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Where are we now? 今どこにいるのだっけ?

2016年1月15日


暮れと正月に日本に行っていた。ほとんどは東京武蔵野市の妻の実家に居たのだが、クリスマス前に2泊3日で息子と伊豆大島に行った。 大島は二人とも初めてだった。



13歳の息子鈴吾郎は、オーストラリアから日本に来ると、朝から晩までテレビを見ているか、吉祥寺などの盛り場で小遣いを全部使ってしまうかなので、少しでもそういう環境から引き離すために大島に行ったわけだ。


ただ、それは建前で、僕が東京にあまりいたくなかったから、三日間だけでもどこかへ行こうと考えた。息子は、ちょうど良い口実だった。僕は、せっかく東京に帰ってきても、東京にはあまりいたくない。用事が終わると、どこかへ行くか、メルボルンへ帰って来たくなる。東京がそんなに嫌いな訳でもないのだが、長くはいられないのだ。


テレビや買物が好きな鈴吾郎も、父親と釣り旅行に行くのは嫌ではない。だから、武蔵野の家をリュックサックを背負って出た二人の足取りは軽かった。 中央線を神田で降り、釣具屋で新しい磯釣り竿を奮発する。僕たちは、二人連れの浦島太郎のように意気揚々と竹芝桟橋に向かった。


大島は東京から意外に近い。距離にすると120キロだが、竹芝桟橋からジェットボートだと二時間かからない。僕たちの乗るジェットボートは極彩色の虹色に塗ってあって、薄曇りの冬空の下では、はしゃぎ過ぎな感じだった。出港するとすぐに時速80キロの高速ですっ飛ばし、羽田空港、横浜、横須賀、観音崎の先をかすめ、1時間程で相模湾の外に出た。荒れた海の上をいくがいくが行くと、45分程で大島の岩壁が見えて来る。



大晦日までまだ一週間あるから、大島はひっそりとしていた。泊まった旅館もガラガラだった。「まだ年末のお客さんは来ませんし、島民の忘年会があるくらいですね」と、宿の主人は言った。僕たちは、露天風呂に嫌になるくらい浸かってから元町に出て、ほとんど一軒だけ開いていた居酒屋で、好きな食べ物をデタラメに注文して食べた。それから宿に帰って、大きな和室のふかふかの布団にごろごろし、TVで下らないお笑い番組を見た。息子はテレビを見ながら、島の雑貨屋で買った大きなドラ焼きをぺろりと平らげてみせた。寝る前にもう一度温泉に入ると、空にでっかい月が出ていた。大きな松の木が風にゆさゆさ揺れていた。



翌日は、穏やかないい天気だった。宿のすぐ前の元町港の桟橋で釣りをした。横にいた地元の釣り師は「冬はちっとも釣れないよ」と言いながらも、80匹ばかり小振りのメジナを揚げていた。僕たちは、フカセ釣りのコツも分からなかったから、あまり釣れなかった。それでも同じ様なメジナを4、5匹釣っただろうか。



昼飯を港の横のひなびた定食屋で食べ、午後も同じ場所で釣った。やっぱりあまり釣れなかった。でも、釣りをしていると不思議に退屈しない。波に映るいろいろな陰や光を見たり、遠くの伊豆半島や伊豆諸島を眺めたり、その手前を行き来する船を数えてみたり。息子は、大きなカラスを追いかけて、逆に追いかけられたり。


大島の夕日はとても良かった。冬の短い日は四時頃から暮れかかる。やがて雲の間から大きな赤いお日様が降りて来て、最後はストンとばかり海の中に落ちて消える。その後もしばらくは夕日の光の名残がある。こういう時間帯が一番釣れる筈なのだが、僕らの竿にはもう魚はかからなかった。


宿に帰り、その夜も最初の日と同じ様に元町で夕食を食べ、温泉に入って寝た。


翌日は、曇って寒い冬の天気だった。大島は東京よりもいくらか暖かいだろうが、それでも外は寒い。宿のおやじさんが車で岡田港まで送ってくれた。午後二時サルビア丸が出るまで、岡田港で釣りをするつもりだ。岡田港では大きなシマアジなんかも揚がると言う情報だったから、鈴吾郎は「大きなのが釣れるかな?」と、期待感に胸を膨らましていた。



ところが、全くダメだった。横で釣っていた東京から来ているグループにも大した獲物はなかった。鈴吾郎は、そうなると諦めが早く、「僕は船の待合所にいるからね」と、ゲームをして時間をつぶそうと、パソコンを抱えて建物に入ってしまった。僕だけは、もうしばらく桟橋で頑張ったが、エサ取りの小魚に餌を取られるばかりで、釣果はなかった。


寒くていられなくなったので、僕も待合所に退却した。釣りと言うのは、魚が釣れれば楽しい。では、釣れないと楽しくないかというと、そういうこともない。全ては心の持ちようである。


僕と鈴吾郎は、船を待つ間待合所の食堂でラーメンを食べた。 鈴吾郎はラーメンに加えて「あしたば餃子」を注文した。13歳の男の子は、本当によく食べる。


昼過ぎ、大きな観光バスが2、3台やってきて、水兵のような制服を着た高校生がどっさり降りて来た。島にある全寮制の海洋高校がこの日でおしまいなので、帰省する生徒達が 本土の実家にかえるところだった。(道理で、帰りはジェットボートが満席で、僕たちは普通船のサルビア丸で帰るはめになったはずだ。)


200人ばかりの高校生は、あっという間に待合所を埋め尽くし、お土産を買い漁り、アイスクリームを食べ、ラーメンを食べ、缶コーヒーを飲んだ。見ると、生徒の三人に一人は手荷物に釣り竿を持っている。当然かもしれないが、島の高校生は余暇に釣りをするらしい。愉快な発見だった。


「みんな釣りが好きなんだね」と、鈴吾郎も嬉しそうに言った。やがて、 ジェットボートが入港し、高校生たちが乗り込み、東京方向へ消え去った。 待合所はまた静かになった。


入れ違いで、僕たちの乗るサルビア丸も入港した。4000トンの船が、狭い岡田港で向きを変える光景は迫力がある。接岸すると、すぐさまコンテナーをいくつも詰め込み、驚く程少ない乗客を乗せてサルビア丸もさっさと出航した。僕たちはデッキに出て、島が小さくなるまで眺めていた。



室内に入ると、帰省する労働者風の人たち3、4名が自動販売機でビールやタコ焼きを買い、ほとんど口もきかずに酒盛りをしている。黙ったままビールをすすり、テレビで競艇の中継を眺めていたが、やがて毛布をひっかぶって寝てしまった。


鈴吾郎は、パソコンでゲームをしているので、僕はまたデッキに出た。午後3時と言うのに外はもう薄暗い。相模湾はけっこう荒れていて、白波がたっている。4000トンのサルビア丸もけっこう揺れる。デッキの真ん中では、船酔いにならないようにか、何人もの男達が毛布を頭の上までひっかぶって寝ている。まるで死体みたいだ。この寒いのによく外で寝ていられるものだ。


僕は室内に戻り、ゲームに飽きた息子とテレビで女子サッカーの中継を見た。やがて船が揺れなくなり、東京湾に入ったことが分かった。


竹芝桟橋に到着するまで、またデッキに出た。クリスマスを2日後に控えた東京のイルミネーションは、夢の国みたいだった。ゾウリムシのような屋形舟もみな満艦飾に電球で飾り立てている。中では忘年会がたけなわなのだろう。



「あ、東京タワーだ!」と、鈴吾郎が叫んだ。東京タワーは、光の洪水のビル街の上に、灯台のように君臨している。「やっぱり、東京タワーはいいなあ、東京に来たっていう感じがするよ」と、オーストラリア生まれの息子が言う。僕はおかしくなって吹き出してしまう。53歳の僕の感慨と同じだからだ。東京タワーを見ていると、僕の中にある日本や東京への愛憎、過ぎていった年月への懐かしさが温泉のようにこみ上げてくる。



竹芝桟橋に着いて、僕たちは浜松町まで歩いた。ホームに立つと、あっという間に山手線が来た。神田で中央線に乗り換えて椅子に座ると、 息子は疲れたのか僕にもたれかかってすぐに寝てしまった。電車の中では、 釣り竿の置き場所に困った。


これが、僕と息子の伊豆大島旅行の思い出だ。その後、クリスマスが来て、お正月を賑やかに家族や親戚と過ごし、神社やお寺に初詣し、僕と家族は日本の正月を堪能してから、メルボルンに帰ってきた。


もどって数日。ニュースを見ると、歌手のデビット・ボウイが亡くなったという知らせがあった。彼が最後に歌ったWhere are we now?という曲がバックに流れていた。


ボウイは、昔ベルリンに住んでいたそうだが、Where are we now?は、ベルリンの壁がまだあったその頃を歌った曲だそうだ。何度も耳にしたから、Where are we now? というフレーズが耳に焼き付いてしまった。歌詞の元の意味に関係なく、歌に込められたボウイの気持が僕の感情に共鳴する。歌とはそういうものだ。


「もう、日本には帰ってこないのか?」今回の帰国でも、複数の肉親や友達に尋ねられた。 僕は、今年でオーストラリアに来て20年 になる。昨年大病をして死を垣間見た義父に尋ねられたりすると、本当に答えに困る。


Where are we now? 今どこにいるのだっけ? オーストラリアに決まっている。が、僕は、こうやって、大島とか、日本のことなんかもよく考える。僕(の気持)は、本当にどこにいるんだろう?と思うこともよくある。


ボウイが歌う。

Where are we now, where are we now?

The moment you know, you know, you know.  

As long as there’s sun,

As long as there’s rain,

As long as there’s fire,

As long as there’s me,

As long as there’s you.


今どこにいるのだっけ? どこだっけ? 

でも、すぐ思い出す。思い出す。思い出す。

日が出さえすれば。

雨が降りさえすれば。

火が燃えさえすれば。

僕さえいれば。

君さえいれば。

 
 
 

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