オーストラリアの春の季語
- 鉄太 渡辺
- Sep 5, 2021
- 3 min read
2021年9月5日
9月になり、メルボルンも春ということになりました。カレンダーでは9月1日から11月30日がメルボルンの春ってことになっています。

(うちのプラムの木)
日本の俳句詠みの人が書いたブログを読んでいたら、「オーストラリアに旅行した時に俳句を読もうとしたが、季語が使えなかったから、仕方なく季語を無視した俳句を書いた」というようなことが書いてありました。
まあ、オーストラリアは日本と季節が逆だから仕方ないとも言えるし、逆に、日本語の俳句の季語は、日本、あるいは北半球に限定されたものであると分かるのかもしれません。昔の話ですが、夏目漱石がロンドン留学をしていた時にも、「ロンドンでは、俳句を読むような心持ちにはちっともなれない」と書いています。昔の伝統的な俳句に限って言うならば、俳句を生む詩情は日本独自のものであったと言えるのかもしれません。

しかし、今はそんなことを言っている時代でもないし、俳句だって世界中で書かれているのだから、季語だって詩情だって、日本特有のものだけが正当とするのはいささか時代錯誤でしょう。(そう言う「地域限定」の俳句を書いている人をとやかく言うつもりはありません。)
じゃあ、オーストラリア独自の「春だなあ」って感じさせる詩情がこちらの文化にあるかって言うと、正直、あんまりないですね。9月1日だから春だ!ってくらいだから、オーストラリアは機械的と言うか、事務的と言うか、せいぜい肉体的と言ってもいいくらい。春だし、暖かくなったから外でスポーツしようとか、バーベキューしてビールを飲もうとか、畑にそろそろ野菜を植えようとか、そんな程度。
でもまあ、もともと荒っぽい場所ですから仕方がない。しかし、やろうと思えば、英語で、しかもオーストラリアの季語を考えることもできなくもない。日本語の季語を英訳したっていいし、オーストラリアの風物を選んでみても良い。例えば、 cherry blossom (桜の花), spring mist (春霞), wattle flower (ワトルの花), bon fire (焚き火=メルボルンでは夏前に枯れ枝などを焼く焚き火をする)、グランドファイナル(オーストラリアフットボールの決勝のこと)とか。(グランドファイナルを季語にした俳句なんか、僕には思いつかないないけど。単なる例です。)

(ベルグレーブにかかる満月)
そんなことしてたら、一句浮かびました。
老猫も月に招かれ朧月 鉄沈
(うちの老猫タマちゃんは、夜中に僕を起こしにくる悪い癖があるのです。)

とにかく、俳句なんて好きなように詠んだら良いんですよ、特に、僕のような素人レベルでは。それが今日の結論です。
関係ありませんが、僕はすごい雨男なんです。メルボルンは1日の中に四季があると言われていて、天気がとても変わりやすいのですが、さっきも晴れていると思ってちょっと外に出たら、すぐに俄雨がザーッと降ってきました。女房にそれを言ったら、「砂漠地帯にあんたが引っ越せば、きっと感謝される」と言われました。
一日に四季は多すぎメルボルン 鉄沈
と言うのが、私の今の心境です。
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