オリンポスの果実
- 鉄太 渡辺
- Jul 23, 2021
- 6 min read
2021年7月23日
さて、東京オリンピックがいよいよ始まりました。競技を見るのが楽しみです。
そこで書架から、田中英光著『オリンポスの果実』というオリンピックが舞台の小説を引っ張り出しました。オリンピックが来る度に読む小説かもしれません。

田中英光は、1932年ロス五輪に実際にボート選手として出場した経験のある文学者でした。『オリンポスの果実』は田中自身の経験をほとんどそのまま書いていて、オリンピック遠征中にボート選手の主人公が、陸上の女子選手に恋をする物語です。80年前に書かれた小説とは思えない新鮮な文体で、最初から最後まで「君のことが好きだ」というメッセージに満ちている小説です。その感情は、あまりにもストレートで生々しいのだけど、これを読むたびに、スポーツをすることと恋をすることがこれほどに素晴らしいことだったのかと爽やかな気持ちになります。ボートを漕いでオリンピックに挑む若者の沸騰するようなエネルギーは、それだけでもすごいのだけれども、さらにそこに恋愛という要素が加わると、「そんなに力が余って、どうやって生きていくの?」という文学テーマになるわけです。この小説を読んでいると、主人公がこんなに突っ走り、思い詰めながら生きて大丈夫なのか?と読者は思うでしょう。現にこの主人公は、その直情さゆえ、オリンピック後は恋愛も成就せず、燃え尽きたように現実世界に幻滅していき、破滅に向かって進んでいくのです。
『オリンポスの果実』は、若いアスリートがだんだん墜落していくプロセスを描いた悲劇的な作品ですが、現代のスポーツ選手たちは、そんなことにはならないように、そしてより高い記録を出すために、精神も肉体も厳密にコントロールされているのでしょう。オリンピック自体は随分変わったのでしょうが、今も昔も共通しているのは、スポーツを取り巻く社会状況が、どんな時代にも複雑にねじれていることかもしれません。『オリンポスの果実』の舞台のロス五輪の後は有名な1936年のベルリン五輪で、その後は第二次大戦に世界は突入していくわけです。
2020東京オリンピックの最初の試合はオーストラリア対日本のソフトボールでした。オーストラリアにいる日系人として、どちらを応援しようか悩んでいるうちに、あれよあれよと日本がコールド勝ちしてしまいました。オーストラリアチームが少し可哀想だったけど、久しぶりにソフトボールが観られて楽しかったです。
開会式も観ました。観客がいなくても、テレビで観ている分には結構迫力がありました。前回のオリンピックからもう5年経ってるんですね、驚きです。ただ、最近の大会は、私にはあまり身近な場所ではなかったせいか、リオも北京もアテネも記憶がごちゃごちゃで、あまりはっきり内容を思い出せません。
2000年のシドニー五輪の思い出はあります。私が家族を連れてオーストラリアへ引っ越して5年目の頃。オーストラリアに暮らしていることにもすっかり慣れ、新鮮さが薄れてきた時期でした。同時に、オーストラリアにこのまま留まるならここに骨を埋める覚悟じゃないとダメだぞ、みたいなことを考えていました。もしそれができないなら、家族をメルボルンに置いて、また日本に帰って仕切り直そうかなんてことも。そんな時にオリンピックの聖火リレーが近所を通過しました。たくさんの人に混じって応援しているうち、やっぱりオーストラリアで頑張ってみようと、などと感慨を持ったことを覚えています。
シドニー五輪は、先住民族で陸上選手のキャシー・フリーマンが大活躍した大会です。オーストラリア政府は、この時期はっきりと、先住民の問題含めて過去を精算し、21世紀をどのように進んでいくのか指針を示した大会でありました。私の書架には村上春樹著『シドニー!』というオリンピック観戦記があります。この観戦記には、競技で活躍するアボリジナル選手の記述がある一方、シドニーのホームレスのアボリジナルの人たちのことなど、対照的な観察があります。この観戦記は、村上春樹の軽いスタンスが心地良い一冊です。
それより前の私の記憶は、1984年ロサンジェルス五輪です。私はたまたま前年1983年から1年間、西海岸ワシントン州の大学に留学していて、そこには各国の選手が何名か在籍していました。3000メートル陸上で金を取ったケニアのジュリウス・コリールという陸上選手は、英語のクラスで一緒でした。このクラスには、コロンビアの陸上選手とかギリシャの重量挙げの選手もいて、授業がすぐにオリンピックの話題になるので先生も苦労していました。デミートリという重量挙げ選手は、相撲取りみたいに大きかったけど、あまり英語ができなくて、指されるとすごく小さくなっていました。コロンビアの陸上選手は足が早くて(当たり前だけど)、ある時授業の後、4車線の幹線道路を自動車をぬってカモシカのように素早く渡って見せてくれました。見ていて肝を冷やしました。
この頃の米国はレーガン政権ですごく右傾化していた時代でした。私のいた留学生寮では毎晩政治談議が盛んだったけど、アメリカ人学生たちは、映画スターウォーズのせいか、「ソ連とか悪い奴は、みんな原爆落としてやっつけちゃえば良いんだ」みたいな議論を振りかざすので、私は正直未来に不安を感じました。
私のオリンピックのもっとも古い記憶は、1972年のミュンヘン五輪で、小学5年生の時でした。オリンピック最中にアラブゲリラ「黒い九月」が選手村のイスラエル選手団を襲撃した事件があって、とても怖かったです。その年私の家族はロンドンで暮らしていたのでドイツは目と鼻の先で、ロンドンにもユダヤ系の選手が避難してきたのを覚えています。子どもだったから、アラブ・イスラエル問題なんて分からなかったけど、人生でほぼ初めて、平和なんてとても脆いものだと感じました。
こうして自らの五輪の記憶を辿ると、オリンピックは、競技内容もさることながら、その時の政治や社会状況がその特色を彩るのだなと感じます。今回の東京オリンピックも、全くそんな感じですね。世界各地の内戦、クーデター、デモ、人権問題、権力覇権や国同士の圧力。そういう争いが世界中で吹き出していて、オリンピックは常にその中で行われています。その上に、コロナ禍、気候変動、それに関連した洪水や地滑り、山火事などの自然災害。その対応も政治に関連があります。きっとこのオリンピックのことも、ソフトボールやサッカーの結果がどうだったかより、社会状況がどうだったかで記憶するんだろうなと思います。
東京オリンピックは始まったばかりだけど、果たして「張子の虎」みたいな大会で終わるのか、あるいはやって良かったと言える大会になるのか、その裁量は今後下るわけです。
これを書きながら、女子の自転車ロードレースを観ています。私の故郷の多摩がコースになので、大國魂神社の境内や私も自転車で走ったことのある尾根幹道路や道志川沿いの道を各国の選手が疾走する光景には本当に興奮します!
2032年はオーストラリア、ブリズベンが開催地に正式決定になりました。私はその時ちょうど70歳なっている予定です。その頃は一体どんな時代の、どんな政治状況になっているのか、興味がつきません。
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