柚子の冬
- 鉄太 渡辺
- Jul 4, 2021
- 4 min read
2021年7月4日
ある方から柚子を袋いっぱいいただきました。オーストラリアでは、柚子はほとんど売ってなくて貴重ですから、本当にありがたい贈り物です。私は、子ども時代も含めて日本にいた時は柚子なんて全く気にもとめていませんでした。冬になれば、柚子があるのが当たり前のような感じ。柚子湯によく入りましたが、柚子がお湯に入っているのは邪魔くさくて嫌でした。でも、オーストラリアにいると柚子は貴重な上に懐かしくもあり、果汁も皮もタネもちょっとでも無駄にせず、100パーセント活用します。

柚子が素晴らしいのは、何と言ってもあの香りと、ちょっと苦味のある酸味でしょう。柚子を鼻にあてて匂いを嗅いだ時の、あの冬がきたなあという感じはたまりません。メルボルンの7月は一年でも一番寒い時期ですが、季節の変わり目を、こうやって季節の風物で感じる時こほど、今は遠くなってしまった日本の四季の変化を懐かしく思う時はありません。
なんという空の和やかな柚子二つ三つ 種田山頭火
柚子イコール冬と思って歳時記をめくってみたら、柚子は秋の季語でした。柚子が出回り始めるのは確かに秋だったかもしれません。でも、柚子湯に入ったりするのは冬ですから、私にはやっぱり冬の風物と言う感じがします。
柚子が本当に美味しいと思ったのは、もう4年前になりますが、自転車で四国旅行をした時です。高知から足摺岬を経て松山、それからしまなみ海道を経て、尾道まで2週間かけて一人で走りました。11月末のもう寒い時期で、雨や雹に降られたりもしましたが、高知、愛媛のどこでも、見渡せば、木には必ず黄色い柑橘類がぶら下がっていて、空気が芳しかったことを覚えています。ふらりと入った松山の居酒屋でカツオのタタキを食べた時、私がカツオにたっぷりと醤油を付けて食べたので、マスターが「東京の人はすぐ分かるよ、カツオに醤油をつけすぎるからね」と皮肉を言いました。四国の人は、柚子の酸味と塩とニンニクでカツオを食べるからです。瀬戸内の島で泊まった民宿では、朝食の味噌汁にはレモンの輪切りが浮かべてありました。ただのレモンとは思えないほど本当に爽やかな味でした。四国の柚子やレモンや酢橘は、素晴らしい味と香りです。
一方オーストラリアでも、柚子が今やちょっとしたブームになっているという新聞記事がありました。焼き魚やバーベキューに柚子、サラダドレッシングに柚子、あるいは日本酒に柚子の果汁をたらして飲む、こう言う使われ方が流行しつつあるようです。
しかし、柚子が冬の風物であるとか、それを俳句や歌に詠もうとか、冬至だから柚子湯に入るとか、そう言う秋や冬の風物という扱われ方は全くないようです。柚子も、ただの食べ物。海外に住んでいて寂しいのは、そういう日本の物事の扱われ方です。元の文脈や文化から外れたところで取り扱われるのですから仕方がありませんが。
もちろん、オーストラリアにだって四季はあり、特にメルボルンには、日本の四季にも匹敵するような美しい変化があります。それなのにもう一つ私が味気ないと思うのは、オーストラリアの四季がカレンダー上で定規で引いたように区切られていて、夏は12月1日から、秋は3月1日から、冬は6月1日から、春は9月1日からとなっていることです。南のメルボルン でも、北のダーウィンでも、東のシドニーでも、西のパースでも、どこでも同じ。気候はぜんぜん違うのに、どうしてそんな決め方なのか。もう25年もオーストラリアに住んでいるので、夏と冬が日本と逆なことにはとうに慣れましたが、このように日付で季節が変わることには馴染めません。まったく味気ない。カレンダーが6月になったから冬なのではなく、柚子を食べたから冬、それが私にとっての季節の変化。
我が家の庭には、柚子こそなりませんが、レモンはたわわになっていて、それはそれで素晴らしいオーストラリアの冬の風物詩と言えます。今夜は柚子湯ならぬ、レモン湯にでも入ろうかな。
ふり向けば柚子たわわ青空高い 鉄沈(しまなみ街道を尾道に向かって)
お恥ずかしいですが、山頭火のマネみたいな私の俳句。
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