インドで書いた俳句
- 鉄太 渡辺
- Jul 16, 2016
- 3 min read
2016年7月16日
先週まで10日間ほどインドに行ってきた。インドは初めてだ。行くさきは、南西部のケララ州コーチンという港町。ポルトガル、オランダの植民地色がまだ色濃く残る、香辛料の出荷地である。
なぜこんなところに行ったかと言うと、妻がオーストラリア人芸術家達8名程と、この地で制作を行うことになったからだ。それにくっついて行ったのである。こういう企画をArtist in residenceと言い、日本でもどこでも盛んになってきている。昨年は、これで南仏に行ったが、今年はインドである。
13歳の息子鈴吾郎(りんごろう)も一緒に旅した。13歳の男の子がインドにどんな反応を示すか興味があったのだが、鈴吾郎はインドの状況(貧困、人口密集、非衛生などなど)をいとも簡単に受け入れ、「ここは面白いところだね」と人や風物に興味を持ち、文句などひとこもと言わなかった。僕は感心する一方で、やや拍子抜けしたくらいだ。
さて、我々は、時にはオーストラリア人芸術家達と行動をともにしたり、時には、自分達だけでコーチンの町を歩いたりした。トゥクトゥクというオート三輪や自転車に乗ったりもしたが、大概は徒歩で行き当たりばったり歩いた。ろくな観光もせず、町中を我が物顔で歩くヤギについて行ったり、お土産屋につかまって、欲しくもない物を買わされたり、汚い店で、びっくりするほど美味しいカレーを食べたりした。月並みだが、あんなにたくさんカレーを食べたのは、人生で初めてだった。
僕にとって、この旅行で一番の収穫は、インドを身近に思える様になったことと、それと同じくらい「楽しく退屈」できたことだ。13歳の鈴吾郎も、音をあげずに僕の退屈につき合ってくれた。ちょうど、ラマンダン明けのモンスーンの季節だったから、毎日のように雨に降られ、ホテルで、フェリーの上で、雨宿りした店先で、濃い大粒の雨粒を数えたりした。雨空を長い間見上げていることなど、ついぞなかったことだ。
そうしているうち、この頃ちっとも書いてなかった俳句が頭に浮かんできた。スナップ写真を撮る様に、俳句が浮かんできた。僕の俳句はまったくの我流だから間違いも多いデタラメばかりだが、スナップを見せるよりも、僕の旅行が良くわかるような気がするから、それらを以下に載せる。(横書きですみません。)

ラマダンや 断食こらえ 高楊枝
ラマダンや 客待ちリキシャ 昼寝かな
客待ちの リキシャにのった ヤギ親子
自転車も リキシャも急ぐ モンスーン
雨粒の 数だけ祈る モンスーン
雨脚に 追いかけられて 舟を漕ぎ
船頭の 野球帽に 汗の痕
物乞いが 雨だれの数 数えてる
物乞いも 日本人も 雨宿り
夕立や プールの水に 花千個

ラマダンに 空き腹抱え 漁網引く

夫婦(めおと)舟 仲良く網を 引いている
ゴミもまた 彩り添える 浜辺かな
フェリー待つ 列で笛吹く 異邦人
インドでは ブルース歌手も インド人
バスに「天国」とあるのは 行き先か
魚屋の 足にじゃれつく 野良の猫

インドでも イワシはイワシ ボラはボラ
路地裏の エビ売る男 のど自慢
東向き 西向きヤギは どこへ行く

牛二頭 路上に座り 仏顔
犬がいて 猫もヤギもいて 人もいる
サッカーの 若者はみな 素足なり
素足でも ワールドカップ 夢ではない
アイロンを 持つ老婆の手 皺だらけ
洗濯を 岩に叩いて 若い妻
サリー着て バイクで人混み 駆け抜けて
百万本のココナツが 空あおぐ
十万百万のココナツ 静かに腐る
腐るのは ゴミだけでない インドでは
腐った物を流す川 海に注ぐ
汚濁と腐臭の中にも 平和あり

極端と 極端の間に 調和あり
祈りと 祈りの間で 暮らしてる
物乞いも スマホ手に持ち 頭垂れ
インドでも ピザを食べたし 我が息子
インドでは 朝昼晩と カレー食い
空港で 最後のカレー 汗をかき

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