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ダンデノンのレタス男

2017年7月20日


この間、ダンデノン図書館にノートパソコンを持ち込んで仕事をしていたら、昼時に、僕みたいなアジア系の若い男が(僕は若くないが)、図書館をウロウロ歩きながら、何か丸くて大きな薄緑色のものを食べていた。メロンパンの大きなやつかと思ったが、メルボルンにはメロンパンは売ってない(と思う)。よく見れば、それは生のレタスだった。


僕もレタスはどちらかと言えば好きだが、丸ごと食べたことはない。この男は、マヨネーズも塩も何もつけずに食べていた。帰りがけに、ここで働く 図書館員で、友達のロシュに「この図書館には面白い人がたくさんくるんだろうね。さっきは、レタスを丸ごと食べている若者がいたよ」と言うと、ロシュは「そんな人、毎日くるよ。でも、レタスを食べているのは見たことないな。健康に良さそうだね」と笑っていた 。ちなみに、ロシュはスリランカ系オーストラリア人で、ベジタリアンである。


ダンデノンは、僕が住んでいるダンデノン丘陵の山を降りて、20分ほど車を走らせた大きな街だ。メルボルンの副都心にしようとしていて、官公庁の役所を移転させたりしている。その理由は、ここの土地がまだやや安いからだろう。なぜ安いかと言うと、周囲には工場や倉庫が多く、まだ場末というイメージが残っているからだ。二駅ほどメルボルン方向に戻ると、スプリングベールがあり、ここは昔ベトナム、カンボジア難民の定着支援センター(つまり収容所)があった場所で、今でも大きなベトナム街があり、僕はここへよくフォーという麺類を食べに行ったりする。


だからという訳でもないが、この辺りはすごく庶民的で、雑多で、居心地が良い。僕は大好きである。いつだったか、ダンデノン駅のホームで、昼間から嘔吐している人を見たが、一気に池袋駅の西口公園とか新大久保にいるような感覚が戻ってきて、ある意味ホッとしたことを覚えている。メルボルンは綺麗な街で治安もいいが、清潔で整頓された場所にあんまりずっといると落ち着かなくなる。


ここには移民や難民の人が多く暮らしている。ダンデノンの街を歩くと、ある一角は完全にアフガニスタンである。パン屋、食堂、服、絨毯など。その向こうはインド人街で、「リトル・インディア」と看板にあり、香辛料やサリーの布地を売っている店などが並ぶ。この頃増えているのは、ソマリア、シリア、イエメン、イラク、レバノンなど、中東やアフリカ系難民だ。こういう人たちの行く美容院やら両替屋やら携帯電話屋やら結婚式の引き出物(かな? )を売るような店もある。


そんな中に、すごく立派なモダンなダンデノン図書館があるのだが、利用者には白人なんかほとんどいなくて、みんな上記のような雑多な人たちで占められている。図書館で働いている人も、利用している人もだ。本も、英語の本は三分の一くらいで、あとはベトナム語、クロアチア語、スペイン語、中国語、ペルシャ語、アラビア語、ギリシャ語、ロシア語などだ(ここには日本語はない)。そういう場所だから、東アジア出身の僕にも居心地がよく、ここへきて仕事をしていると、とてもはかどる。


図書館なのに一階にはカフェがあり、可愛いイスラム系のスカーフをした少女がコーヒーを入れてくれる。一階は食事をしても良いことになってるから、昼頃は、ターバンを巻いたシーク教徒の若者が、ハンバーガーを食いながらチェスの対局をしている 。その横では、インド人一家が盛大にタッパーを開けてカレーを食べている。その隣では、ソマリア人の若者たちが大きなテレビスクリーンでサッカーゲームをしながらピザを食べている。メルボルンの他の図書館だったら、それだけでクレームものだろうが、ダンデノンではそんなことで目くじらを立てる人はいない。無法地帯のようでも、不思議な秩序があり、みんな居心地よく時を過ごしている。熱心に仕事や勉強をしている人にも、そう言う雑音や食べ物の匂いは、逆に心地よい刺激になる。言い換えれば、ここには生活の匂いがあり、人がいれば、普通に起こる騒音や臭気があり、それでいて、ピリピリ神経をとがらせている人がいない。


ダンデノン図書館へ行と、僕は原稿用紙で言えば、10枚程度の文章を書くか、論文を一つか二つ読み、それくらいやるとパソコンをぱちっと閉じて、昼飯を食いにマーケットへ行く。ダンデノンマーケットは大きな市場だ。メルボルンでは、市内のビクトリアマーケットが有名で、それ以外にも、3、4箇所、大きなマーケットがある。しかし、この頃、市内のマーケットはヤッピーみたいな人が高価そうなスポーツウェアを着て、小洒落たカフェでカプチーノなんか飲んでいるから、あまり近寄らない。


だが、ダンデノンマーケットでは、そんな人は全く見かけない。恐らく、ここはメルボルンで一番物価の安いところだろうから、1セントでも安く買い物をしようとしのぎを削る人たちばかりだ。目に入るのは、魚がゴロゴロ入ったビニールを引きずるように下げて歩くインド人のおっさん、ブルカを着たイスラムの女性、甘くて口が曲がりそうなドーナツを歩き喰いする、恐ろしいほど太って大きなポリネシア人のおばさん、ペプシをガブガブ飲んでいる足の長いアフリカの若者とか、ドロドロに汚れた作業着のボスニア人のアンちゃんとか、そう言う人たちばかりである。


ダンデノンマーケットに行くと、僕はまず八百屋で、シメジとかオクラとか大根とか大豆もやしとか、普通のスーパーでは売ってない野菜を仕入れる。それから、アフガンのパン屋で40センチくらいある平べったいパンを買い、魚屋では、サヨリとかキスとかイカとか、その時に安くて新鮮な魚を仕入れる。ユーゴスラビア人(だと思う)の肉屋では鳥のモモ肉や、衣をつけて揚げるだけになっているシュニッツエル(要するにトリカツ)を買ったりする。シュニッツエルは「5枚で15ドル」くらいで売っているのだが、買ってみたら6枚入っていたりする。わざとなのか、間違いか分からないが、ダンデノンマーケットが好きな理由はこう言う所にもある。(もちろん、逆のこともあるが、そんなことで怒っちゃいけない)。


買い物を済ますと、いよいよ昼ごはん。マーケットの一角がフードコートになっているので、そこを徘徊して、何を食べるか迷う。はっきり言って洒落た店は一軒もない。質よりは量で勝負だ。だから、何を食べても結果はそう変わらないのだけど、なぜか僕はすごく迷う。


ここよく食べるのは、ベトナム屋台で買うフォー(チキンかビーフ)だ。あっさりとしたスープに、白い麺が入っていて、これはいつ食べてもうまい。レモンを絞り、唐辛子をちょっと入れる。ベトナム風豚肉の炙り焼きと目玉焼きが乗ったご飯も美味しい。スリランカのカレーも辛くてうまいが、いつも行列ができていて待たされる。カレーと言えば、モーリシャスのカレー屋もあるが、ここのチキンカレーもうまかった。(モーリシャスってどこよ?)中東風のシシケバブの羊肉と、パセリのサラダにガーリックソースをかけて、薄いパンで巻いたケバブ・ラップもうまいが、やや胃にもたれる。ニュージーランド・ポリネシア料理の屋台もあって、いつだったか「アサリ・フライのバーガー」という珍しいものを注文したら 、巨大なパンケーキの中にアサリが数粒入っていて、それを巨大な揚げパンに挟んであった。頑張って半分くらいまで食べたが、それ以上は苦しくて食べられなかった。これを食べ切れるのは、 小錦みたいな体格の人だけだろう。日本食の屋台もあるが、キツネうどんとか巻き寿司とかの通常のメニューなので、僕は食べたことがない。


砂糖きびを絞ってジュースにして売っている店もある。ここはロックンロールをガンガンかけ、店のアンちゃんはステップを踏んで踊りながらジュースを絞っている。が、こういう人はやや浮いて見える。この場の雰囲気に合ってない。奇をてらって、という感じだろうか。人間、無理をしちゃいけないと僕は思う。


さて、二周ほど歩いて決心した。今日は、マレーシアの屋台で、チァー・クエイ・ティオという、きしめん焼きそばみたいなものを頼む。ここで食べるのは初めてだ。「辛いのか、辛くないのか?」と聞かれたから、「ちょっとだけ辛いの」をお願いする。 東南アジアの食べ物は、辛いのはめちゃ辛いので、僕には味が分からなくなるのだ。


待つこと5分。焼きそばの入ったプラスチックの箱を持ち、野外に出た。七月のメルボルンは寒いが、外の駐車場の横では、いつも古道具の競りをやっているので、これを見ながら食べるのだ。マーケットが開いていれば、いつもこの競りが出ているが、古い工具、電気器具、スポーツ用品、家具など、山積みになっているものから、やたらに声のでかいおばちゃんが、ランダムに売り物を引き摺り出し、競り売りする。いつも黒山の人だかりで、一日中眺めている人もあるみたいだ。


「さあ、新品のロープ、10メートルで5ドルはどうだ? じゃあ、3ドル、ええい、負けに負けて2ドルだ、さあどうだ、どうだ?」みたいな感じで売っていく。10メートルで2ドルのロープは、スーツを着た銀行員みたいな人が買って行ったが、奥さんの首でも締めるのだろうか?


「さあ、お次はゴルフセット。年代物のアンティックだよ。店で買ったら、50ドルはするかも! さあ、これをまとめて10ドルだ、さあ、どうだ! ええい、8ドル? バカみたいな値段だよ。じゃあ、5ドル?」古びたゴルフ道具なんか、誰も買わないから、おばちゃん、ゴルセットを後ろに放り投げた。きっと、粗大ゴミから拾ってきたに違いない。


僕としては、奥に置いてある70年代のソニーの古いラジカセが売りに出されないかと興味を持つのだが、全然そういうものの順番は回ってこない。買ったとしても、きっと動かないだろうが。見ればちゃんと、 「お買い上げになった電気製品の動作は保証しません」と看板に書いてある。まじかよ、と思うが、まじなんである。


競りの行方は、電気 トースター2ドル、スコップ5ドル、水道の蛇口50セント、天井から剥ぎ取ってきた蛍光灯の電気3ドルってな具合で進行していく。これで商売になるんだろうかと思うが、しのぎを削って生きると言うのは、こういうことを言うのだろう。でも、どこかしらユーモアが感じられるのは救いだ。


僕は、焼きそばの蓋を開けて食べ始める。暖かい湯気が立ちのぼる。熱いやつを口に入れる。ああ、少しだけ辛いどころか、とても辛かった! 赤いソースをドバッとかけて炒めてあり、味付けは甘いのだが、辛いことは辛い。アサリとかイカも入っていて美味しいが、はーはー言いながら食べる。大きな、殻に入ったままのエビも二匹のっかっていて、こういうものが入っているのは値段を考えれば大サービスだが、食べるのが厄介なので、ありがた迷惑と言ってもいい。だが、美味しい食事というのは、作るにも食べるにも、ある程度手がかかるものなのだから、殻付きのエビくらいに文句を言ってはいけない。


僕は手をベトベトにしながら、辛いエビを剝いて食べた。食べながら、もしかしたら、今なら丸ごとレタスも美味しく食べられるかもしれないと考え

 
 
 

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