インド、マレーシアへ (インド、その2)
- 鉄太 渡辺
- Sep 12, 2016
- 5 min read
2016年9月12日
この七月から旅行づいているのか、インドにも行ったし、その途中でマレーシアのクアラルンプールにも寄った。その後メルボルンに戻って、二ヶ月たたないうちにニュージーランドのオークランドへ行き、その足で8月の日本に帰国した。日本ではM城さんという友人の好意で、彼の調布のマンションに滞在させてもらい、その間に宇都宮に行った。
(この項では、インドとマレーシアについて書く)。

インドのピザ
インドで行ったのは、南部ケララ州のコーチンという港町だが、そこは香辛料の輸出で有名な場所で、今でも胡椒やターメリックや生姜や、あらゆる香辛料の問屋が港の通り沿いに軒を並べている。港には大きな船が出入りしている異国情緒あふれる場所だ。そんな所だから、オランダ、ポルトガル、イギリス風の町並みがまだ残っていて、ユダヤ人街まであるのだった。

コーチンには、二週間ばかりいたが、ほとんど一歩も町から出なかった。それでもちっとも退屈しなかった。僕は、13歳の息子リンゴロウと二人で、町のあっちに行って博物館を見たり、こっちへ行って場末の食堂で、旨いのかまずいのか分からないカレーを食べたり、お洒落なカフェに入り、高くてまずいハンバーガーを食べたりした。

僕らがサンダルをぺたぺた言わせながら歩いていると、「あんたら、どこから来たの? 中国人? ニイハオ! 日本人? コンニチハ!」などと町の人たちから話しかけられる。半分は物売りや客引きのタクシーの運ちゃんだが、半分は純粋に好奇心をもった人達であった。インドの人は人懐っこい。

泊まったホテルは、アイスランド人が経営するコロニアル風の古い建物だった。重厚な作りで格好良い。朝は洋風ブュッフェで、日替わりでいろいろなパンケーキが出る。しぼりたてのマンゴー、オレンジ、スイカのジュースも出て、これが旨かった。インドの人は、それほど急がないし、全てが手作業なので、食事をするのにも時間がかかる。それがインド的な時間の流れで良かった。モンスーンの季節だったから雨がよく降ったが、食事を待っている間、大きな雨粒が空からバラバラ降ってくるのを眺めているのは悪くなかった。

ケララは共産党支持者が多いらしい
結果から言うと、コーチンではカレーを一番たくさん食べたが、その次にたくさん食べたのはピザだった。外見は日本人でも、中身の90%はオーストラリア人であるリンゴロウは、ことあるごとにピザを食べたがる。コーチンでは7、8名のオーストラリア人美術家達と行動を共にしていたので、「じゃあ、今夜はピザを食べることにしましょうか」ということが多かった。カレーばかりだとオーストラリア人は士気が挙がらなくなるからだ。リンゴロウも異存はない。コーチンには幸い二、三軒のピザ屋があったが、チャパティやロティを作るのとピザを作るのは、ほとんど同じ作業であるから、インドのピザ屋は手際がいい。味もなかなかいける。それらピザ屋のうち一軒は、アルコールのライセンスを持ってないくせに、闇でモキートというカクテルを出していた。こっそりアルコールを飲むのは、罪悪の味がして、これも良かった。
クアラルンプールで北海道ラーメン
順番が逆だが、マレーシアのクアラルンプールへは、コーチンへ行く途中で三泊四日ほど立寄った。クアラルンプールを略してKLと呼ぶが、ここは背の高いビルが立ち並ぶ大都会であった。我々も、そんな高層アパートに泊まった。そのアパートは、天井が高くて広々としていたが、家具も最小限しかおいてなく、その部屋でクーラーをつけて寝転がっていると、自分が冷蔵庫の鶏肉(なぜか鶏肉の気がする)になった気がした。だから、あわてて外に出るのだが、そうすると、ボワンという感じの、やけに存在感のある湿った熱気に襲われるのだった。

KLは、ちょうどイスラム教のラマダンの時期で、午後四時頃になると、会社や省庁が早じまいし、断食して腹を減らしてイライラした人たちがどっと繰り出てくる。そのときは「待ってました!」とばかり、屋台や食堂からもうもうと煙があがり、ものすごい活況だ。

そんな中では、ひ弱な観光客は、歩道の隅から状況を静観するしかなかった。そのほとぼりも冷めて夕闇が降りてくる頃、ようやく我々も何かを食べようと食堂を探し始めるが、やわなリンゴロウは「きたない屋台の店で食べるのは嫌だ」と、だだをこねる。僕は路上で売っている焼鳥やマレー風魚介類バーベキューに後ろ髪を引かれたのだが、息子は「ゴミ臭くて、匂いを嗅いだだけでも吐きそうだ」と泣き言を言う。
仕方なく我々は、衛生的なショッピングセンターの食堂街に向かうのだった。そこはもはやKLの雑多な街角とは異なり、無印良品、ユニクロ、ルイビトン、ジーンズメイトなど、まるで吉祥寺や渋谷のような店が並ぶ、冷房の効いた楽園なのだった。日本と違うのは、ショッピングセンターが、もっと400%くらいきらびやかなことで、ガラス張りの建物は金や銀で彩色され、加えて何万という豆電球で飾られて目もつぶれんばかり。その真ん中を、まるで極楽へ登るようなエスカレーターで登っていくと、これも日本と同じで、最上階が食堂街。歩いていくとTOKYO STREETと書いてあり、お好み焼きや天ぷらうどんの店なんかが軒を連ねている。息子が「あった!」と歓声をあげた方を見ると「北海道ラーメン山頭火」という暖簾が下がっている。どうして北海道ラーメンの店が「山頭火」なのか分からないが、リンゴロウはどんどんその店に入って席に座ってしまう。

そんなでKLまできて、北海道ラーメンになる。そう言えば昨年は、この息子とミラノでソースカツ丼を食べたが、うちの息子はB級グルメの日本食を外国で食べるのが特技なのかもしれない。
クアラルンプール、山頭火のラーメン

(続く)
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