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あるジャズミュージシャンの死

ラリー・コリエルというジャズギタリストが73歳で亡くなったと、インターネット版朝日新聞「おくやみ」欄にあった。僕は、新聞の「おくやみ」欄には、どうしてから分からないが必ず目を通す。おかしな癖だ。


ラリーコエリル(若い頃)


その癖、僕は直接知らない人の死には、それほど心を動かされないのだけど、ラリー・コリエルが死んだニュースにはちょっと動揺した。彼の音楽を若い時からちょくちょく聞いていたからに間違いないけど、動揺して、改めて彼の音楽に、昔どれほど心を動かされたことか久しぶりに 思い出した。


ジャズは好きじゃないし、よく分からん、というオーストラリア人にたまに会う。この間、駅で車を止めて学校から帰ってくる息子を待っていたら、同じように子供を待っている息子の同級生のお母さんが、「あら、ジャズを聴いているの?日本人ってジャズが好きなのよね。東京の喫茶店とかお店は、いつもジャズが流れているじゃないの?」と、褒められているのか何なのか分からないことを言われた。僕は、たまたま 車のオーディオで、ジム・ホール(ギター)とロン・カーター(ベース)のデュエットアルバム『アローントゥギャザー』を聴いていたのだ。こういう人は、自分ではジャズなんか聞かないんだろう、きっと。


オーストラリア生まれのうちの息子も、チェロを弾くが、ジャズは好きではない。そのうち、好きになるかもしれないけど。


日本人が、そんなにジャズ好きかどうかなんて考えてことなかったが、言われてみると 、好きなんだろうなと思う。僕が学生の頃は、「ライブ・アンダーザスカイ」とかジャズフェスティバルなんかが日本でもあって、キースジャレットやら、チックコリアやら有名なミュージシャンが沢山来日していたし、それを見にも行った。日本ではジャズのレコードもたくさん出ているし、日本人のジャズミュージシャンもたくさんいる。


でも、オーストラリア人だって、ジャズが好きな人は結構いるだろう。ミュージシャンも沢山いるし、メルボルンにはジャズのクラブもある。だから、日本人がジャズ好きで、オーストラリア人がジャズ嫌いなんて議論は、非常に無為 だろう。好きな人は好き、分からない人には分からない。それがジャズだよ。


コリエルは、60年代にゲーリー・バートンという有名なビブラホン奏者のバンドに入った 頃から 有名になったギタリストで、ジャズとロックのフュージョン音楽の生みの親の一人だと言われている。もちろん60年代半ばから、ジャズとロックはあちこちで融合を始めていたから、マイルス・デイビスを始めとして、あらゆる音楽家がいわゆるフュージョン音楽を演奏していた。フュージョンの一つの要素は楽器の電気化だが、ジャズギタリストたちは、フュージョンの前からとっくにエレキギターを弾いていた。ただ、それは単に音を大きくするための措置でしかなかったが。でも、コリエルは、そうじゃなくて、ロックミュージシャンみたいに、例えば、ジミヘンみたいに、歪んだ音でガリガリとエレキを弾いて見せて、 それがジャズでは非常に新鮮だったわけだ。



スペイン、サンチャゴ・デ・コンポステーラのバンド。夜中の一時に、じゃんじゃん演奏していた。

(昔撮った写真)


しかし、コリエルはジャズが弾けるロックミュージシャンになったのじゃなくて、やっている音楽は、ずっとジャズそのものだった。小説家が、例えば村上春樹が新しい作品を書くごとに、新しいテーマや言葉のスタイルやボキャブラリーを使ってみせるように、コリエルという音楽家も、積極的に新しいスタイルを彼の音楽を取り入れただけの話だ。そういう新しいスタイルなりを、コリエルは「ボキャブラリー」と呼んでいるから、やっぱり一つの「要素」なんだろうね。


「俺にはさあ、ロックってのは、あまり面白くねえんだよ。和声が単純すぎてさ、広がりがなくて、パッとしないだよね」と、コリエルは1980年代のあるインタビューで言っている。うーん、ロックの人が聞いたら怒るだろうけど、まあそれはそうだ。ロックにもいろいろあるが、ロックの一つの決定的な要素は、単純さだろう。単純なメロディー、単純な和音、 単純なフレーズの繰り返し。ロックは、単純さ故にパワーがあるのかもしれない。


ジャズが分からない人というのは、端的に言ってしまえば、ジャズの不思議なコード進行や、不協和音の多さについていけない 人達だろう 。裏打ちのビートも難解かもしれない。それに比べれば、カントリーや、演歌や、大方のロックも、決まり切ったコードと音階を使っているし、リズムもわかりやすくて軽快だ。悪く言えば、マンネリ、常套句の羅列と言ってもいい。しかし、どちらの音楽が良いとか、悪いとかではなく、そういう違いがある、というだけのことだ。全然違う音楽なのだから。どんな形態の芸術にもそういうジャンルの違いがあるし、複雑だからいいという訳ではない。しかし、ジャズで使う和音で、例えば、Bm7フラット5やCm6というのは、やっぱ気持ちいいし、こういうコードが流れていくことから生まれる緊張感は、カントリーや演歌にはないだろう。


僕がコリエルのギターを聞くようになったのは、大学生の頃だ。バブル経済も後期に近づき、フュージョンブームもやや陰りが出て来た頃かもしれない。ロックもフュージョンも、流行っているものはとても洗練されていたが、手の加えすぎ、スカスカで、味のない綺麗な霧のような音楽みたいな気がしていた。


そんな時、コリエルの 「ヨーロッパの印象」(European Impression)というレコードを聴いた。これは1978年のモントルージャズフェスティバルのライブ演奏だから、出てから数年経ってから聴いたわけだ。でも、これにはぶっ飛ばされた。今でも、レコードに針を落とした時の衝撃は忘れない。ギターの金属製の弦のギラギラした音が、そのままスピーカーから響く。これは、オベーションという生ギター一本で演奏しているレコードだが、ピックが弦に擦れる音、コリエルの吐息や唸り声、膝でリズムをとる音までが、全部録音されている。レコードの最初から最後まで、コリエルは、じゃかじゃかじゃかと、不協和音のたくさん混じった、それでいた澄んだ音色のコードを非常な勢いで持ち上げたり下げたり、叩きつけたりして弾いている。ものすごい早いパッセージを、機関銃のように弾くが、そのうち3分の1くらいの音は、かすれてちゃんと出ていない。でも、そこがライブのいいところで、かえって荒々しい感じでグッと盛り上がる。たった一人の舞台だから、一瞬も気が抜けない。火を吹くような演奏だった。


僕は、しばらくこのレコードを毎日のように聴いていた。ある時など、ステレオででかい音で聴いていたら、二階の書斎で仕事をしていた父が下に降りてきて、僕の部屋をのぞき、「お前、この頃ギターがえらく上手くなったな」と言った。ところが、それがコリエルというジャズギタリストのレコードだと知って、「へえ、こういうギターを弾く人もあるもんだ」と感心していた。


僕は、一度だけコリエルを見たことがある。それは新宿京王プラザホテルのプールでだった。 バンドのメンバーたちとのんびりプールで泳いでいた。コリエルは、ボサボサ頭で度の強いメガネをかけているから、すぐに彼とわかった。僕も(タダ券をもらったので)同じプールで泳いでいたのだが、心臓がドキドキしてとても話しかけることなどできなかった。その代わり、一緒に泳いでいたバンドのメンバーみたいな黒人の男性に、「あれはギタリストのラリー・コリエルですよね?」と聞くことは聞けた。すると、彼は「そうだよ、ラリーだよ。コンサートで日本に来ているのさ」と答えた。僕は、いよいよ感動して、返す言葉もなかった。


「ヨーロッパの印象」(European Impression)以来、僕はコリエルの生ギターの独演の虜になった。上手に弾くとか、洗練されているとか、テクニックが素晴らしいといった類の音楽とは全く違うもので、素の、生の「表現」という感じだ。コリエルの他のレコードも聞いたが、僕には生ギター一本の演奏が、一言で言えば、潔くて好きだった。(もっとハードコアの生粋のジャズファンなら、違うことを言うかもしれないが。)


今僕は、「ヨーロッパの印象」(European Impression)のレコードもCDも持っていない。オーストラリアに引っ越した時、日本に置いてきて失くしてしまった。20歳の時に衝撃を受けたレコードは、55歳の僕は今、どんな風に聞くだろう。


しかし近年も、コリエルの生ギターによる、「ボレロ」や「ラプソディーインブルー」といった演奏をユーチューブなどで聴く機会があった。聞くたびに、やっぱりすごいなあと、ため息をついた。コリエルは、年をとってもあちこちの音楽祭にギター一本背中に担いでいき、「ボレロ」を若い時と同じくらいの勢いで一気に弾いてみせ、僕はそのスタミナに感心していた。というとアンダーステイトメントで、彼のギターには、生きる元気をもらっていたと言ってもいい。彼には「枯れる」という言葉は似合わないと思った。


そのコリエルが、僕の誕生日の一週間後、コンサートツアーの途中にニューヨークのホテルで突如亡くなってしまった。73歳だったという。夏が終わった途端に秋になり、一気に木の葉が落ちてしまったような気がする。


ちょっと早かったんじゃないのか、コリエルさん。もっと、あの火の出るようなギターを聞かせて欲しかった。


冥福を祈る。


スペイン、サンチャゴ・コンポステーラ・大聖堂

(昔撮った写真)

 
 
 

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