メルボルン、シドニー往復2000キロのドライブ
- 鉄太 渡辺
- Oct 20, 2016
- 20 min read
2016年10月20日
春休み、メルボルンの自宅からシドニーの北側ナラビーンという町まで、片道930キロのドライブ旅行に行ってきた。これまで一日で走った最長距離は、南オーストラリアのモーガンからメルボルンまでの830キロなので、今回が自己最長記録となった。
シドニーへ行った訳は、息子の鈴吾郎(りんごろう、13歳)がサッカーのビクトリア州代表チームに入ったので、その観戦だ。こう書くとまるで「甲子園」に出たみたいだが、それほどではなくて、あくまで彼が所属している「教会リーグ」という地域リーグの中でのことで、オーストラリア中学生サッカーの最高峰ということではない。トーナメントは、全部で5日間の総当たり戦。ひとチーム毎日2、3試合を行う。今回出場は、南オーストラリア、ニューサウスウェールズ、クイーンズランド、そしてニュージーランドの各代表だ。


でも、一応州代表だから鈴吾郎の鼻息は荒い。そして、その鈴吾郎のサッカーを支えてきた母親チャコの鼻息も同じくらい荒くなった。だから、ちょっと遠いけどシドニーまで行ってみますか、ということになった。
通常シドニーへ行くには一時間半の飛行機なのだが、今回は現地で宿とトーナメント会場の間の移動もあるし、できればシドニー観光もという魂胆もあったので車になった。飛行機の方が往復2000キロのガソリン代よりも安かったかもしれないが。
メルボルンからシドニーへの往路は、メルボルンを出たのが午後だったので、280キロ先のワンガラッタという町で一泊することになった。だから、一気に950キロ走るのは、シドニーからの帰路ということに。鈴吾郎たちサッカー選手陣は、バスでの移動なので、行きも帰りも別行動だった。
ワンガラッタまで280キロ
午後2時にメルボルンの東側のベルグレーブにある我が家を出発した。シティを抜けて、一回だけ休憩に止まり、ワンガラッタまで三時間弱のドライブだった。これくらいのドライブは楽勝だ。天気は小雨だが、メルボルン空港の横を抜けて北に向かうヒュームハイウエーはシドニーとメルボルンを結ぶ大動脈だから、4車線で速度制限は110キロ。110キロを超えないようにクルーズコントロールを110キロに合わせる。自分でアクセルを踏んでいると、登り道ではスピードが落ち、下り坂ではスピードが出すぎるが、クルーズコントロールだと、ぴったりと110キロを維持できる。オーストラリアで長距離を走るときはこれが便利だ。うちのスバルは燃費があまり良くないが、高速に出ると流石に良くなり、リッター15キロ以上走るので、得をしたような気がする。4車線だと、遅い車は追い抜けば良いし、速い車には好きなように抜いてもらえるから気が楽。多くのオーストラリアの田舎では、一級の国道でも2車線の対面通行が多いから、100キロで走って、抜きつ抜かれつするのはかなり気疲れする。それに比べると、ヒュームハイウェーは天国のよう(だから、退屈でヒュームは嫌だという人も多い。でも道路はレース場じゃないんだからね!)。

ヒュームハイウェーの青い空
夕闇が落ちる頃、ワンガラッタに着いた。人口2万人の町だが、2万というのはオーストラリアの田舎では大きな方に入る。そういう町は周囲数百キロのいろいろな要所も兼ねるから、学校、政府事務所、銀行、商店、自動車屋、空港、病院、スポーツ施設、賭博場などがある。ワンガラッタもそうで、人口の割には店がたくさんあって賑やか。ただし、日没までのこと。日が暮れると、ガラッと人気がなくなる。オーストラリア人は日が暮れるとみんな家に帰ってしまい、店も田舎ではきっかり5時に閉めてしまうところも多い。ワンガラッタもその通り。
「しばらく仕事をする」と言う女房をモーテルに残し(パソコンとWIFIがあれば、どこでも仕事ができる人)、ワンガラッタ見物の散歩に出た。6時過ぎにはもうゴーストタウンで、長さ1キロほどの目抜き通りを歩いている人は数える程。開いている店はピザ屋と中華屋、そして最近増え始めたマッサージ屋くらい。
そんな目抜き通りを歩いて、町の反対側を流れるマレー川の支流であるキングリバーまで歩く。この冬ビクトリアは雨が多く、マレー川はあちこちで氾濫して洪水を起こしている。キングリバーも満々と水をたたえていて、すぐにあふれそう(しばらくして、ワンガラッタも洪水になった)。
偶然だが、今夜は僕ら夫婦の結婚記念日だ。だから、このキングリバーを見下ろすようにして建っている(はずの)フランス料理のレストランを予約しようと言うのが、僕の散歩の魂胆だった。だが、どう言うわけか目当てのレストランがない。同じ住所には、やや雰囲気の違うカフェがあって、そこには普段は農場で働いているような日焼けした若者がぎっしり集っている。みんな刺青をしていて、農機具会社のマークがついたベースボールキャップをかぶっている。そのお相手は、化粧の濃い、金髪やブルネットの女性たち。店内には大きなテレビスクリーンがあって、オーストラリアンフットボールの試合を写し出している。どう見てもフランス料理店ではない。目当てのレストランは潰れたらしい。
ああ残念!結婚記念日に、ワンガラッタでピザか中華か!情けないなあ、俺たち夫婦!と、さえない気持ちでモーテルに戻るが、途中にちょっと洒落たイタリア料理があった。ビクトリア朝風の古い建物、店内にはかっこいいバーもある。ここなら良いかもしれない。
というわけで、仕事を終えた女房を連れて、このイタリア料理におもむく。結果を言えば、味の方は大味、量も多め。ワンガラッタだから仕方がないかも。僕はサーモンのステーキ、女房は、ほうれん草のリゾット。ワインは、この間のニュージーランド旅行以来はまっているピノ・ノワールの赤。
食べながら辺りの人を観察。横に座っていた「農場風」夫婦は、それぞれが500グラムのステーキをペロリと平らげた。500グラムのステーキというのは、半端な大きさではない。厚みは3センチ、直径は大きなお好み焼きほど。日本人なら四人前だろう。その横では、三世代の家族が集まってピザの大判振る舞い。誰かの誕生日らしい。そのさらに横では、すごく太った彼女と、すごく痩せた彼氏というカップルがデート中。
一応イタリア料理店でありながら、雰囲気は西部劇に出てくる居酒屋のようだ。現代のオーストラリアであることと、ここが田舎であることを匂わせるのは、客が白人ばかりで、それも肥満の人が多いこと。服装も地味目、というか野暮ったい。肥満はオーストラリアの社会問題であり、医療や税制、教育にまたがる問題だが、ここらの人が食べているものを見ると、体重を減らそうという積極的な努力はほとんど見られない。だが、そう言うことが例え事実だったとしても、ここにいる人たち一人一人に対して僕が批判的になることは間違っている。この人たちの体重が僕よりいくらか重くても、この人たちが田舎に住んでいていくらか野暮だったとしても、僕がこの人たちの人間性やライフスタイルなりを批判できることにはならない。僕だって、僕の生き様や食べているものを他人からとやかく言われたり、偏見の目で見られるのは迷惑なのだから。
シドニーまであと600キロ
翌朝8時、ワンガラッタを出発。シドニーまでまだ600キロ以上ある。女房の朝飯はヨーグルトにフルーツ。僕はフルーツと紅茶だけ。昨晩の大きなサーモンのステーキがまだお腹に残っている。あのサケだって、軽く250グラムはあっただろう。
ヒュームハイウェーを行くが行くが行くと、ビクトリアとニューサウスウェールズ州境のウォドンガ・オルベリーという町だ。ここにはマレー川の主流が流れる。雨ばかりだから、ものすごい水の量。さらに行くとGundagaiという町。「ここって、確か何かで有名だったな?」と記憶するが、何だったか思い出せない。それでも行くと、Dog on the tucker box(弁当箱に座った犬)と書かれた標識がある。これで思い出した。オーストラリア版忠犬ハチ公の物語だ。昔、ここに牛飼いたちだけが暮らしていた頃、主人の弁当箱に座って主人の帰りを待ち、その中に排便したという犬の物語だ。主人の弁当箱に排便する犬のどこが忠犬なのか分からないが、この犬のことを歌った民謡さえある。Gundagaiではこの犬のフェスティバルが毎年あるというし、道路にも大きな看板はあるし、博物館もあるし、さぞや立派な犬グソだったに違いない。
タラカッタという、カルカッタみたいな名前の村がシドニーとメルボルンのちょうど真ん中にあった。ここでスバルを給油しようと高速を降りると、すぐに110キロから50キロに減速の標識だ。減速しきらないで70キロくらいで走っていると、忍者のように隠れていたパトカーが出現した。「ちゃんと減速しなさいよ」と、きついお叱り。でも、切符は切られませんでした。やれやれ。以後は絶対に捕まらないように気をつけることを肝に銘ずる。
まだシドニーまで500キロある。やれやれ。ヒュームハイウェーはくねくねと、緑の丘と牧場、森や林をぬって続く。昨夜は27年目の結婚記念日だったし、今日は僕の母の命日でもある。僕たち夫婦の会話も、そうした様々な過去を振り返ったり戻ったりするが、やがて話すことも途切れてくる。そう思ったら、チャコは助手席でぐうすか寝ている。昼飯の後だから気落ち良さそうに舟を漕いでいる。俺も寝たいよ、全く。

シドニーには、どうにか午後3時にやっと到着。やっぱり疲れたが、シドニーの町は、はっとするくらい綺麗だ。シドニー湾を囲むように街が広がり、その真ん中にはシドニーハーバーブリッジがそびえ立ち、向かいにはオペラハウスがある。「いいねえ、金持ちになったら、このあたりに家を買いたいね」と、いつもと同じ冗談を言いつつ橋を渡る。そこから目的地ナラビーンまで小一時間、午後4時着。今日は600キロを8時間ほどで走ったことになる。
宿のエアB&Bは小高い丘の上にあった。リタイアしたイスラエル出身のカップルが経営している。母屋の地下に小綺麗なアパートメントがしつらえてあり、ここが私たちの宿だ。地下と言っても丘の斜面だから半地下で、窓から海が見えるという優雅な地下室。広い台所付きの居間に、洗面所、ベッドルームがあり、広々としている。ここが一泊70ドルとは格安だ。
サッカー三昧の日々
翌日からサッカーの試合見物。いくら教会リーグでも州代表だから、子供たちのテクニックもさすが。これくらい上手いと見ていても面白い。応援にも熱が入る。鈴吾郎のビクトリア州チームは昨年優勝したので、今年も優勝を狙っている。今年初参加の鈴吾郎は、補欠扱いで、試合に勝っている時だけは出してもらえる。末席でも、そんなチームに入れてもらって鈴吾郎は本当に嬉しそうだ。彼の取り柄は、走るのがやたらに早いこと。ボールが回ってくると、ミツバチのように猛烈にダッシュする。あの足の速さは誰に似たんだろう?

俊足、鈴吾郎
ビクトリアからは、僕たち夫婦だけでなくて、他にも10家族ほどが応援に駆けつけている。チームメイトの家族の文化背景もいろいろで、うちは日本で、それ以外は、ギリシャ、マレーシア(それともインドネシアかな?)、アフガニスタン、アフリカのスーダンかどこか、オランダ、インドなどなど。オーストラリアにいると、相手の出身などはいちいち尋ねないのが礼儀だし、見ただけでは本当にどこの出身だかわからない。とにかく、みんなで一団となって応援する。

観戦中のチャコ
キューピーマヨネーズは偉い!
正直言って、オーストラリアを旅行していてつまらないのは食事だ。どこに行っても同じようなものしかないからだ。ピザ、イタリア料理、サンドイッチ、フィシュアンドチップス、巻き寿司、中華、ハンバーガー、ミートパイ、サンドイッチなどの繰り返し。
もちろん、その中にも出来不出来もあるし、お金をたくさん出して、それなりの場所で食べれば目の玉が落ちるような素晴らしい料理もあるだろう。それに、肉や野菜や果物といった食材は豊かだ。でも、庶民的な食事のレベルだと、どこへ行ってもあまり変化がない。日本なら、電車で旅行しても車で旅しても、どこかの町へ着けば、その土地の名物が目白押しに並んでいるし、名産品もたくさんある。でもこちらでは名産品なんてないし、スーパーへ行っても、シドニーのウールワースもメルボルンのウールワースも、全く同じような造りで、全く同じ商品が全く同じ値段で売られている。メルボルンでもシドニーでも、チキンの丸焼きは一羽7ドル99セント、デリカテッセンの横の保温ケースの中に並んでいる。(どこのスーパーでも、商品を探す手間が省けるけど。)
だからシドニーへ行っても、(途中のワンガラッタで肩透かしを食らったせいもあるが)食事に関しては期待はしないことにした。そもそもサッカー観戦が目的だから、レストランを探している時間もない。朝は宿でささっと食べ、昼はサッカー場で食べられるようにサンドイッチかお握りを作って持っていく。夕方も遅くまで試合があったりするから、ゆっくり外食というわけにもいかない。シドニーのダウンタウンだったら遅くまでやっているレストランもあるが、ナラビーンのような郊外では、あまり遅くまでやっている店はない。ピザ屋くらいはあるが、僕たちはあまりピザが好きではない。だから、夜も遅くなってから宿に帰り、ご飯をたいて、簡単なおかずで自炊だった。
今回の旅行でも、最初からそのことを予見していたから、もしかして宿にガス台がなかったら困ると思ってカセットコンロと鍋とフライパンを持ってきた。そしたら見事予想が当たって、ガス台がなくて、調理機器はトースターと電子レンジだけだった。オーストアリアでは、「キッチン付き」と書いてあっても、そんなことがある。そこで、カセットコンロでご飯を炊いたり、野菜炒めを作ったりして重宝した。オーナーのイスラエル人夫婦はカセットコンロを初めて見たらしく、「これは便利だ!私たちも買おう!」と言っていた。
調味料も、油、醤油、塩こしょう、ワサビくらいは、僕たちもいつも持って歩いている。ただ、どういうわけか、いつもマヨネーズを忘れる。そこで今回は、スーパーで久しぶりにキューピーマヨネーズを買った(いつもは、キューピーは高くて量が少ないから買わない。)
オーストラリアのスーパーでも、キューピーはどこでも手に入る。今回、久しぶりに買って驚いたのは、その蓋だった。日本でも多分そうだと思うが、キューピーの蓋は二重になっている。最初の赤いプラスチックの蓋を取ると、小さい穴が開いている。そこからマヨネーズを絞り出すと、当然だが、にょろにょろと細くマヨネーズが出てくる。もっとたくさん絞り出したければ、さらにもう一つの赤い蓋を外すと、今度は太い星型の穴が開いていて、そこから太めのマヨネーズが、ぶにゅーっと出てくる。こんなに手が込んでいるのは日本製品だけである。日本に住んでいる日本人は、こういうことを「当たり前田のクラッカー」だと思っているだろうが(古いねえ、僕も!)、一旦日本を出てしまうと、こういうことは非常に珍しいと気がつくであろう。オーストラリア製のどんなマヨネーズを買ったとしても、蓋が二段式になっていたり、太い方の穴が星型になっていたりすることはない。
そんな風に、日本製品の細やかさを再発見した僕とチャコは、エアB&Bでの貧しい自炊の夕食の際に、キューピーマヨネーズを奪い合い、太い穴からぶにゅーとトマトにかけたり、細い穴からにょろにょろとキュウリにかけたりして楽しんだ。それはそれで、思い出深い食事になった。ありがとう、キューピー!
さらばシドニー!
シドニーには5日滞在したが、試合の合間を縫って一回だけシドニー観光に出かけた。と言っても、ハーバーブリッジの下の現代美術館へ行っただけだが。でも、シドニーは綺麗な街だから、そレだけでも十分甲斐がある。港には大きなクルーズ船が停泊していて、たくさん乗客が乗り込んでいた。クルーズなんて優雅だが、乗り込む乗客はガラガラとスーツケースを引っ張って船まで歩いてくるので、波止場にたくさんいるホームレスの人たちと姿形が変わらない。その周りには、たくさん観光客がいる。中国、日本、ドイツ、アメリカ、インドなどなど。そんな人に混じりながら女房と二人、スタンドで買った寿司を立ち食いしながら海風に吹かれた。

息子たちのビクトリア州代表チームは、順調に総当たり戦を勝ち進んでいた。うちの鈴吾郎も、コーナーキックをジャンピングキックで受けて、見事一点シュート。我が息子ながら、かっこ良かったなあ! 一番惨めだったのは、海を渡ってやって来たニュージーランドチーム。オーストラリアのどのチームより実力がひと回りもふた回りも下のようで、どことやってもぼろ負け。それでも、みんな明るく楽しそうにプレイしていたのは健気だった。打たれ強いニュージーランド人気質を尊敬してしまった。
幸運にも勝ち進んだ息子のチームは、決戦で強豪クイーンズランドと当たることになった。ところが僕ら夫婦は、時間の関係でその試合は見られそうもなかった。どうしてもその日の朝にメルボルンに向けて出発しなければならなかったからだ。後ろ髪を引かれる思いだったが、仕方ない。
決勝がある日の朝7時、シドニーを出た。エアB&Bのオーナー夫婦も見送りに出て来てくれた。「とても素晴らしい宿でした。お世話になりました」と僕らが言うと、奥さんが「あなたたちも、理想的なゲストでしたわよ」と言ってくれた。エアB&Bのシステムでは、お客は宿のレビューを書くのだが、宿も客のレビューを書くのだ。言ってみれば、客と宿が対等の関係だ。サービスが悪かったりして悪いレビューを書かれた宿はお客が来なくなるだろうが、部屋を汚し放題でチェックアウトしたりすれば客も悪いレビューを書かれる。そうなると、どこにも泊めてもらえなくなる。そこが、商業的なホテルやモーテルに泊まるのとは違うところ。面白いシステムだし、まるで友達の家に泊まっているような感覚がいい。
平日の朝7時、シドニーの道路は渋滞だ。だから、シドニーの中心を通り抜けず、西側を回る環状線を走ることに。シドニーの外側を大回りする環状線は、幸いそれほどには混んでなくて、1時間ほどでシドニーの南側に出れた。そこからは、来たのとは逆にヒュームハイウェーをひた走る。シドニーを出たところで、「メルボルン900キロ」と言う標識。さあ、とにかく走るぞ。
しょぼしょぼ降っていた雨も上がり、太陽が出てくる。と思うと、また雨雲がやってきて、ざあざあ降りになる。その繰り返しの天気。朝ごはんを食べてなかったので、サービスエリアで止まり、朝ごはんを食べる。ここの店はセブンイレブンだが、オーストラリアのセブンイレブンは、日本のセブンイレブンのように何でも売っていると言うわけではない。何でも売っているように見えるが、実は何もろくなものは売っていない。でも、ここのセブンイレブンはやや例外で、パックされた巻き寿司や、各種サンドイッチなども取り揃えて置いてあり、やや驚く。僕は、ここでチキンパイと一杯1ドルのコーヒーを買うが、味はまあまあだった。道理でたくさんトラックが止まっているはずだ。運ちゃんはみんなこの1ドルコーヒーを買っている。

犬を連れ、全財産持ってヒッチハイクしてたおばさん
さて、また出発。どこまでも続くハイウェーを110キロで走っていると、時間の感覚が薄れてくる。さっきコーヒーを飲んでから2時間経ったような気もするし、10分しか経ってない気もする。時計を見ると12時近くだ。そこで、はたと息子のチームが決勝でクイーンズランド代表と戦っている時間だと気がついた。僕は助手席のチャコに、「プロのサッカーだったら、インターネットのストリーミングで見られるのにね」と冗談で言った。すると彼女はスマホを取り出していろいろ調べ始め、すぐに「あった、あった!」と叫び声をあげた。チャコのスマホを覗くと、驚いたことに息子のチームが戦っている様子が放送されている。「うわあ、すごい。こんなことってあるんだ!」と僕も叫んでしまった。そこで、車のスピードを上げて、次の休憩所まですっ飛ばす。5分も走ると、休憩所が見えてきたので、ここへ滑り込んで、二人で小さなスマホを覗き込んだ。おかげで後半戦をじっくり見ることができた。プロの試合ではないから解説も何もないが、教会リーグのウエブサイトからストリーミングで見られるようになっていたのだ。全く便利な時代になったもんだ。
息子たちのチームは快調にプレイし、2対0でクイーンズランドに勝ち、今年も優勝した。チャコは、早速鈴吾郎の携帯に「優勝おめでとう!」とテキストメッセージを送った。しばらくして、鈴吾郎からも、「やった!やった!」とメッセージが返ってきた。
潜水艦のある街、ホルブルック
午後2時ごろ、ニューサウスウェールズとビクトリアの州境に近いホルブルックと言う町で休憩、遅い昼飯を食べることに。何もなさそうな田舎町なので、カフェかパン屋でサンドイッチでもと思いながら細長い目抜き通りを走っていくと、いきなり公園の真ん中に大きな潜水艦があったので度肝を抜かれた。陸の孤島のようなこんなところに潜水艦というのも唐突であるが、僕はこういう乗り物が大好きなので、見学に寄る。

潜水艦は100メートルくらいの長さで、上に登ることもできる。その横にカフェがあって、そこに入ると「潜水艦バーガー」、「潜水艦サンドイッチ」などがあった。僕は「スモークサーモンの潜水艦サンドイッチ」を注文した。いわゆるサブマリンサンドみたいな細長いサンドイッチかと予想していたら、丸いハンバーガーのようなサンドイッチだった。どこが潜水艦サンドかいな?と思ったが、食べてしまえば同じだから、ぱくぱく食べた。こういうパサつく食事をしていると、早く家に帰って、米飯を食べたくなる。
お昼を食べてしまうと眠くなる。助手席のチャコは、またこっくりこっくり。いやんなちゃうなあ、と思いつつ30分ほど走るが、本当に耐えきれないくらい眠くなってきたので、州境の辺りで運転を代わってもらう。往路にスピード違反で捕まった場所だ。
女房に運転を任せた途端、僕は小一時間ほど爆睡した。助手席で眠るなんて滅多にないが、気がついたら意識を失っていた。まるで麻酔をかけられたみたいだ。そして、次に目を覚ましたらもうビクトリア州に入っていた。朝から400キロ以上走ったことになる。でもまだ半分。
しばらくして、「また運転代わってもいい?」と女房が言うので、運転を代わる。少し寝ただけで、朝起きた時みたいにスッキリしている。これならメルボルンまで走れそうだ。
走行距離が400キロから500キロになり、500キロが550キロになる。ウォドンガ、ワンガラッタと見慣れた町を通り過ぎて、600キロ、650キロと伸びていく。だんだん外が暗くなってきた。春とは言え、まだまだ日は短い。メルボルンまでまだ250キロ以上ある。
750キロ走り、シーモアの町でまた一休み。今日2杯目のコーヒーを買う。大きなカップのブラックを頼む。いつも早寝の僕は、夕方にこんなにたくさんコーヒーは飲まないのだが、今日は特別、とにかく家まで帰りつかなくてはならない。このブラックコーヒーは、熱くてなかなか飲めない。シーモアからはメルボルンは直線の長い下りが続く。
午後7時、遠くにメルボルンのビル街の明かりが燦然と光る孤島のように見えてきた。間違いなくメルボルンだ。「着いた!」と思わず声に出る。家まであと100キロ、1時間ちょっと。交通量も多くなった。空を見上げると、メルボルン空港に着陸する飛行機の着陸灯が点滅している。帰省本能が働くせいだろうか、心なしから車のスピードも早めになる。危ない、危ない。
やがて空港の横を通る。ここから交通量がぐんと増える。ここからは通い慣れた道だが、シティの中の車線変更の多い箇所を通る時はドキドキする。注意力もかなり落ちている。
距離メーターは900キロを超え、シティも抜けた。やがて高速を降り、うちまで20分。道が暗くなる。さすがに疲れてきて、自分が運転しているのではなくて、自分の中のもう一人の「誰か」が運転しているような気がする。幽体離脱みたいだ。何かが目前に飛び出してきても、きっと止まれないだろう。ゆっくり行こう。
夜8時半、やっと我が家に着いた。エンジンを切ると、しんとした静寂が訪れ、風にそよぐ木の葉の音がする。
鍵を開けて家に入る。潜水艦サンドイッチを食べてからあまり何も食べてないが、空腹感はない。鍵を持つ手が、かすかに震えている。緊張がまだ解けていないからか。頭もボーとして、耳鳴りがする。
車から荷物を下ろす。運転席と助手席の周りは、空のコーヒーカップや、ちり紙やら、ガムの包み紙やら、サングラスやら、携帯電話やら、物がたくさん散らばっている。自分はこのガラクタの中に12時間も座って運転してきたのか。
シドニーとメルボルンの間に時差はないが、なんとなく「場所ボケ」の感覚がある。メルボルンはシドニーより気温が2、3度低いが、体感温度ではもっと寒い感じで、自分の皮膚をシドニーに置いてきたような感じ。これだけ長距離を一気に走ると、そういう違和感がしばらく拭えないのかも。
手の震えは、すぐに収まったが、体の違和感は、布団に入って目をつぶった後も無くならなかった。体がまだ車に揺られているみたいに、ゆらゆらする。疲れているのに、なかなか眠れなかった。鈴吾郎も、今頃はチームのみんなと夜行バスに揺られているのだろう。彼は明日の朝、うちに帰ってくる。一体どんな顔をして帰ってくるのだろう? 彼に会うのが楽しみだ。
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