タイ、バンコク訪問記(2)
- 鉄太 渡辺
- Jun 17, 2017
- 17 min read
2017年6月17日
紀伊国屋書店で立ち読みをしそこなった初日
バンコクで5月の中旬に開催された、IBBY国際児童図書評議会のアジア大会に出席した私は、その間たくさんの子供の本の作家や翻訳家や編集者や図書館員と言った人たちと行動を共にした。
その中の一人に、売れっ子の児童文学作家で、文学賞の受賞者であるMさんがいた。私は初対面であったが、初日の朝ごはんの後だったか、彼女とホテルのロビーで立ち話をした。そのとき私が、「メルボルンには日本語の書店がないんですよ。だから、私は日本語の本に飢えているんです」というようなことをなぜか彼女に訴えた。するとMさんは、美しい大きな目をさらに見張って、「えー、うそー、本当ですか? ひどーい」というようなことを言った。私は、「本当なんですよ。だから、バンコクでは、ぜひ日本語の本を買いこんで帰りたいんです」と言った。

タイには金色のお寺がたくさんある
するとMさんは、「それなら、ホテルの向かいの伊勢丹には紀伊国屋書店がありますよ」と親切に教えてくれた。私はそれを聞くと、もういても立ってもいられなくなり、IBBY国際児童図書評議会アジア大会なんてどうでもいいから、紀伊国屋に飛び込んで、読みたくてうずうずしている村上春樹『騎士団長殺人』とか、雑誌カーサブルータスの新しいのとか、新刊の文庫とか、NHK放送の俳句の本とか、DANCHUとか、新しい日本語の本を手にとって立ち読みの喜びに浸りたくなってしまった。
ところが、そうは問屋が卸さなかった。ニュージーランド大会の時も一緒で、スペイン大会の時もインドネシア大会でも一緒だった、泣く子も黙る出版社の女社長M井さんと今回も一緒になった。「さあ、渡辺さん、これから大会のレジストレーションです。それが終わったら今日は基調講演を聞きます。夕方それが終わったら、夜はバンコクの日本交流基金で「児童文学作家の仕事」と言うシンポジウムがあって、MさんとHさん、それからJさんが出演します。渡辺さんも友情出演で出ることになっているから、よろしくお願いします。基調講演が終わったら、すぐタクシーで行きますから、私に着いてきてください」と、M井さんはきっぱりと言うのであった。そればかりか、彼女がエクセルで編集した滞在予定表を渡され、それを見ると、私のバンコクの予定は朝から晩までびっしり詰まっているのだ。

ホテルのロビーにあった故プミポン国王の祭壇
そんなで、初日の予定が全部終わったのは夜10時過ぎ、夕食を食べたらもう11時過ぎだった。バンコクの街には人がまだ溢れていたが、初日、私はとうとう紀伊国屋書店には行けなかった。
作家のMさんとHさんに本を頂く
翌朝、また朝食の後、児童文学者のMさんに会った。彼女は、美しい大きな目で私の目をしっかり見据えて、いきなりこう言った。「渡辺さんは、河合隼雄を読みますか?」
「えっ?」私は、うろたえてしまった。いきなり、なぜそんなことをMさんに聞かれるのか? 「河合隼雄? 精神分析の? ええ、読んだことはありますが、はあ…」 Mさんは、ちょっとイライラしたように、また聞いた。「河合隼雄は好きですか?」私は、もっとうろたえてしまった。「はあ、好きと言われても、さあ、あはは…」と言いながら、後ずさりしそうになった。
Mさんは、一体どうして河合隼雄のことを私に聞くのだろう? 私が何か変なことを言ったのだろうか? だから、河合隼雄のユング的精神分析の本でも読んで治療した方がいいと、そう言っているのか? そうだ、きっとそうだ。私はとっさに考えた。そして、だから言わんこっちゃない、初対面の児童文学者に「私は日本語の本に飢えているんです」などと言うんじゃなかったと、深く後悔したのだった。
すると、Mさんは、バッグをゴソゴソかき回して一冊の文庫本を取り出した。「これ、河合隼雄の本ですけど、飛行機の中で読んじゃったから、あげます」そう言って、『大人の友情』と題された文庫本をくれたのだった。
なーんだ、そんなことだったのかと、私は胸をなでおろした。私の頭が疑われたのではなくて、心優しいMさんは、私に本を恵んでくれたのだった。
すると、その横でやりとりを聞いていた、もう一人の児童文学者のHさんも、「あら、それなら私も本あげます!」と言って、早速くださったのがご自分の書いた本だった。驚くなかれ、HさんもMさんと同じ文学賞の受賞者なのだ。こんなすごい人たちと一緒にいるなんて、しかも、その二人に本を頂くなんてすごい!と、感激してしまった。
私は結局、二日目も三日目も紀伊国屋に行けなかったので、頂いた二冊をあっという間に読んでしまった。私の日本語に対する飢えもあったし、どちらも、すこぶる面白い本だったので楽しい読書ができた。どうもありがとう、Mさん、Hさん!
象の背中に乗り、「鼻スースー」を買い占めたことなど
三日間続いたIBBY国際児童図書評議会のアジア大会も無事終わった。翌日、私は、女社長M井さん、児童文学者のMさんとHさん、飛行機に乗り遅れて後から加わったJさんという、これまた売れっ子の児童文学者、それからアラビア語、トルコ語、ペルシャ語の通訳翻訳家のKさんというすごい女性陣たちと、バンコク周辺の観光に出かけることになった。M井さんは、気っぷの良い人なので、「車を一台借り切って、ガイドさんもつけましたから」と、景気良く言った。
出発は朝7時。ちょっと早いが、車に乗っていればいいのだから楽だ。ガイドさんは、スリムで、体重が30キロくらいしかなさそうなタイ人女性。「私の名前はバンダです。動物のパンダのPをBに変えると、私の名前です」と言ったのが印象的だった。日本人女性たちは、「バンダさん、体重何キロかしら?きっと私たちの半分くらいね。羨ましいわ」などと噂していた。
高速道路を1時間ほど飛ばし、最初に降り立ったのはココナッツ農園の販売所だった。ココナッツを煮詰めて砂糖にする実演は面白かったが、それ以外はいかがわしい土産屋と言った風だった。
そこを出ると、バンダさんが、「象に乗りたければ、30分だけ停車します。象に乗るには、30分だけ必要です」と言った。象は予定外だったが、一日とか一週間ならまだしも、30分だけなら象に乗るのも児童文学者にとっては良い経験になるだろうと言う結論になり、象に乗ることになった。
象園は、国道脇の、これまたいかがわしい遊園地のような場所だった。そこでは、象に乗るか、首長族の村に行って首の長い人と写真を撮るか、拳銃と自動小銃の射撃をするか選択できるのだった(全部やりたい人は、全部できる)。象と首長族は分かるが、そこにどうして自動小銃と言う選択が加わるのは分からなかった。きっとタイにはタイの理屈があるのだろう。
みんな象に乗ると思ったら、アラビア語通訳のKさんは、首長族に興味を抱いたので、彼女は単独行動になった。リーダーのM井さんは、Kさんが首長族に囚われてしまうと今日の行程に支障をきたすので、待ち合わせ場所と時間をしつこいくらいKさんに復唱させた。

象に乗る私
象はとても大きいので、首吊り台みたいなところに階段で登ってから、象の背中の椅子に座るのだった。象は、象使いのおじさんが御していて、おじさんは、我々にはわからない言葉で象に話しかけていた。しかし、その間に、時々携帯電話を取り出して、何かを検索したり文字を打ち込んだりした。象使いのおじさんたちは、とにかく非常に胡散臭い感じだったから、麻薬の取引きをしているのかもしれなかった。麻薬の売買なら、それは結構繁盛している様子だった。
象は、インチキなジャングルのようなところを進み、汚いウンチがたくさん浮いている泥水の中を歩いたりして、お客を喜ばせるのだった。インチキなジャングルでも象だけは本物だから、観光客たちはきゃあきゃあ喜んでいた。象の背中はやたらグラグラと揺れて乗り心地は思った以上に悪かった。象に乗る前に、「グラグラ揺れるのは、昔、王様が象に乗っていた頃、鉄砲に狙撃されないように用心したためです」と、もっともらしい説明を聞いたが、これもきっと怪しい作り話に違いないと、私は疑った。
象がインチキなジャングルを一周すると、ツアーはもう終わりだった。終わりに近づくと、象使いのおじさんは、カバンからアルミの弁当箱みたいな箱を取り出した。私はいよいよヘロインを売りつけられるかと思ったが、その中にはぎっしりと、いかがわしいネックレスや指輪(象牙のまがい物?)が入っていた。それを法外な値段で売りつけようとしたが、私が「買わない」と言うと、どすの利いた声でチップをせがまれた。怯んで五十円だけあげたら、おじさんは渋々引き下がった。もしそうでもしなかったら、きっと象の鼻でウンコ池に放り込まれていただろう。
ところが、象を降りると、日本人女性たちは、そのいかがわしいネックレスやら指輪を買っていて、お互いにいくらで買ったかと楽しそうに比べあっている。よくもまあ、こんなにいかがわしい物を買うもんだと思ったが、そう言っている私だって、チップをくすねられたのだから、カモられていることでは変わらない。

象に乗ったあとは、水上マーケットに行った。バスを降りて、ジェットボートのような舟に乗って狭い水路をマーケットまで行くのだが、あまり早いのでどこかに激突したら即死だろうなと思った。水上マーケットでは、女社長のM井さんと歩いたが、暑くてお腹が空いたので、ビールを飲むことばかり二人で話していた。でも、きっとビールをここで飲んでしまうと、後でヘトヘトになって後悔するだろうから、二人ともぐっと我慢した。

Chang(象)という名のタイのビール。
水上マーケットのあとは、ローズガーデンという広大なリゾートホテルみたいなところへ行った。ジャングルの中に大きな宴会場やホテルがあって、その先ににはタイの農村みたいな建物がいくつか建っていて、そこで農夫みたいな格好をしたタイ人の人たちがたくさん待ち構えていた。その人たちは観光客を拉致しようとか、身代金を奪おうとかいうのではなくて、陶芸や染色を実演したり、花束を作ったり、タイの伝統音楽を演奏してくれるために待ち構えていたのだった。
私たちは、そこの宴会場のようなところでお昼のバイキングを食べた。バイキングは、好きなものを食べたいだけ食べられるからありがたい制度だ。しかし、だからと言って、やたらにたくさん食べるのは田舎者のすることだ。私はオーストラリアから来た田舎者だと日本の知的な女性たちに思われたくないので、トイレに行った振りをして密かにズボンのベルトをぐっとしめた。
このツアーでは、私は女性たちに混じって一人だけ男性という立場だったから、女性の食いっぷりというものを久しぶりにじっくり見学できた。女性というのは、どこの国でも、絶え間なくおしゃべりをしつつも、不思議なことにその間にもしっかりたくさん食べる技術を有している。このことは、比較人類学的な考察に値するかもしれない。
またどこの女性も、メインの料理は減らしても、デザートだけは全種類食べなければ気が済まないらしい、ということも再確認できた。タイのデザートは、日本のそれと似ていて、みんな一口で食べられるようなプチサイズだったから、それを良いことに、女性たちは山盛りにケーキやプリンやマンゴーを皿に並べて片っ端から食べていく。そればかりか、私が「あっちの方に、タイ風うどんもありましたよ」と、デザートを食べ尽くした女性たちに言うと、「えーっ、それも食べたい!」と言って、さらにその上にどんぶりのタイ風うどんをペロッと食べてしまうのだった。

蜜のかかった甘いバナナ。美味しい。
そんなで、私もお腹がすっかり重くなったから、その後の農村ショーみたいなタイの文化紹介にはすっかり不熱心になり、げっぷをしながら、ひたすら眠気と戦っていた。女性たちは、熱心にタイ風の生け花やら、竹を踏まないように踊るダンスや、いろいろなことを熱心に学んでいるようだった。これも女性に普遍的な傾向に思えるが、「とにかく元をとる」という精神に私は完全に脱帽したのだった。
ローズガーデンを出ると、あとはもうバンコックに帰るだけなので、私はすっかり油断して車中でうとうとしていた。ところが、トイレ休憩でセブンイレブンに止まると、その店内を徘徊して戻った女社長のM井さんが、「鼻スースーを売ってますよ!」と嬉しそうに叫んだ声で目が覚めてしまった。すると、MさんもHさんもJさんもKさんも、「え? じゃあ買わなくちゃ!」と言いながら、車からまた出ていくのだった。そして、そこのセブンイレブンの「鼻スースー」を全部買い占めてしまった。
「鼻スースー」というのは、私は見たことがなかったのだが、リップバームのような筒の中に薬剤が入っていて、筒先を鼻の中に突っ込むと、鼻がスーとするのだ。どうしてこういうものがタイで流行っているのか分からないが、人気のお土産アイテムらしい。

女性たちは、さっそく車中で鼻スースーを使用し始めた。皆、筒を鼻に突っ込み、「これがあれば執筆が進みそうだわ!」とか「ああ、癖になりそう」などと言っている。
私は、ここでは「鼻スースー」を買わなかったので、Mさんに「ちょっと、鼻スースーを見せてください」と言ったら、「えっ、鼻には入れないでくださいよ!」と厳しく釘を刺された。例え本はくれても、「鼻スースー」をシェアするほど彼女は私に気を許してない、ということがこれで判明した。
帰ってから調べたら、私が買ったPOY-SIANというブランドの鼻スースーは、成分はユーカリオイル8.5%、メンソール42%、樟脳16.4%、竜脳6.1%だった。害はなさそうだが、使い過ぎで中毒になるのも避けたいものだ。私はメルボルンに帰ってから、執筆が進まない時など使おうと机上においているが、今の所あまり使わないで済んでいる。
プミポン国王と私
「鼻スースー」で気持ち良くなったせいか、帰りの車中、女性陣はみな陽気だった。まるで女子高生のグループと旅行しているような感じすらあった。バンコクに近づくと、路肩に広告看板がたくさん見えてくるが、昨年亡くなったプミポン国王の遺影のある大きなビルボードが特に目を引く。しばし話題も、プミポン国王がどれほどタイの国民に敬愛されていたかとか、それに引き換え、現在のワチラロンコン国王(プミポン国王の息子)は刺青をしているとか、人徳が劣るとか、そういう話になる。

私、じゃなくて、プミポン国王の写真集
すると唐突にもM井さんが、「渡辺さんって、プミポン国王に似てません?」と言った。実は、私も自分で言うのも何だが、いつか誰かにそのことを指摘されるのではないかと密かに恐れていた。だが、プミポン国王と自分が似てるなんて、そんな不遜なことをタイで言ったら不敬罪で捕まって投獄され、帰国できなくなるから黙っていた。ところが、編集者でジャーナリストでもある怖いもの知らずのM井さんは、言論の自由を盾に、真実をズバリと言ってのけてしまったのだった。
「え、うそー!でも、そう言われて見ると、似てるぅ」とか、女性陣にきゃあきゃあ言われて、嬉しくなかったといえば過言になるかもしれない。私とプミポン国王の類似点だが、それは、少し鉢の開いた広い額、丸っこいメガネ、そして、少し尖った耳かもしれない。もちろん、人徳、人間性、懐の深さ、大らかさ、財力、度量、頭脳、そして総合的なルックスと言った面で、私がプミポン国王に敵うはずがない。広い額だって、私の場合は最近とみに髪が薄くなって、砂漠のように広がってきているだけの話だ。一方、プミポン国王の場合は、子供時代から、その額は大海のように広く、そこに優秀な頭脳を潜ませていることを物語っている。だから、全く比較にはならない。

ジャズメンでもあったプミポン国王
最後に紀伊国屋で本を買ったこと
翌日は、バンコク最終日。私は、ようやっとホテルの向かいの紀伊国屋書店に足を運ぶことができた。紀伊国屋が入っているのは「船橋ららぽーと」くらいある大きなショッピングセンターの中の伊勢丹デパートの中だ。そのショッピングセンターには、紀伊国屋だけでなくて、タイの書店も二軒入っている。それらの書店を、私は翻訳家のNさんと誘いあって、ゆるゆると巡り歩いていてみた。Nさんは、オランダ語、フランス語、ドイツ語などのマルチリンガルの翻訳家であるばかりか、紙芝居の世界的な権威でもある。そんなすごい人とゆっくり書店巡りをする機会などそうあるものではない。
さて、最初に行ったのは、日本で言うならば、K文堂書店のようなどこにでもあるような書店なのだった。文具売り場もあって、全く日本の書店にそっくりだった。並んでいる本にも、日本人作家や日本で出ている本のタイ語版などもたくさんあった。オーガニック食品やスローライフ的ライフスタイルの本などもたくさんあり、日本とトレンドがよく似ている。オーストラリアから来ている私には、その類似は一種のカルチャーショックだった。
その書店を見てから、もう一軒、別のタイ語書店に入ってみた。ここは、もう少しおしゃれな感じで、デザインや建築の本などが並び、奥には英語本コーナーもあった。タイは、なかなかオシャレな国であることがここでよく分かった。
そこの本屋の出口でNさんを待っていたら、ある書架の前で熱心に本を見ている彼女の姿が見えた。Nさんは、「これ、みんなBLものですよ!」と言った。見れば、美しい男の子たちが二人で抱き合っているような表紙のグラフィックノベルがずらっと並んでいる。「BLって何ですか?」と、トレンドに無知な私がNさんに尋ねる。「ボーイズラブですよ」と彼女が答えた。

たくさんあるBLの本
なるほど、そう言えば、タイは性転換手術やレイディーボーイと呼ばれる元男の女性?で有名である。バンコクに数日いただけで、随分たくさんそう言う「女性」を見かけた。それだけがBL人気の理由ではないだろうが、書架にずらっと美しい男の子を描いた本が並んでいるのは、圧巻なのであった。あたりを見回すと、BLファンどころか、ゲイ男性が喜ぶような、モッコリ写真のカレンダーなども売っている。これが普通の書店なのだから驚いてしまう。オーストラリアの書店で、こんな本がたくさんずらっと並ぶことはまずないだろう
さて、いよいよ紀伊国屋書店に足を運ぶ。紀伊国屋書店は、伊勢丹デパートの中にある。日本と同じで、書店は最上階にあり、その手前には、レストランがならんでいる。大戸屋、とんかつ伊泉、吉野家など、懐かしい看板が目に入る。(もう数日バンコクにいたら、きっと行っただろうな!)
紀伊国屋書店に入る。手前はタイ語コーナー、奥が日本語コーナー。Nさんは、専門家らしくタイ語コーナーをじっくり吟味しているが、僕は矢のように日本語コーナーへいく。がっかりしたのは、雑誌は全部ビニールがかけてあって立ち読みができない。ビニ本である。まあ仕方がない。カーサブルータス、ビーパル、クロワッサン、ダンチューなどを引っ張り出し、どれを買おうか迷う。値段は日本の倍まではいかないが、1.5倍くらい。やたらには買えない。次に単行本のコーナーへ行く。村上春樹『騎士団長殺人』は絶対に買おうと思っていたが、上下巻を一緒に買うと、八千円近くになる。さすがに痛い。「11月に日本に帰るから、その時にするか…」と諦めた(やっぱ買っときゃよかったと、メルボルンに戻ってから大後悔!)
その分、文庫本をたくさん買うことに。さすがバンコク紀伊国屋だけあって、文庫本はたくさんある。十冊は買おうと思ったが、値段が張るので、迷いに迷って五冊に減らした。これでも清水の舞台から飛び降りるような気持ちだ。(迷って買った割には、高橋源一郎の『恋する原発』はあまり面白くなかった。とほほ。)
名残惜しかったが、Nさんが空港に向かう時間が迫ったので、紀伊国屋から出る。後ろ髪を引かれるというのは、こういうことか。
さよならバンコク
翌朝。シンガポール経由でメルボルンに帰るのだが、午後発の便なのでゆっくりホテルを出る。空港まで他の皆さんはタクシーだったが、私は来た時と同じに電車の駅まで1キロ半ほどスーツケースを引いて歩く。バンコクの街をゆっくり見てから帰りたかったからだ。
仏教国だけあり、オレンジの袈裟を着た僧がいる。途中にインド人街があるが、たくさんいるインド人はタイ国籍なんだろうか?そんなことを考えつつ、汗を拭きふき歩く。
空港に着くとお昼。チェックインまで時間があったので、最後のタイ料理を食べる。タイ料理と言えば辛いと言うイメージがあったが、それほど辛いものには行き当たらなかった。そこで、最後にちょっと辛めのものを食べようと、「野菜とエビのチリ炒め」を注文。これがめっぽう辛く、氷水をガブガブ飲む始末になった。

路上に干された干し肉。これを食べるのは勇気がいるな。
今回は、ほぼ毎食タイ料理を食べた。感想を言うならば、タイで食べるタイ料理は美味しい。メルボルンの甘くてこってりした、オーストラリア風タイ料理とは一線を画する。タイ料理には全然詳しくないが、食べたものを書くと、カオソーイ(麺類)、トムヤムスープ(辛くて酸っぱいスープ)、春巻き、ロティ(平べったいパン)、焼き鳥、赤カレー、緑カレー、ハイナンライス(蒸し鶏の載った炊き込みご飯)、生春巻き、タイ風鴨ラーメン、焼きそば、チャーハン、鳥の唐揚げ、果物ジュース、ココナッツミルクのご飯、マンゴープリン、各種果物などである。
書いていたら、よだれが垂れてきた。タイ、良かったなあ。また行きたい!
(タイ旅行編、終わり)

伊勢丹の前のお寺。美人が多い。
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