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オーストラリアデイ、野菜の供給過剰と、要介護の猫タマ

2025/01/27




今日1月26日は、オーストラリアデイという建国記念日だ。三連休で、これが終わると夏休みも終わって学校も始まり、いよいよオーストラリアの2025年が本格的に始動する。


夏休みは終わっても、メルボルンはまだ夏で気温も高いから、うちの庭の畑が賑やかだ。妻のチャコは庭が趣味で、いっぱい色々なものを植えている。夏は野菜がいっぱい採れるのだが、こんな時に限って私以外は家族全員で日本に行っている。だから、この野菜と私は一人で格闘しなければならない。うっかり油断していると、ズッキーニがいっぺんに3本採れたりする。しかもそのうち1本は巨大化していて、40センチくらいある。こんなのどうしらいいの?と、私は途方に暮れる。カボチャの親戚みたいなスクウォッシュという野菜やトマトやピーマンも続々収穫されている。サンルームのブドウもたわわだ。ブドウだって、そんなには食べられない。だから隣の子沢山一家に持っていったら、「悪いけど、うちの子たちは、種があるブドウは食べないのよ」と奥さんのターニャに言われた。だから今朝はブドウジュースを3リットルも作った。そのうち2リットルは冷凍した。余剰の野菜は近所の人にあげればよいと考える人もあるだろうが、近所の人たちもみんな野菜を作っている。だから、うっかりズッキーニなんか持っていった日には、仕返しに豆とかニンジンとかを山のように持たされるだろう。



巨大ズッキーニは、輪切りにして干してみることにした。カリカリになるまで干して保存するのだ。ズッキーニブレッドも焼くつもりだ。昨晩のご飯は、ズッキーニと鶏肉のレモン味パスタだった。自分で言うのも何だが、とても美味しかった。しかし、ズッキーニとの戦いはまだ始まったばかりだから、こうして笑っていられるのも今のうちだろう。それに、もうすぐキュウリとか茄子の収穫も始まりそうだ。イチジクもたわわに実をつけているから、イチジク責めも待っている。イチジクをたくさん食べると、下痢をしないか心配だ。びろうな話で恐縮だが、私の亡くなった母は、「イチジク浣腸」というものを時々使っていた。便秘気味だったからだ。イチジク浣腸とイチジクは関係があるのか?そんなことを考えると、私は気が気ではない。




さて、オーストラリアデイに戻るが、この日の起源は1788年1月26日に、英国から派遣されたフィリップ提督という人が、シドニー湾にイギリスの旗を立てた日ということにある。これまでオーストラリアは、この日がオーストラリアの始まった日だという立場をとっていた。しかし昨今では、オーストラリアデイは「侵略の日」だとも言われている。侵略と言うと刺々しいが、それも事実なのだ。オーストラリアに何万年も前から住んでいた先住民たちからみれば、この日こそ、イギリス人に祖国を奪われた日だからだ。その後、虐殺も起きて、子どもが奪われ、土地を追われ、言語や文化を蔑ろにされ、200年近く続いた蹂躙の年月が始まった日なのだ。建国か侵略か、この日は全く意味合いが逆の両側面を持っている。



だから、建国の立場をとるか侵略の立場をとるかで、今のオーストラリアは二つに割れている。保守派は建国の立場をとり、先住民やその立場に同情する改革派は侵略の立場だ。どちらの議論が正当であるかは、今後の豪州社会の意向次第だが、世相を見る感じでは、建国の日と言い続ける根拠が、この頃はだんだんと希薄になってきている感じがする。しかし、こういうことがどちらに転ぶかは分からない。アメリカのトランプ大統領再選の経緯などを見ていると、何だって起こりうる気がする。


私はそんな世情を鋭意注視しつつ、一人で留守番をしている。いや、飼い猫のタマと一緒に暮らしている。家族が日本に行っているから、私がタマの面倒をみている。この間も書いたが、タマは昨年10月末に獣医で膵臓癌の宣告を受けて、その時は2週間の余命だと言われた。それなのに、私が12月末に日本から帰ってきた時は、ふらふらになりつつも私を出迎えてくれた。それからさらに1ヶ月経つが、相変わらず痩せ細ったまま、何とか普段の生活を続けている。



タマは、人間で言えば要介護の状態だ。寝たきりではないのだが、よろよろとしか歩けない。夜は私のベッドの足元に上がってきて寝るが、足元がおぼつかないので、夜中にベッドからドスンと落ちたりしている。昼間はふらふら庭に出て、野菜畑の一番好きな場所で、日永うとうとしている。食事は、娘のココが開発?した流動食だ。ココがエビとチキンの胸肉を蒸し焼きにしからペースト状にしてみたら、喜んで食べている。でも一度にはたくさん食べられないから、一日に3、4回分けて食べる。それも贅沢なことに、自分で食べるのではなくて、私がスプーンで口に運んでやるのだ。そうやって30分くらいかけて少しずつ、少しずつ食べる。実は、私の横浜にいる二つ下の弟は老人介護の専門家なのだが、こういうことを人間相手に仕事としてやっているのだから、本当に大変なことだ。おかげで、この頃は弟のことを大変尊敬している。


だから、たかが猫ごときだが、タマの介護で私はちっとも出かけられない。仕方がないから、タマを横目で見つつ、本を読んだり、原稿を書いたりしているのだが、全く集中できない。横目で書棚を見ると、文学者でも猫のことを書いている人がたくさんいることを思い出した。夏目漱石『吾輩は猫である』や漱石門下の内田百閒『ノラや』などの本は私の書棚にもある。梅崎春生『カロや』も飼い猫の話だが、このアル中作家の書いたペット譚は、あまりにブラックで衝撃的だった。萩原朔太郎の『青猫』は宝石のように美しい詩集だ。村上春樹の『猫を棄てる』は作家の父親の思い出だが、さっぱりした文章で良い。猫というのは、まるで魔法のように、人から様々な思いを引き出してくれる生き物だ。


私の家族は、もう2週間半は日本だ。その間私は、とにかく野菜三昧の日々だ。タマは、そんな私を横目で見ながら、極めて平静心のまま、水を飲ませろとか、飯を食わせろとか、背中を撫でろ、などと要求しつつ余生を送っている。



私は、タマの背中を撫でながら、タマのためにも、庭の野菜のためにも、早くみんなに帰ってきて欲しいと願う。でも、彼らは倉敷や札幌や伊東や名古屋に出かけたり、温泉に入ったり、美術館に行ったり、手打ちそばや刺身や天ぷらやジンギスカンやら焼き鳥やら茶碗蒸しやら、美味しいものをたくさん食べるのに忙しいのだろう。それでも、きっとたまには、メルボルンに置いてきたタマと私と、庭の野菜のことを思い出してくれているに違いないと信じている。

 
 
 

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