ドイツからオーストラリア、シーカヤック2万3000キロの旅
- 鉄太 渡辺
- Mar 27, 2017
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2017年3月27日
土曜日の夜、冒険カヤッカーのサンディ・ロブソンの講演に行ってきた。サンディ・ロブソンと言っても知らない人がほとんどだろうが、シーカヤックを漕いで、ドイツからオーストラリアまでの2万3千キロを5年半かけて旅した冒険家だ。オーストラリア、パース出身、48歳の小柄な女性である。 http://www.sandy-robson.com/Home_Page.html
僕が所属するビクトリア・シーカヤック・クラブでの講演会だったが、冒険について、じっくり話を聞くことができた。

サンディ・ロブソン
ドイツからオーストラリアまで漕ぐということ自体脅威的な冒険だが、この旅はサンディ・ロブソンが初ではない。実はオスカー・スペックというドイツ人カヤッカーが1930年代に行っている。オスカー・スペックは、もっと長い5万キロを、7年かけて漕いでいる。おまけに、オーストラリアに着いた途端に第二次世界対戦が勃発し、敵国人として逮捕され、戦後までオーストラリアの捕虜収容所で過ごし、そのままオーストアリアに帰化したというおまけがつく。

オスカー・スペック
スペックの旅をロブソンはそっくりそのまま辿ろうとした訳だが、彼女の旅を要約するとこうなる。
2011年5月14日、ドイツのウルムを出発。ドナウ川を南下し、スロバキア、セルビア、マセドニア、ギリシャを漕ぎ抜け、キプロス島へ渡る。そこから島伝いに 地中海を渡り、黒海を通り抜けてトルコ到着。
トルコ沿岸を漕ぎ、イラン、イラクは、紛争のために部分的にだけ漕ぐ。その後はパキスタン、インド西岸を漕いで、スリランカに渡る。スリランカを一周し(これは史上初)、インド東岸を漕いでバングラディッシュまで至る。
バングラデッシュから、ミャンマー、タイ、マレーシア、インドネシアを漕破。パプアニューギニア沿岸を漕いで、最後にトーレス海峡を横断し、オーストラリアへ到着したのが2016年11月。到着した時、サンディは48歳だった。
1930年代のオスカー・スペックの5万キロの旅と、2010年代のサンデイ・ロブソンの2万3000キロの旅をそのまま比較することはできない。しかし、どちらも大冒険であることは確かだ。
サンデイの話で面白かった点は、冒険という概念について現代の冒険家の意見が聞けたことだ。冒険家は、海や山や砂漠や北極や海底などに出かけていく。そういう場所は、人影もまばらな寂しい僻地である。エベレストを登頂する、北極点を踏破する、ヨットで世界を一周する、そういうことが近代の、あるいはすぐ最近までの冒険だったかもしれない。もちろん、今でも冒険だろう。
しかし、サンデイの冒険はちょっと違う。もちろん自然の脅威は、カヤックでこれだけの距離を旅すればいくらでもある。長さ5メートル、幅80センチのカヤックに命を託し、幅80キロの海峡を渡ったり、3メートルのうねりがある海を1日に100キロ近く漕いだり、人食いワニや、スマトラ虎のいるジャングルでキャンプをするのが危険でない訳がない。
しかし、それだけが冒険なのではないとサンディは言う。肌の色も、宗教も、言葉も、文化も、政治的な信条も違う人たちが暮らす 場所を移動することが、どれほど大変で、どれほど危険で、予期せぬ出来事に満ちているか分からないのだと。
彼女の旅がドイツから始まったことは、そう言う意味で幸運だったかもしれない。西側の、生活水準も高い、安全な国だからだ。しかし、東へ南へと移動するほど、状況は難しくなっていく。例えば、マセドニアとギリシャは仲が悪く、そういう仲の悪い国同士の国境の川を漕いで渡る のはドキドキハラハラだったようだ。インドとパキスタンも同様だ。またヨーロッパの中でも、水上には、マフィアや泥棒がいて、一人旅の女性を拐かそうとする悪漢がいる。イラン、イラクなどは、川の中にはまだ紛争時代の機雷が設置してあるそうだ。また、旅行の許可自体がなかなか降りない国も数多い。港があっても、外国人や漁師以外には使用を禁じている場所もある(日本にもある)。だから、上陸するにも上陸できず、ひたすら漕ぎ続けることもあったという。
それでもサンデイは諦めず、オスカースペックの旅をそのまま辿り続ける。一番大変だったのはインドだったそうだ。特に女性の一人旅は、どこへ行っても黒山の人だかりだったそうで、カヤックで着岸する、あるいは出発することには相当な困難が伴ったようだ。常に何十名、何百名の人たち、それもほとんどが男性の注視する中でキャンプし、炊事し、トイレに行かなければならない。また、インドは軍事的な要所も多く、カヤックなど見たこともない漁師にテロリストと間違われて拿捕されて警察へ突き出されたり、モーターボートに追跡されて轢き殺されそうになったこともあるという。
サンディはそれでも 諦めずに毎日漕ぎ続けたが、やがて、ストレスが溜まり、体力が落ち、食事が食べられなくなる。マラリアにかかり、入院する羽目にもなった。
それでも彼女は言う。「信じられないようなひどい目にもあったけど、ありとあらゆる人々の親切があったから、私は旅を続けられ、完漕できた。私を襲おうとした人もいるけど、それよりも、私を守ってくれて助けてくれた人の方が多かった。だから、ひどいことより、楽しいことの方がずっと多かった。」
こんなことは今だからこそ、笑って言えるのだろう。しかし、自分のコンフォートゾーン(安全で、危険を感じないですむ空間)から、一旦出なければ、決してこんな体験もできないし、こんな人生観を持つこともないだろう。
「次は、どんな冒険をするのですか?」講演の後に、こんな質問が出た。 「分からないわ。人生観がすっかり変わってしまったから。ひとつには、オーストラリアのような裕福な国の生活スタイルというのが嫌になってしまったの。人間が生きるために、こんなにたくさんの物はいらないと思うの。それから、自分だけが幸せなら、困っている人がいても知らんぷりなんて、 本当に冷たい社会ね。でも、そう言っても始まらないから、とりあえずシーカヤックや野外活動のガイドの仕事をしつつ、今回の冒険のことを本に書き上げるのが目標。その後、次の冒険を考えるつもり。これだけの旅をすると、すごくたくさん友達ができるから、その友達をもう一度訪ねて、また同じ道を辿ってもいいわね。」
全く恐るべき冒険家であるが、僕と大して年も違わないわけだし、大いに見習いたい。とにかく何歳になっても、コンフォートゾーンからちょっとでも足を踏み出し、冒険を恐れない人間でありたい。コンフォートゾーンから出ることが冒険であるならば、それは考え方や価値観にも当てはまるだろうし、 仕事にも日々の暮らしの中にもあるだろう。 冒険するためには、必ずしもヒマラヤやアラスカに行く必要はないだろう。
そういう意味で、大いに啓発される講演だった。

これは私。マレー川400キロのマラソンに初出場したとき。2万3000キロに比べれば、400キロなんてお茶の子であるが、私的にはドキドキものでした。
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