「メルボルンあちこち日記」を始めるにあたって
- 鉄太 渡辺
- Feb 25, 2021
- 3 min read
Updated: Feb 15
2021/02/26
2021年2月末。「メルボルンあちこち日記」と言うブログを始めることにしました。何年か「メルボルン薪割り日記」 http://makiwarinikki.sblo.jp と言うのを書いてきましたが、これはやめることにしました。なぜやめるかと言うと、まず、文字通り、薪割りをもうほとんどしなくなったことがあります。「五十肩」と言うのか、右肩の痛みが繰り返すようになり、薪割りを楽しむ心境ではなくなったからです。(治療を開始したので軽快してくれることを願っていますが。)それから、「薪割り日記」で書いてきた文章がけっこう重たくて、分量も小説的な感じで長かったから、書くのが大変になってきたせいもあります。反響があればあるほど、面白いものを書きたくなり、あまり頻繁には文章をアップロードできなくなってしまったというジレンマに陥ったのでした。

その上、私は、大きな災害が起きると、無口になってしまい、ブログにも何を書いて良いか分からなくなる性質があります。3・11の震災があった時も、私はまるで貝になったように無口になり、ブログにも大したことは書けなくなってしまいました。現実に起きていることがあまりに重いゆえに、思考が停止し、言葉にできなくなってしまうのです。コロナになってからも、家のペンキ塗りをしたり、畑仕事に精を出したり、音楽をやってみたり、自宅から仕事をしつつ、ズームで人と人をつなげる努力をしている人たちを見て、偉いなあ、素晴らしいなあと思いつつも、自分はちっとも何かのイニシアチブを取ることをしませんでした。だから、ブログに書くこともあまり思いつきませんでした。オーストラリアのコロナ事情をあれこれ「薪割り日記」に書こうとも考えましたが、全然筆が進みませんでした。これは物書きとして失格と言っても良いでしょう。あるいは軽いうつ状態であったのかもしれません。
コロナでメルボルンは3回ほどロックダウン(外出規制)がありました。3週間、6週間、5日間と言った長さでした。この間は、自宅から買い物や通院以外の外出は許されず、しかも5キロ圏内から出られなくなりました。そうなると、私は普段から家にいるので、逆に外出したいウズウズがたまらなくなりました。いつも通っていたダンデノンの公共図書館も閉まってしまい、そこへも行けなくなりました。万事休すです。私の気の塞ぎはより重くなってしまいました。

しかし、こうした状態がいつまでも続くわけではなく、ロックダウンも明けて、オーストラリアの感染者もほとんどいなくなり、外出も(外国へ行くこと以外は)ほぼ自由にできるようになりました。開催が危ぶまれていたテニスのオーストラリア・オープンも開かれ、みんなが大好きな大坂ナオミちゃんが優勝しました。もちろん、まだコロナ禍が終わったわけでもなく、まだまだ油断は禁物ですが。
メルボルンは今は秋です。秋の軽く、爽やかな空気を吸いながら、私はもっと軽いものを書いたらどうかと考えたのです。コロナ騒ぎが始まって一年以上経ち、これまでとはかなり違った日常を送りつつ、自分の中にもいくつかの変化があったことに気がつきました。そして、その中のいくつかに関して、ブログに書けそうだなと思ったのです。

それは、読書のこと、近隣を歩いたり、自転車に乗って訪れる場所のこと、近所に住んでいる人たちのこと、日本とオーストラリアのことなどです。「薪割り日記」に書いてきたことと重なることも多いですが、全く新しいことも含まれます。
と言うわけで、私の文章にまたお付き合いいただければ幸いです。
Commentaires