで、今後の人生を乗り切って行く自信が湧いてきた。


仕事は一切しなかったし、パソコンの前に座るのも、フェイスブックとメールをチェックして天気予報を読む以外はほとんどしなかった。だから夏休みが終わった時点で仕事に戻れるか、若干の不安がある。


釣りは、お正月にまたM城さんとポートシーに行ってみたが、海水浴の人が多くて、やっぱり何も釣れなかった。あとの時は、前述したコリ**に一番多く通った。ここへは我が家からは1時間ちょっと、距離にして70キロほどである。高速をビューンと飛ばして行けばいいので楽である。ここへは、朝、昼、晩と通い、干潮時も満潮時にも行って釣ってみたが、干潮から満潮に向かう時、それも午前中が一番釣れることが分かった。何度も通ったので顔見知りになった釣り人もあって、「九月に来てみろよ、40センチのシマアジが、ばーんと釣れるぞ」と教えてくれた。今後の釣行に期待が膨らむ。



1月19日。独身生活最後の日。


いよいよ、これで僕の夏休みも終わりだ。たった一人で暮らしていると、1日中誰とも口をきかない日もあったが、わりに頻繁に友達にも会っていたので、それほど孤独ではなかった。しかし、そろそろ一人で食事をするのも飽きてきたし、家族に会っていろいろな話をしたい欲求が頭をもたげてきた。おかげで、自分が正常な人間であることが分かって安心した。


最後の日、残っていた窓枠のペンキ塗りをし、釣り具を整理した。そう言えば、せっかくの夏なのに、シーカヤックには全然行かなかった。海に行くにしても、魚を釣りたい 欲求の方が俄然大きかったからだ。以前は逆で、釣りに行っても、シーカヤックに乗りたい欲求の方が大きいことが多かったが、僕の趣味の優先順位は時によってかなり変わる。


作りかけのボート製作にも、もっと時間を割くつもりであったが、ペンキ塗りにかける時間が多かったので、思ったほど作業をしなかった。それでも、ボートの裏底のサンディングはほぼ終えたので、あとは塗装をするだけになった。これで、いよいよ内部の製作に取り掛かれる。ボートは今年ゆっくり仕上げるつもりである。何も急ぐことはない。


数えてたら、十二月二十日から一月二十日の間、釣りは10回以上行ったので、三日に一回は行っていたことになる。要するに、釣りばかりしていたアホな夏休みだった。でも、子供に帰ったように楽しく、時には一人で、時には友達と一緒に、心から笑って過ごすことができた。


人は、ある程度思い切って、アホになったと思うくらい遊んでしまうのが精神的に良いことがわかった。だから今年は、仕事は最短時間で切り上げ、残った時間は思い切り遊ぶ方針で行くことに決定した。


持って帰るには1センチ足りなくて、命拾いした29センチのコチ



 
 
 

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